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04 地上へ


 その日、ステラは泣くのをやめた。


 いつまでも泣いていられない。涙の数を増やしてもなにも手に入らないことをようやく理解したのだ。


 そう、これからは一人でなんでもやっていかなければならない。ご飯を作ったり、家を掃除したり、洗濯物をするだけではだめだ。庭の小さな畑の世話をもっとしっかりしないといけないし、薪割りだってやらないといけない。

 お金になることだって見つけなければいけないだろう。


 やらなければいけないことはたくさんある。

 涙を流すことはその中には入っていない。


 さあ、外に出よう。

 まずは家の中を掃除しよう。埃と一緒に嫌なことを全部追いだして、それからご飯を作ろう。お腹いっぱいになって元気になったら、働かなくては。


 そう思ってドアを開けた。


 ガコン!


 ドアになにかが当たった。そして重い感触がドアを押す。


「ええええ?」


 そのまま締まりそうになるのを堪えてドアの向こうを見ると、そこにはドアに寄りかかるようにして座り込む一人の男の姿があった。


「だ、大丈夫ですか?」


 この村では見たことのない男だ。それはすぐにわかったが、怪しむよりも先に男があまりにも弱々しくしているのが気になった。


「は……」

「は?」

「腹減った」


 男はきれぎれの声でそれを告げると共に、盛大な腹の音を鳴らすのだった。



†††††



 地上に出て、おれは途方に暮れた。

 出てきたのは見たこともない場所だった。森の中だ。嗅覚が様々なものが混ざり合った独特な臭気を嗅ぎつけた。人の集落が近くにあるようだ。


 あのダークエルフは近くにはいない。

 夢だったのかと疑いたくなるが、おれの身に宿った様々な能力がいまだその内に存在していることを感じることができる。

 体に纏い、手にしているのは巨人と戦ったときの装備だ。

 その他のアイテムもちゃんと所持している。


 夢ではない。


 本当に地上に帰ってきたのだ。


 だけど、おれはこれから、なにをすればいいのだろう?


 いまさら勇者の使命に燃えるような真似なんてできない。あの二人にはいずれ復讐することになるだろうが、それは人生の全てを費やすほどのことではない。


 まぁ、あいつらがなんらかの形で成功するなど絶対に許さないがな。


 それはそれとして……。


 とりあえず物騒な装備類やアイテムは全て無限管理庫に放り込んだ。いま所持しているのは戦神の試練場地下十六層より下のアイテムばかりで、それらは地上では間違いなく超稀少な物ばかりだ。

 装備していた武器など神話級だろう。

 そんなものを持ち歩いていたら噂になってしまう。


 望まない形で注目を浴びたくはなかった。


 ある意味で、おれの心はいまだ地下試練場にあるのだろう。迂闊な行動で敵の注意を引かないようにと考えが指向している。


 敵とは誰か? が問題なのだが。


 無限管理庫の鍵は所持者から絶対に離れない作りになっており、肌に押しつければ体の中に消えてしまう。


 これでおれはボロ布を纏っただけの放浪者となった。


 とりあえず臭いのする集落の方に向かうとしよう。事情を聞かれたら山賊に襲われて身ぐるみ剥がされたとでも言っておけばいい。


 名前を聞かれたら……どうしようか?


 そんなことを考えながら歩いていたら、いきなり来たのだ。


 空腹感が。

 それも、かつてないほど強力な空腹感。飢餓感といってもいいほどだ。


 そしておれは飲食物をなにも持っていないことに気付かされた。



 ステラに拾われたのは幸運だった。

 彼女の家は集落の外れにあり、そのドアの前に辿り着いて限界を向かえてしまった。


 おそらくだが、地上に上がったことで肉体が正常な新陳代謝を求めたのだろう。もはや魔物を肉や血で飢えと渇きを癒すことはできないだろう。


 冷静に思い返せばそんなことはもうしたくない。


 ステラは蒸した芋をご馳走してくれた。家の雰囲気からこれが精一杯の食事なのだというのはすぐに理解できたので、おれは文句など言わなかった。


 それどころか、久しぶりの芋の感触。口の中で広がる塩の味に涙が出そうだった。


「そ、そんなに感動されると困るな」


 ステラが困ったように引きつった笑みを浮かべている。

 彼女は十五歳ぐらいの少女だった。おれのいた村では成人扱いされる歳だし、神官に勇者と見出された年齢でもある。


 そしていまのおれは、どうも二十歳ぐらいのようだ。


 ボロ布しか着ていないおれにステラが兄の物だと言ってくれた服がぴったりだった。

 その兄が二十歳だったから、おれもそれぐらいなのだろう。


 そう考えると、あの地下迷宮で四年間もさ迷っていたということになるのか。

 いや、四年間しかいなかったと考えるべきなのか。


 時間の感覚をいまだに取り戻し切れていないようだ。


 ステラはおれが何者かに襲われ、身ぐるみ剥がされたという話を素直に信じてくれた。そして頭を強く打ったせいか名前が思い出せない、という嘘も信じてくれた。


 なんだか、ここまで素直に信じられると罪悪感が湧いてしまう。


「……行くところがないのなら、しばらくここにいる?」


 おれが語る事情を聞き終わるとステラはそんなことを言った。


「君は年頃の女性だ」


 おれにとってはありがたい話だが、さすがに辞退する。


「大丈夫よ。わたしって美人じゃないでしょ」


 そんなことを明るく言う。

 いや、たしかに美人ではないかもしれないが、素朴なかわいさはある。


「君は十分に魅力的だ。だから、こんな得体の知れない男を側に置いておくべきではないよ」

「あら、自分から得体の知れないなんて言う人、それこそ信用できる人ってことになるんじゃないかしら?」

「いやいや……」


 誠実であろうとする人だって常に誠実でいられるとは限らない。


 恩返しはできないが、これはこのまま逃げる方がいいのではないか。

 そう思って立ち上がると、ステラは慌てた様子でおれの腕を取った。


「お願い。ここにいて」


 そう言ったときのステラの表情は必死だった。


「どうしてそんなに?」

「お願い」


 ぎゅっと目を閉じて呟くステラの態度が気になって、とりあえず今日は泊まらせてもらうことにした。


 恩返しもしないのは寝覚めが悪いしな。


「それじゃあ、名前がないと困りますよね」

「ああ、まぁな」


 元の名前を名乗って活動して、まかり間違えておれを覚えている誰かに注意を引かれたくはない。

 だからもう、あの名前を使う気はない。


 すくなくとも、おれがどういう扱いになっているのか、それを知るまでは迂闊に名乗るべきではない。


「とりあえず……ルナークはどうかな?」

「良い名前だね」


 元の名前でなければなんでも良かったのだが、おれの感想にステラは嬉しそうに笑った。


「死んだお兄ちゃんの名前なの」


 重い!


 ステラの笑みに答えられず、きっとおれの方は引きつっていただろう。


 なにはともあれ、おれの名前はルナークとなった。



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