44 王子と事情
ルニルを担いで裏口から戻ってくると、ケインとナズリーンはすでに気が付いていて青ざめた顔をしていた。
おれたちを確認して、あからさまにほっとしている。
「たすかった」
「なんとお礼を言っていいか」
ケインとナズリーンのお礼の言葉を少し鬱陶しく払いのけ、おれは元の椅子に座ると残っていたワインを飲み、これで帰ると告げた。
「まともな話はもう無理だろ?」
「なら、明日! またおれの家に来てくれ、時間は後で使いを出して報せる」
即座に食い下がられおれは顔をしかめたが、了承した。
ニドリナが少し意外という顔をしていたが、黙って後を付いてくる。
宿に戻ると、影獣からイルヴァンを呼びだした。
捕らえた暗殺者からは必要な情報をすでに引き出したらしく、すでに干からびて影獣の腹に収まったようだ。
他の二人の死体もまとめて片付けたので、残ったのは彼らの装備だけ。
はたしてこの装備は影獣が食べる前にイルヴァンが剥ぎ取ったのか、それとも影獣が魚の小骨を取るように器用に噛みながらわけたのか……想像しても益が無いと思ったので考えるのを止めた。
どうせたいした質のものではないから、このまま売り払うだけだしな。
「彼らはブラックドラゴンを名乗る暗殺者組織だそうですよ」
と言って、イルヴァンが聞き出したことを語っていく。
「どういう経緯であれ、これからもルナーク様を狙う愚か者がたくさん現われてくれると嬉しいのですけど」
満足げに笑ってイルヴァンは物騒なことを言う。
「ブラックドラゴンというのは聞いたことがある」
確認していた装備をつまらなそうに床に投げ、ニドリナが言う。
「あの村を作った貴族がわたしたちの予備として用意していたのがブラックドラゴンだ。あいにくと質までは同じにできていないようだが」
少し自慢げに鼻を鳴らしているが、その村もおれに滅ぼされているんだけどな。
「なぁ、その貴族って誰かわかってるのか?」
「当たり前だろう」
そういえばと聞いてみると、ニドリナはあっさりと頷いた。
「わたしがいつまでも顔も知らない連中に使われていると思うなよ。出資者の貴族からその上の仲介組織までなら調べてある」
「さすが」
と、褒める。
おれの素直な反応をニドリナは怪しんでいる。
「……それを聞いてどうするつもりだ?」
「悪党が金持ってたってしょうがないだろ? 悪いことに使われるぐらいならおれの食費にする」
「どれだけ食べるつもりだ」
「白雪牛の極厚ステーキを毎日だって食べられるぞ」
「……素敵な提案だが、あれは間を開けて食べるから美味いんだ」
「今度は鍋とか食べたくないか? 薄く切ったあれをスープに軽くくぐらせてからセサミのソースに付けて食べるとすっげぇうまいらしいぜ。それに白雪牛はチーズもいけるらしい。あれのチーズフォンデュとか、一体どんなことになるだろうな?」
「ぐぐぐぐぐ……」
ニドリナは美味しいものに目がないらしい。
本気で誘惑に抗っている姿を見て、今後は有効に使わせてもらおうと思う。
とりあえずはすぐに動く気もないので、ブラックドラゴンの情報だけで満足しておくことにする。
朝になると、ケインからの使いが手紙を残していた。
開けてみると時間の指定のみがされてあった。
時間、といっても時計はいまだ一般的ではなく、ほとんどの人は日の傾き具合で時間を計っている。
おれだって時計は持っていない。
だが、都市にいれば鐘の音がその代わりをしてくれる。王都の鐘は六時間ごとに鳴るそうで、時間の基準は王都に高く聳える時計塔だ。遠くからでは文字盤が見えないため、代わりに鐘が鳴らされる。
ちなみに、スペンザでは日時計が用いられているため、鳴るのは昼と夕方だけだ。労働者はその鐘で昼休憩と終業時間を知ることになる。
つまり、時計塔で時間を確認してから来いということだ。
「昼飯食ったら来いでいいじゃないか」
まったく、都会の人間は時間に細かいとでも言いたいのか。
思いつつ、この時間で無限管理庫の中に在るものを整理して当座の活動費を現金化して置くことにする。
それから昼食を食べた後、王都のあちこちを散策しつつケインの家に行った。
おれたちが着くとほぼ同時に馬車がやってきて、ラランシアとルニル、そしてナズリーンを下ろした。
「来てくれたんだな」
ルニルのほっとした顔は昨日とはまるで違う。
もしかしたら昨夜の一件で信頼でも得てしまったか。
……まぁ、いいか。
ケインの家に入り、同じ応接室に通される。ダンテスとステンリールもすでにいて、部屋は一杯になった。
昨夜の礼などはてきとうに流し、本題に入ってもらう。
「依頼内容は影武者だったよな? いるのは、ああいう危ない連中から身を守るためか?」
「はい」
おれの問いにルニルが頷いた。
「それにはまず、我が家の事情を話さなければならない」
ルニル……ルナーク王子が語り出す。
姫でありながら王子を名乗っている時点で、問題の種はそこに在ると言っているようなものだが。
おれは彼女が語るに任せた。
「問題はわたしが王のただ一人の子でありながら、女であるということだ。この国は女には王位継承権はない。ならば次の継承権は叔父上かその息子ということになるが、父王とは政策の問題で衝突していて叔父上には国を譲りたくはない。だからどうしても、わたしは男でなくてはならなかったため、生まれたときから、わたしは男として育てられていた」
「他に子供ができないってのは?」
「……母が妊娠したすぐ後のことだそうだ。病にかかって高熱を発し、そのときに子種を失ってしまったらしい。事実、側室も迎えて努力なされたようだが、弟妹が生まれてくることはなかった」
そいつは大変な話だ。
だが、半ば以上わかっていた話ではある。
王位継承権の争い。
王家や貴族の悩み事なんてほとんどが政治的な問題だ。
ルニルなのかルナークなのか知らないが、政治の問題で自分の性別すら偽らなければならないとは、めんどうな話だ。
「だが、わたしは別にこのまま性別を偽ることにためらいはなかった。父王の目指すことにはわたしも賛成だ。それは成し遂げねばならぬ人類の平和に関わる一大事業だからだ」
王子を見ていれば、使命感を胸に燃やしているのが一目でわかる。
だがいまだ、その熱はおれの胸には届いてこない。
「それで、その一大事業ってのは?」
「魔族との恒久的な平和交渉」
「はぁ?」
耳を疑った。
魔族との?
恒久的な?
平和交渉……だって?
「なんの冗談だ?」
おれがそう言ったのも無理はない。
人類と魔族が大要塞を挟んで争いを続けて、一体どれくらいの時間が流れているというのか。
百年? 二百年?
無学なおれには正確な年月は言えないが、そう簡単に恨みが晴れたりはしないぐらいの時間が流れているのだ。
そんな関係が、いまさら交渉なんかで収まるのか?
「収まる! いや、収めてみせる! そのために、わたしはどうしても大要塞に、そしてあの戦場に行かなければならない!」
確固たる信念を持って王子は断言する。
しかしそれでも、おれは夢物語としか思えない。
ラランシアはそれを王族の戦いとでも判断したのだろう。戦いとは剣を持つだけでない。人生そのものが戦いであるというのが、戦神の考え方だ。
ていうか、魔族に対してあんなに敵対心を燃やしていたケインたちが、どうして王子の理念に協力しているのか?
いろいろと気になることがあるが、結論としては王子の理想というものはおれにはちっとも胸に響かなかった。
だが、大要塞か……。
その言葉だけは、おれに奇妙な引力と反発を感じさせる。
おれがいつか行くべきはずだった場所。
人類と魔族が作り上げた永劫の戦場。世界の命運を決める天秤の地。
おれを追いだしたクソ野郎どもがいる場所。
そうだな。それを見てみるのも悪いことではないかもしれない。
うんざりした気持ちで敬遠していたが、どうもあいつらのどちらかにおれの生存を知られてしまったようだ。
なら、あいつらがどんな顔であの場所にいるのか、それを見てやるのも一興かもしれない。
「大要塞には行くんだな?」
「ああ」
王子が頷くのを確認して、おれも覚悟を決めた。
王子の理想なんてどうでもいい。おれはただ、それを利用するだけだ。
お互いの利害がそれで一致するのだ。
なんの問題もない。
「わかった。その依頼、受ける」
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