51 夜と騒動
一番の難題だった顔見知りとダンスという難題をやり過ごした。
あとは大要塞へ向かうのみ、気楽なものだ。
……と思ったのだが、ここで一つ問題が起きた。
会場を去るセヴァーナを見送り、振りかえるとルニルの姿がなかった。ぐるっと見回しても姿がない。ルニルぐらいの美人はそういない。誰かに躍りでも誘われたかと思ったが、そういうわけでもなかった。
セヴァーナの後を追うように会場を出て付き人の控え室を覗いたが、そこにはケインたち三人とナズリーンがいるだけだった。
ルニルがいないと伝えるとナズリーンが顔を青くした。
「そんな、ルナ!」
彼女も会場を覗き込むがルニルの姿を見つけることはできなかった。
中央塔宮殿の低層部分は長い塔を支える基盤でもあるため、かなり広く作られている。個室も多く、そこかしこに人々が入っていく。あちこちで密談やら密会やらが行われているようだ。
ドアが開いていた一つの部屋に入り、おれたちは今後の相談を始めた。
「どうする?」
「どうするって、捜すしかない」
「どうやって?」
さすがにおれも完全に気配を見失った状態から一発で見つけるような方法は知らない。
それはケインたちも同じようで、低く呻くのみだった。
ナズリーンは顔を青くしてうな垂れているのみだ。
ルニルと彼女は幼い頃からの仲だというからその心配はおれたちの比ではないのだろう。
しかたなく男四人でない知恵を絞ってみるが、やはりないものはない。
こんなところで頭を抱えているぐらいなら外を探し回った方が良いだろうという結論になり、部屋を出たところでニドリナが待っていた。
「どうかしたのか?」
バイザーだけを外したいつもの格好で尋ねてくるニドリナに、事情を耳打ちすると眉を寄せて考え込む。
そして耳打ちを返してくる。
「こちらはこちらで当てを探ってみる。お前は……」
言われた内容に驚いたが、ニドリナの言っていることは確かにその通りだ。
街を探るために中央塔宮殿を飛びだしたニドリナたちを見送り、おれは「さて……」と気合を入れた。
これから、世界でも指折りの難所に忍び込まなければならない。
目指す場所は魔導王の部屋だ。
ニドリナいわく、ザンダークでのことで魔導王にわからないことはないとのことだ。
どうしてニドリナに魔導王のことがわかるのか?
やはり、不老の少女という共通点には因縁が存在しているのかもしれないが、いまはそのことを追求する必要もないだろう。
彼女の助言は納得できるものだ。
おれとしてもすでに影武者の依頼を受けて、実行中なのだ。
だというのに本物がいなくなってしまっては影武者の立つ瀬がない。
たすける方策があるなら、それに縋るしかない。
向かうためには二つの昇降機を使わなければならない。
一度通されているからわかるが、最初の昇降機には見張りが多い。だが、二つ目の昇降機には見張りはいなかった。
だが、人の目ではないものの気配は感じていた。
おそらく、真の監視装置はこちらだろう。
ふむ……。
これは、無理だな。
ニドリナは当たり前のようにおれならできるだろうみたいに言ってくれたが、できるわけがない。
気配を殺したり、視線を避けたりする方法ならある。
そうやって魔物からの追撃や警備を避けたことはあるからだ。
だが、魔法的な監視装置から逃れる方法なんて知るはずがないし、そんなものに守られた場所に潜入なんてやったことはない。
あの地獄にはそんなものはなかった。
あったのは、戦い、戦い、戦いだ。その延長線上でそれなりに色んな経験もしたが潜入というものはなかった。
あるいは他の神の試練場にはそういったものがあるのだろうか? そしてその奥に隠されているものも違っていたりするのか?
興味があるような……ないような。
それはともかく。
とりあえず、最初の昇降機に乗ることはそれほど難しくはない。ちょっと待っていると侍女っぽい感じの女性が昇降機の操作を始めたのを好機と彼女の背後に張り付く。
気配を消すのには慣れている。これだけ他の人間の気配に溢れているとその中に紛れてしまうのは難しくないし、一人分の視界から外れ続けることもできる。
昇降機なんてここでしか体験していないが、狭い空間で二人っきりになりながら気付かれないでいるのはそう難しくはなかった。
あの地獄で同じようなことをしたことがあるし、最近はニドリナがやっていることを目にしていたのでそれも参考にさせてもらった。
昇降機は例の展望喫茶室があった階層よりも下で止まった。
侍女が出ていくのに合わせてこの昇降機でいける最上階を押しておくと、昇降機は問題なく上昇していった。
昇降機が止まる。展望喫茶室よりも上、前のときはルニルとここで合流した階だ。
さて、ここからが問題だ。
静かな廊下を見渡せば幾つかの部屋があり、ただの中間地点ではないことはわかるが、ではなんのための空間なのかということはわからない。
とりあえず誰も見ていないのだ。
毛足の長い絨毯を音もなく進み、もう一つの昇降機のボタンを押す。
やはりというか、動いてはくれなかった。
さすがにそんな簡単ではないだろう。
ではどうするか? となるとなにも思いつかないわけで、おれは無様に昇降機の前で腕を組むことになった。
いや、方法はあったのだが、いまこの状況では使うべきではないと立ち尽くしていた。
気付かれたことには気付いていた。
足音を忍ばせておれの背後に立とうとしていることも。
気付きながら放っておいた。
「なんのつもりかな? ルナーク王子……いや、アスト君」
なんだ、こいつにまでばれているのか。
おれはため息を吐いて振り返ると、そこには昼に会ったもう一人の勇者クリファが立っていた。
「こんな時間にどうしてここに?」
と、おれが聞くとクリファは呆れた顔をした。
「知らないのかい? この階は『勇者』専用の居住空間だ。君の嫌いなセヴァーナやユーリッヒの部屋もあるよ」
「なるほどね。では、二人の部屋にイタズラをしに来たということで一つ」
「さすがに、それを真に受けることはできないね」
「では、魔導王陛下に夜這いに来た、では?」
「本気かい?」
「……できんことはないと思う」
見た目は少女だが、中身はちゃんと成人なのだろう?
ならばそういう体型の女性なのだと割り切れば良いだけだ。
「……きっと、後悔するよ」
ため息交じりの返答は意外だった。
もっと優等生的な返事が来ると思っていたのだ。
だが、そうか。
それならそれで融通の利いた交渉ができるということか。
「それで、君は魔導王陛下にお会いしたいんだね?」
「まぁ……そうだ」
「夜這いに?」
「そういう展開になったとしても、受けて立てる!」
本当の理由は他にあるとほのめかして頷くと、クリファはなんというか、奇妙な笑みを浮かべた。
バカにされているというべきなのか、どうなのか。同情も含まれている気がする。
なんというか「知らないって幸せだな」というのが、彼の表情から読み取った言葉だった。
それはどういう意味なのか。
すくなくとも、自分がこの場を誤魔化すために使った言葉は、成功半分・失敗半分というものだったのだろう。
「……わかった。ちょっと待っててくれるかな? 陛下に連絡してみる。まぁ、どうせあの方はもう知っているだろうけどね」
クリファはそういうと、懐からなにかを取りだして耳に当てた。通信用の魔法機器なのだろう。
【交信】の魔法が込められているのだろうか?
少し離れたところでぼそぼそと話をするクリファの声に聞き耳を立てつつ、見るものもないので昇降機を眺めていると、不意にそのドアが開いた。
誰もいない。
クリファを見ると頷いていた。
どうやら入っていい、ということのようだ。
おれはクリファに礼のつもりで手を上げ、中へと入る。
彼からは「健闘を祈る」という言葉をいただいた。
嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
だがもう行くしかないのだ。これでルニルの行方がわかるなら安いものだろう。
ここまで来て大要塞、そしてその戦場の見学ができないなどたまったものではない。
ほとんど成り行き任せでこんなところにまで来てしまっているが、大要塞の存在はおれを引き付けて止まない。
世界最大の戦場はおれにどれだけの緊張感を与えてくれるのか?
『魔太子』ゾ・ウーや、ここにいる『勇者』たちの実力を推察する限り、おれの期待はかなり下降修正せざるを得ない。
だが、『魔導王』の存在はそれに待ったをかける。
あの不老の少女の実力がおれには読めなかった。
負けることはないだろうとは思うのだが、勝てるという確信も持てない。
そして、戦いに関して手加減はしても手抜きはしないのがおれの信条だ。武器や使用する技や魔法をこの場に合わせることはしても、だからといって油断しているわけではない。
どんな小さな油断も死に繋がる場所から這い上がってきたというのに、そこからせっかく生還したというのに、死因が油断ではカッコが付かないではないか。
さて、暇潰しの思考を終了させる。
昇降機が止まり、ドアが開いた。
やはり、空間が弄られている。ドアの開いた先は前回の応接室ではなく、妖しげな赤紫色の光がこもる寝室だった。
相変わらずそこら中にぬいぐるみが転がる中、中央には天蓋付きの寝台が据えられている。
宙を撫でるように漂う煙は香のそれだ。嗅覚を撫でたそれが、脳に微かな刺激を与え続け、胸から腹へと熱を発生させていく。
「ようこそ」
そして寝台には彼女がいる。
彼女のはずだ。
小さな体に半透明のネグリジェという似合わないものを着ているのだが……その肌もその顔も、おれが昼に見たものと違う。
いや、合っている。
不健康そうな肌の色、目の下に宿命的に浮き上がった隈。半眼気味の瞳。成長の予兆のようなものを見せたまま停止してしまった肉体。
それは確かに、昼に会った魔導王シルヴェリア本人のものだ。
だが、そんな彼女とダブって見えるものがある。
それは半乾きの腐肉を貼り付けた骸骨だった。
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