42 王子と冒険者
恨みに変質した場合はまた違うのだろうが、怒りというのはそう長続きしない。
王都で宿を探している間にかなり消え去ったし、さらに個室を取ってイルヴァンを相手におれのパンをこねらせたり槍を磨かせたりという遊び(隠喩!)をしている間にかなりすっきりした。
瀉血治療というものがあるが、あれと同じだ。血とか色んなものと一緒に怒りも抜けてしまったのだ。
本当に血も出したしな。
あの王子とまた顔を合わせたりでもしない限り、この怒りは再燃しないだろう。
だとすれば王都にとどまることなくさっさとスペンザに戻れば良かったのだろうが、せっかく来たのだから王都の名物料理を食べてみたいということになり、一泊だけする事になった。
一息入れてニドリナと合流すると、装備を外した彼女に冷たい目で見られた。
「音漏れがひどい」
「知ってる」
即答したことでさらに表情を歪めて睨まれる。
冒険者とか行商人とかを相手にするような宿だ。壁が薄いのなんて承知の上だ。
ニドリナではない方の隣の部屋からはばんばん壁を叩かれたが知ったことではない。
「ていうか、よくできるわね」
おれが誰を相手にしているのかわかっているニドリナは信じられない顔をする。
吸血鬼を前に裸になり、いつ噛まれるかわからない緊張の中でおれの息子は全力全開なのだ。
普通の神経ならそんなことはできない……のかもしれない。
「ふっふ……男の欲望を侮ってはいけないな」
「知ってるわよ。だから呆れてるの」
それとは別に、おれとイルヴァンとの雇用契約的なものから彼女へ血の供給を行わければならない。
襲いかかってきた魔物などを提供できるときはそれでいいのだが、それが無理なときはおれの血をやっている。
……そのついでにいたしているわけなのだから、結局は男の欲望に底はなしという結論でいいのではないかと思うのだが、そこに趣味嗜好が入ることも否定できないだろう。
そんな感じのことをニドリナとだらだら話していると、おれの隣の部屋から行商人らしき青年が顔を出し、「ちっ」と舌打ちをついて部屋に戻った。
たぶん、うるさくしていたおれの顔を見たかったのだろう。
そして、相手が誰だったかの確認もしたかったのではないか。
おれの隣には、見た目だけなら黒髪の美少女であるニドリナがいる。
「ねぇ、あいつ絶対、勘違いしたわよ」
「まぁ、問題はない」
「ある!」
たとえばおれの隣にいたのがニドリナではなく、イルヴァンだったとしてもあいつは舌打ちしたことだろう。
だからおれとしてはなにも問題はない。
「今晩はお前の希望通りの店に行ってやるから」
「白雪牛の極厚ステーキだからな!」
「はいはい」
ニドリナを宥めて、おれたちは宿の外へと向かう。
演技すれば深窓の令嬢だろうが奴隷として売られた村娘だろうがなんでもこなせるニドリナだが、素の彼女は天真爛漫であるようだ。
いや、もしかしたら、これもまた演技なのかもしれない。おれを相手にするときはこの演技で良いだろうということに落ち着いたのだとしたら、それはそれでかまわない。
宿の外は夜もかなり深まっている。
道のあちこちには街灯が立てられて魔法の光が宿されているが、裏道にあるこんな宿の周辺では光も少ない。
おれたちが暗さで困ることはないのだが、頼りない光を避けるようにして暗い中で待っている連中がいた。
人目を避けていたのかもしれないが、それにしても怪しすぎる。
「なんのようだ?」
おれが声をかけると、彼らは姿を現わした。
ケイン、そして再び女の格好になったルニルとお付きのように控えるナズリーンの三人だ。
ルニルを見て、またおれの気分が悪くなった……が、視線を逸らす彼女にはさきほどまでの軽蔑するような雰囲気はない。そこに在る気まずさの種類に気付き、おれはラランシアがなにかしたのだろうと理解した。
「もうちょっと、話を良いかい?」
ケインがやりづらそうにそう言う。
「……姫は白雪牛の極厚ステーキを所望である」
少し考え、おれはニドリナの頭に手を置いてそう言った。即座に手を払われ睨まれたが、そんなことは気にしない。
ケインたちもニドリナの素顔に驚いているようだったが、それはそれと気分を切り替えたようだ。
「了解した。美味しいところを知っているよ」
「奢り?」
「わかってるよ」
よし、これでケインたちの奢りが確定した。
やったぜ。
白雪牛というのはグレンザ大山脈に近いタラリリカで育てられている牛の名前だ。
大山脈の頂上付近は竜種たちの帝国となっている。
魔力生命体である彼らの影響を受け、大山脈に堆積する雪には高い濃度の魔力が含まれている。
その雪解け水を吸って育った牧草を食べる白雪牛は大変美味しいと評判なのだ。
白雪牛が美味しいのはそれだけが理由ではないのは、大山脈に接する国々が同じことをしようとして失敗していることからわかっている。
だが、いまのところその秘密は他国には漏れていないようだ。
そんな評判の白雪牛だが、それを味わおうと思えば国内でも王都タランズに赴くしかない。それ以外だと飼育している所に直接向かうしかないだろう。
そんな白雪牛を扱っている店にケインは連れて行ってくれた。
しかも密談もできそうな個室だ。
「うおおおお……」
ステーキの分厚さをマジマジと見つめ、ニドリナは満足そうである。
肉の上には大きなバターが置かれ、余熱で溶けていく。すでに塩こしょうはされているが、味を変えるためのソースも数種類用意されているし、添え物の焼き野菜も豊富だ。
赤身と霜降りが半々というのも変化があって良い。
一緒に頼んだ赤ワインで口の中を整え、おれは肉にナイフを入れていく。
ちなみにニドリナはフルーツジュースである。
たとえ実年齢は成人であろうとも、その見た目は違う。無理をすれば十五歳と言い張れるかもしれないが、身長の低さが危うい。
まぁ、子供に酒を飲ませることへの明確な罰則はないのだが、飲ませるべきではないという倫理感はほとんどの者が持ち合わせている。
倫理感が社会に浸透しているというのは、きっといいことなのだろう。
ステーキは他国にもその名前が知れ渡っているだけあって、とてもうまい。霜降り肉は口の中で溶けるほどに軟らかく、肉汁が豊富で。赤身肉の方はほどよい歯ごたえに加えてソースの味を引き立てる。
二つの肉を食べ比べ、時に野菜やワインで口の中をリセットする。
すごい量なのだが、なんなく食べ切れそうだ。
「満足してもらえたようでなによりだよ」
ケインたちも同じものを注文したのだが肉の分厚さはそれぞれだ。ニドリナがもっとも分厚く、おれがその次、他の三人は普通のステーキよりもちょっと厚いくらいだ。
おれが食べ終わり、追加のワインがやってきたとこで、おもむろにルニルが立ち上がった。
「まずは謝罪をしたい。さきほどは失礼な態度を取った。すまなかった」
頭を下げる彼女の態度にケインやナズリーンは緊張した面持ちでこちらを見つめている。彼女が謝罪するのは決定事項だったのだろう。
たしかに、それがなければおれはステーキを美味しくいただいて帰るだけだったのだが。
そこをちゃんとさせたのだ。やはりラランシアが話を付けたのだろうし、ルニルはそれができる人間だということだろう。
あるいは、そうしてでも成功させたいなにかがある……ということかもしれない。
やはり、すぐに王都から出れば良かったか。
まさかラランシアがすぐにルニルたちを説得するとは思わなかった。というかこんなにすぐに説得されるとも思わなかった。
ていうか説得されるなよ。
予定外すぎる。
「了解した」
おれは短く、そう答えるだけにとどめた。
「だが、それと依頼を受けるかどうかは別の話だ。正直、おれは貴族ってものを信用していない。それと話を聞いてもおれが断るかもしれないってことを考慮して、それでもおれに依頼したいっていうなら好きに話してくれ」
我が儘放題な言葉だが知ったことか。
「話を聞くのは、あくまでもラランシア様に対する義理だ」
そう言いきって、おれはワインを飲み干して次を注ぐ。
「……わかった」
椅子に座り直したルニルが改めて話を始めた。
「依頼内容はわたしの影武者となってともにザンダーク、そして大要塞へと向かってもらいたい、というものだ」
「なんだって?」
ザンダークというのは大要塞の南に位置する戦士たちが休息するための街、大歓楽都市ザンダークのことだろう。
世界中の全ての楽しみが存在すると言われている街だ。
一度は行ってみたい街ではあるのだが、同時にその街は勇者たちの本拠地とも言われている。
そして大要塞だ。
どちらも勇者たちのための場所だ。
つまり、ユーリッヒやセヴァーナがいるという事だ。
「なんで影武者がいる? いや! 待て待て待て!」
それ以上話を聞くのは好奇心では済まされない。ネコを殺すって奴だ。殺される前に殺してやる自信はあるが、だからって無意味に騒ぎたいわけでもない。
あの二人になにか嫌がらせしてやりたい気持ちはあるが、だからって近寄りたい気持ちもない。
あ、そういえば暗殺者を送り込まれたな。
依頼人の名前は判明していないが、おれを殺したい奴らなんてどうせ、あの二人のどちらかだろう。あるいは今回も共謀しているかもしれない。
ふうむ。
そう考えると、あいつらのいまを観察する意味では有効か?
いやいや、待て……慌てるな。
考えがまとまらずに唸っているときだ。おれはそれを感じた。
ニドリナも気付いている。
慌てて極厚ステーキの最後の一切れを口に放り込み、味わう余裕もなくジュースで呑み込んでいる。
そして、ドアが開いた。
同時に魔法が室内になだれ込む。
【眠りの霧】の魔法だ。
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