46 王子と歓楽都市
ザンダークに到着したのは夜だった。
普通の者たちなら全ての門は閉ざされたままであり、朝まで待たなければならないだろうが、軍となれば話は違う。
門は開かれ、おれたちは受け入れられる。
ザンダークの姿は夜にこそ輝くとは酒場で誰かが口にしていた言葉だが、その言葉に嘘はなかった。
街灯の数は多く、そして高い建物の全ての窓からも光が漏れている。各種店舗の看板までも妖しげな光を放って自己主張する。
室内灯にはオイル燃料由来のものもあるだろうが、光のほとんどは魔法によるものだ。
「……すげぇ」
おれの視線は街に灯る光ではなく、さらに上、空に向けてのものだった。
消費された魔力の残滓が蛍のような淡い光を放ち上空へと巻き上げられていく。街の放つ熱気による緩やかな上昇気流が淡い光の塔を作っているのだ。
魔法文化の極致がここで形作られようとしているかのようだ。
「素を出すな」
隣のルニルがぼそりと釘を刺す。
「そのときはルナーク王子の育ちが疑われるだけだろ?」
軽口を返すとルニルは沈黙で威圧してくる。
しかたないので地上に目を戻した。
やってきた役人の案内で建物に入る。この高層建築物がそのままタラリリカ王国戦士団に割り当てられた兵舎であり、そしておれたちの宿泊地でもあった。
専用の昇降機を使って最上階へと昇る。階層をまるごと使った空間はとても立派だった。
護衛用の空間もあるのでルニルやナズリーンだけでなく、ケインたちもここで寝起きできる。
「ふむ……なかなかだな」
ニドリナが感想を漏らし、それで彼女がいることに気付いた他の連中が驚いていた。
「どうやってここに?」
「うん? 一緒に昇降機に乗ったじゃないか?」
おれの答えに全員が驚いている。
それはつまり、ニドリナもだ。
彼女はおれにさえも気付かれずにいたと思っていたようだが、そんなに甘くはない。
「おれの目から逃げられると思うな?」
と言ってやるとすごく嫌な顔をされた。
「さて、これからどうするんだ?」
「あ、ああ……明日から忙しくなるぞ」
おれが声をかけ、ようやくルニルは我に返る。
「明日は昼にザンダークに滞在中の勇者と会見、それから夜には人類領会議の役員や滞在中の貴族たちとによるパーティに出席、出発はその翌日だ」
「兵士たちは?」
「兵士たちは今夜と明日は自由時間だ」
「羨ましい」
世界最大の歓楽都市を国の金で好きに遊んでいいと言われているのだ。たとえその後に戦場に行かされるのだとしても、いまこのときだけは羨ましい。
とくに、勇者と顔合わせしに行かなければならないと考えると、おれもそんなことを忘れて遊びほうけたくなる。
覚悟してきているとはいえ、それから逃げたいと思う気持ちはなくならない。
「……いま、この街にいる勇者は?」
「ザラン連邦のクリファ様とオウガン王国のセヴァーナ様だな」
おお、王子なのに様付けだよ。
「……おれも様付けしなければダメか?」
「当たり前だろう?」
なるほど、勇者と貴族の関係というのはこういうものらしい。
おれの事情をわかっているラランシアがいればもっとうまくフォローしてくれるかもしれないが、彼女にも大神官としての責務があるのでそういうわけにもいかない。彼女は王都で留守番だ。
今回はおれがどれだけ王子に徹することができるか? にかかっている。
この後大要塞に行ってユーリッヒとも顔合わせすることになるのだ。いまさらここで臆するわけにはいかない。
考え方を変えるのだと、もう何度も自分に言い聞かせている。
ここで改めてあいつらを見て、それでおれがどうしたいかを確認する。
そのためにあいつらを見るのだ。
†††††
ついに彼らがやって来た。
「タラリリカ戦士団がザンダークに入りました」
その報せを、セヴァーナは憂鬱の中で聞いた。
ザンダークにおけるセヴァーナたち勇者の居住空間は、中央塔宮殿に存在する。
人類の建築学と魔法工学の粋を集めて建築された世界最高度の建物は、それ自体を魔法装置とし、都市とその周辺地域に広大な結界障壁を張ることを可能とする。
大要塞が破れた後の第二次防衛線……それが歓楽都市ザンダークのもう一つの役目だ。
「……そう。ルナーク王子もいるのね」
「はい。ですが、奇妙なことが」
「奇妙?」
「事前に調査した王子の容姿と違うという報告がされています」
「では、影武者なの? 臆病なのね」
人類領会議に参加する全ての国は大要塞での戦いを維持するために兵力を提供しなければならない。
そのために各国は大要塞に派遣するための特別な兵力集団、戦士団を用意し、交代で派遣することになっている。
そのときに王族や貴族の子弟がともに派遣されることもある。
戦士団で活躍した名声というものは無視できない力を持つ。そのため、どの国の貴族も箔付けのために送り込んでくる。
だが、そういった連中はあまり大要塞で長居することはなく、ザンダークで遊びほうけて帰ることが多い。
そのおかげで最近は『大要塞帰りの貴族』という言葉はかなり妖しいものとなっている。
ルナーク王子もその類だったのか……とセヴァーナは一瞬だけ考えた。それは願望でもある。自身に下されている密命のことを考えれば、そうであった方が都合が良い。
だが、そうではないことは報告に来た者の顔を見れば瞭然だ。
「ですが、奇妙なのです。本人確認のために大神官に【天啓】をしていただいたのですが、その内容が『彼が望むのであればそうである』ということだそうで」
「それは……どういうこと?」
たしかに奇妙な言い回しだ。
【天啓】によって下された神の言葉が単純な『はい/いいえ』であることは少ない。
だが、ある程度の法則性はある。
この場合、本物であったならば『彼の魂にもっとも根付いている名はルナークである』とでもなるだろう。偽物であったならば『彼の魂にルナークの名は根付いていない』か。
『彼が望むのであればそうである』というのは、とても曖昧な返事だ。
ルナークであり、そうではない。
だが、神は彼の身分を保証する。ということでもある。彼は王子ではないかもしれないが、彼が自らを王子とするなら王子として扱うことを神は要求する……ということだ。
難しい問題だとセヴァーナは感じた。
政治と神殿は協力し合いながらもお互いの領分を侵さないよう、慎重に付き合ってきた。たとえば偽りを見抜くために【天啓】を利用することもそうであり、神力を込めた聖剣を勇者に提供することもその一つだ。
【天啓】の言葉は解釈次第では、いまいるルナーク王子は王子ではないと判断することができる。
だが、神は彼を王子として扱えと言っている。
ここでそれを無視して偽物として断ずれば、神殿勢力は【天啓】を無視したとして糾弾してくるだろう。
授けられた【天啓】を粗略に扱うのは彼らの信仰をないがしろにしたということに繋がるのだ。
「……つまり、偽物を送り込んできたと公にすることはできないということね。やるじゃない、彼女」
彼女……そう、それは本物のルナーク王子のことを指している。
つまり、セヴァーナたちはすでに知っているのだ。
本物の王子が女性であることを。
「しかしこうなってくると……いろいろとめんどうね。クリファはなんて?」
「セヴァーナ様にお任せすると」
「まったく……」
「あの方も、セヴァーナ様の方が喜ばれます」
「……わかった」
ため息とともに立ち上がると、セヴァーナは専用の昇降機を使って中央塔宮殿のさらに上へと向かう。
そこへ昇ることができるのは、呼ばれない限りどの国の王でもできない。勇者でさえも用もなく入ることは許されていない。
そんな場所にいる者は、もう一つの『王』と呼ばれる者だ。
「シルヴェリア様、セヴァーナです」
「お入り」
若いが覇気のない声に呼ばれ、セヴァーナは扉を開ける。
広い部屋を満たしているのは書物とぬいぐるみだ。
分厚い書物が塔をなし、大小様々なぬいぐるみが山を作る。ドアから通じる曲がりくねった谷間を抜けていくと、大きな書斎があり、そこに小さな影が座っていた。
その背に、セヴァーナは跪く。
「ご報告があります。『魔導王』陛下」
「なに?」
「例の王子の件です」
「ふうん」
小さな背が振りかえる。
そこに座っていたのは不健康げな少女だった。顔色は悪く、目の下には隈があり、瞼は重たげに半分ほど閉じている。
そんな少女が近くにあった熊のぬいぐるみを抱き、セヴァーナに首を傾げる。熊のぬいぐるみは口から血を零していた。
「面白い話?」
「ご判断はお任せします」
感情を殺したセヴァーナの返答に「ふうん」と呟くと、シルヴェリアと呼ばれた少女はにやりと笑った。
「聞かせて」
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