43 勘違いと王子
初動が遅れてしまったのは勘違いしたからだ。
【眠りの霧】が充満する中、それを目くらましにして何者かが部屋に侵入してくる。密談のために個室を選んだのだろうが、そのために逃げ場をなくしてしまっていた。
勘違いは、そいつらの狙いがおれだと思ったことだ。
ニドリナの村が滅んだことはすでに知られるだろうし、そうなれば直近の依頼だったおれのことを誰かが調べに来るだろう。
あるいはおれが生きていることを知って、依頼人か仲介業者が新たな暗殺者を送ってくるかもしれない。……という可能性は考えていた。
ダンジョン漁り中になにもなかったので忘れかけていたのも事実だが。
とはいえ、ドアの向こうで誰かが立ち止まってなにかをしていると気付いたときには、すぐに暗殺者の可能性を考えた。
ただ、狙いはおれではなく、ルニルだったようだ。
【眠りの霧】に紛れて侵入してきた何者かは、おれに近づく前に誰かを確保して去っていった。【下位召喚】で風精を呼んで霧を払い、攫われたのがルニルだとわかったのだ。
ケインとナズリーンは【眠りの霧】の影響で眠ってしまっている。
「勘違いしたみたいね」
当たり前のように【眠りの霧】に抵抗しているニドリナがおれを小馬鹿にしている。
「いや、気付いてたならたすけてやれよ」
「いやよ。それとたすけるなら急いだ方が良いわよ」
「はぁ、なんでだよ?」
「王子の中身がお姫様だとばらしたい連中の仕業よ。間違いない。恩を売るならいまよ」
「別に売りたくはないが……」
そう言いつつも、おれは眠ったままのケインたちをニドリナに任せると部屋を飛びだした。
静かなる騒動は店の他の所にまで広がっていた。ホール全体に【眠りの霧】を撒いたようでほとんどの者が抵抗もできずに眠っている。
ならばホールを抜けて正面の出入り口から出たのか……と考えるかもしれないが、それは囮だ。
足跡は裏口に向かっている。厨房の方にも魔法を撒いたらしく、料理人たちもその場に倒れていた。
「さて、少し気張るかな」
おれは、そう呟いて裏口を出た。
††††††
作戦は成功だ。
いや、まだ荷物を目的の場所に運んではいない。
とはいえここまで来れば仕事は完了したも同然だ。
暗殺者たちは三人でタランズの夜を走っていた。踏みしめているのは建物の屋根。屋根から屋根へと跳ぶことを繰り返し、目的地へと向かっている。
ここからは少し離れたところ、人目の少ない場所で馬車が一台待っている。それに荷物を届ければ依頼は完了だ。
楽な仕事だと暗殺者たちは思う。楽に儲かるのは嬉しいが、殺しがないのは不満だ。
本来なら殺しのない仕事はこの暗殺者たちが所属する組織、ブラックドラゴンにはやってこないのだが、最近、この業界で大きな勢力の変動が起きたため、こんな仕事も舞い込むようになった。
静かに仕事をこなすことを至上とした最大の腕利き集団であった彼らが滅んだのだ。仲介業者はその後始末に大わらわとなっており、そして彼らに行くはずだった依頼が再分配され、その一つをブラックドラゴンがこなすことになった。
凶暴さを売りにしているブラックドラゴンにしては、こんな仕事は消化不良でしかない。
「ああ、めんどくせぇ。暴れてぇ」
思わず、そんな呟きが零れてしまう。
「がまんだ」
仲間の一人に諭されても、そいつは聞く耳を持たなかった。
「おれは暴れたくてこの業界に入ったんだぜ? くそっ、この街燃やしてやろうか」
「だから我慢しろ。……やるならこいつを運んでからだ」
なんてことを言うのだから、結局はそいつも同じ穴の狢、というものなのだろう。
眠ったままのルニルを運ぶ一人も、その言葉ににやりと笑っている。
ろくでもない連中だ。
なので、止めることにした。
「そいつを置いてけ」
「なっ!」
ルニルを抱えた奴が一番後ろを走っていたので、そいつの足を払ってささっと奪った。
「なんだテメェ!」
「うるさい奴らだな、お前らは」
大声を上げるそいつらにおれは顔をしかめた。
ニドリナの部下とは大違いの騒々しさだ。揃いの皮鎧は夜に染まりやすい赤茶に染められ、小剣にも煤のようなものが塗られている。粉末状の毒かもしれない。
装備もニドリナたちほど良くはなさそうだが、その中身も同じぐらいに質が悪そうだ。
「このまま帰るなら見逃してやらんこともない。お前ら金持ってなさそうだしな」
おれの言い種に暗殺者たちが激昂する。
転かされてルニルを奪われた一人も起き上がり、武器を構えた。
対しておれは腰に下げた黒号を抜いてもいない。
「ふざけんな!」
おれの軽口に怒鳴り返し、暗殺者たちは一斉に迫る。
踏み込みの速度も遅い。
おれは余裕を持って黒号に命じた。
「やれ、【飛針突】」
その瞬間、黒号の鞘部分の一部が太い針に変化して射出された。
「がっ!」
くぐもった悲鳴が連なり、二人が急所に針を受けてあっさり絶命した。残った一人も肩に針を受けて、動きが止まった。
おれは奴の足下で影獣の口を開かせ、奴を落とす。
中ではイルヴァンがご馳走を待って微笑んでいた。
「質も良いけど量も大事です」
イルヴァンがそんなことを言う。質というのはおれの血のことだろうか?
そして量というのは人間一人分ということなのか?
たしかに、おれの血を死ぬほどやる気はない。
だって死んでしまうから。
影獣の中に落ちた暗殺者は混乱の内に吸血鬼の瞳に魅了され黙らされている。
「この間みたく、そいつらの本拠地の情報とか取れたら取っといてくれ」
「わかりました」
金は持ってなさそうだがゼロということもないだろう。
それに、どうも黒号は獲物を屠れば屠るほど成長しているような印象があるのだ。そういうわけで、生贄にしても心が痛まない連中の情報は多い方がいい。
本当に行くかどうかはわからない。
金に困ったときに行くのもいいかもしれないな。
それはともかくとして……。
ルニルは取り戻したのだから、戻るとしよう。
なんだか、このまま流れで巻き込まれていくんだろうなと、いつの間にかそんな気持ちになってしまっていたのだった。
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