34 悲劇の少女は合わない
なんとか生きのびた。
ニドリナは内心で呟いた。
表情はあくまでわけもわからず攫われたかわいそうな少女のままで。
このままだと、ここで慰み物になるか暗殺者の訓練を受けることになったんだろうなと思わせることに成功した。
相手はたしかに桁違いに強いようだが、見る限りは純朴な青年という雰囲気だ。
ならばこのまま騙し続け、機を見て逃げ出せば良い。
そのときには寝首を掻くことができればいいのだが。
それにしてもルナーク。
その名前には覚えがある。つい最近の依頼だ。刺客は三人送った。一人を殺すだけならそれで充分だろうし、無理だと判断して増員を要請するぐらいの冷静さは全員に叩き込んでいる。
必要なのは確実な依頼の達成であって、自己の技術を見せびらかすことではない。敵の実力を見誤ることはあってもマニュアル化された判断を間違えることはない。
刺客となる部下たちにはそれだけの教育をして来たし、そうでなければ刺客として解き放つことはしなかった。
故におそらく、その三人はルナークの実力を見誤って次手を打つ暇もなく捕縛され、この場所を吐いたのだろう。
ありえないと言いたい。
情報を漏えいさせてしまうことにも、そしてルナークがここにいることにも。
対拷問用の訓練も余念なく行った。そう簡単にこの場所のことを言うはずがない。
そしてルナークがここにいること。
あまりにも、早すぎる。
刺客を村から送ってまだ二週間ほどだ。
スペンザに到着し、対象を品定めし、殺せる機会があれば行っているかもしれない……ぐらいの日数だ。
ニドリナは確実さを尊んでいる。そのためには日数を惜しむことはない。急ぎの仕事はできるだけ断るようにしているし、そうでなければ報酬を莫大に跳ね上げるようにと自分の上にいる貴族には言ってある。
これまでに失敗がなかったわけではないが、この方針が自分たちの評価を守ってきたのはたしかだ。
それなのに……一体、なにがどうなればこんなことになるのか?
村長の家……ニドリナの家を家捜しするルナークの背中を見ながら思う。
そう。
ニドリナはこの暗殺者の村の長なのだ。
彼女はとある存在によって不老の呪いをかけられ、少女の姿のままで生きてきた。色々な変遷を経て暗殺者としてのたしかな地位を築き、貴族の呼びかけを受けて暗殺者を育て派遣する側となった。
その地位が、本日、音を立てて崩れ去った。
まぁ、それも別に良い。
環境が変わるのには慣れている。
姿が変わらないまま時を経るというのは、一つの場所で平穏に過ごすことを難しくさせる。名前や立場を変えて土地を移っていくのは今日が初めてのことではない。
「ふう……ないなぁ」
徹底的に家捜しした後、ルナークはため息交じりにそう呟いた。
探しているのは地下金庫の鍵だろう。
あれにはニドリナの金塊化した全財産が入っている。魔法で強化した金属を使い、仕組みも罠も凝りに凝った一品だ。
そしてその鍵は、ニドリナが隠し持っている。
開けるのは不可能だ。
「仕方がない。こうなったら力尽くでいくか」
軽くそう言うと、ニドリナにこの場で待つように言い、ルナークは地下へと戻っていった。
バカな奴め。
欲に目が眩んでここで自滅するか。
しかし、それならばそれでいい。殺す手間が省け、ニドリナが自由になるのが早まっただけのことだ。
雇い主である貴族に全滅を伝えにいくのはバカらしいが、義理としてそれを果たさねば暗殺者稼業に戻るのは難しいだろう。
あるいは暗殺者など辞めて他のことをするか?
金はあるのだから普通の商売などするのもいいかもしれない。交渉のための代理人を雇う必要はあるだろうが行商であれば一つの場所にとどまらないのだから自分のことを怪しまれることも少ないのではなかろうか。
そんなことを考えていると、ズン……という震動が足に届いた。
地下でなにかあったようだ。
金庫を壊すためになにかをしたのだろうが、それで金庫が壊れることはなく、逆に罠を作動させる結果となる。
逃げ場のない致死毒のガスが狭い部屋に充満し、その間、隠し扉は自動で閉まり、決して開くことはない。
罠を発動させた愚か者はガスが満ちた部屋でもがき苦しんで死ぬことになる。
まったく、ざまぁみろとはこのことだと、ニドリナは邪悪に微笑んだ。
ガスが効果を失い、隠し扉が開くようになるまで数時間、その間に脱出の支度をするとしよう。
そう考えて、彼がまだ見つけていなかった地下倉庫の隠し戸を開けて、中から装備の詰まった背嚢を引っ張り出したときだ。
「……へぇ、そんなところにもあったのか」
背後から聞こえた声に、ニドリナは硬直した。
「なっ!」
振りかえると、そこにはなんでもない顔で立つルナークの姿があった。
「どうして……?」
「うん? 金庫の中にあった金塊をいただいて戻ってきたらニドリナがそれを開けてるところだったんだけど?」
嘘だ!
と叫びたかったが、中にあったのが金塊と言い当てられ、ニドリナはなにも言えない。
では、彼は本当に金庫を開けたのか?
どうやって?
そしてどうして生きてここにいる。
「罠のことは最初からわかっていた。出てくるのが毒ガスだとわかっていれば、対策はいくらでも。ただ、めんどくさいからできれば正規の鍵で開けたかっただけだよ」
ルナークの周囲に半透明のなにかがいることに気付き、ニドリナは悲鳴を上げたくなった。
風精だ。
どういう手段か、ルナークは小さな風の乙女たちを大量に召喚し、自分の周囲にガスを寄せ付けないようにしていたのだ。
そしてまさか……金庫を破壊したのか?
できたのか?
「ど、どうやって……金庫を壊したの?」
振るえながら、それでも哀れな少女の演技を続ける。
それに意味があるのかどうかわからないが、自分から正体を明かす必要もない。
まともに戦って勝てる目がないことはすでに理解しているのだ。
ならば戦い以外で生き残る方法を見つけなければ。
「もちろん、ぶった切った。【斬鉄】って知らないかな?」
もちろん知っている。剣士系の上位称号『剣豪』に存在する特殊攻撃だ。金属破壊技の一種だが、あの金庫にはもちろんそれら用の対策も施してあった。
それなのに、壊したのか。
【斬鉄】を使い、あれを破壊することができるということは『剣豪』の上位、『剣鬼』でも不可能のはずだ。ならば『剣聖』か?
こんな若者が『剣聖』の域に達しているというのか?
しかも風精を召喚するということは『精霊使い』の称号も持っているということになる。
『剣聖』に『精霊使い』にそしてこの見た目。
ニドリナのように不老の呪いを受けているならともかく……いや、そうなのか?
「さて……」
「あっ……」
ニドリナが持っていた背嚢をルナークが奪い、中身を見られてしまう。
「ま、前に村長さんがそこに隠してたのを見たから」
表向き、この村を運営していたのは村長を演じていた男だ。ニドリナはその娘として常に側にいた。配下たちだってニドリナが本当の長だとは知らなかった。もちろん、成長しないニドリナの存在を気味悪く思っていた者たちはいただろうが、暗殺者たちは訓練と依頼によって常軌を逸した精神性を持つようになり、ニドリナのような存在がいることさえ受け入れてしまう。
「ふうん」
そんなニドリナの言い訳をルナークは聞き流したようだった。
背嚢の中身は暗殺者たちの制服となっている装備のオリジナルだ。引っ張り出して広げれば全てがニドリナのサイズだとわかってしまう。
いや、もうわかっていると考えるべきか?
ニドリナは不老ではあっても不死ではない。この危機を乗り越えるには相手を倒すしか方法はないのではないか?
「……ところで、商談があるんだけど」
いままさに殺すかどうかを考えていたところで、ルナークがそんなことを言った。
「しょ、商談?」
思わぬ言葉にニドリナは戸惑う。
「おれの仲間になってちゃんと働けば、あの金塊を返してやってもいいぜ」
すでに看破されていた。
「……断ったら?」
「殺す。見た目で殺されなかったと思うなら勘違いするな。お前は交渉の余地がありそうだったから殺さなかっただけだ」
それを嘘だと嘲るには、ルナークの実力は突出しすぎている。
「わかった」
生きるという前提条件を覆さない限り、ニドリナにはこの選択しかなかった。
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