32 暗殺者とは合わない
冒険者の姿が崖の底に消えていく。
夜を見通す目を獲得した彼らをもってしても、その距離には限度がある。
豆粒のようになって消えた標的の姿を見届け、彼らは死体を確認するために自分たちのザイルを岩に打ち付ける。
さあ下りようとしたところで、一人が落ちていった。
音もなく、叫びもなく。
静かに運命を落としていく仲間の姿に、他の二人は即座に地上に戻った。
そこに、先ほど落としたはずの姿がある。
つまりそれは、おれだ。
「どうして? って聞かないのか?」
と、問いかけてみたが暗殺者たちは返事をしてくれなかった。
「山賊の類なら問答無用で殺す。暗殺者なら依頼人を吐くまで殺さない。お前たちは……」
と、喋っている間に連中が動き、それでどちらかわかった。
声もなく逃げ出したのだ。
そんなことを山賊がやるか?
「だがまぁ……逃がさないんだけどな」
すでに仕込みはできている。
奴らは気付かなかっただろう。すぐ背後で霧が広がっていたのを。結果的にその霧の中に飛び込んだことになるのだが、おかしいとは思わなかったのだろうか?
おかしいと思っても、もう遅いのだが。
その霧を操っているのはイルヴァンだからな。
霧から伸びた白い手は逃げようとした二人を掴み、驚いた二人は彼女の目を直視する事になる。
吸血鬼の持つ【魅了】が二人に突き刺さる。
研ぎ澄まされていた空気が即座に弛緩していく。芯を抜かれた暗殺者二人はイルヴァンを見ながらへらへらと笑っている。
おれは影獣の口を開けて落としたはずの一人を吐き出させた。
暗殺者なら依頼人がいるはずだ。
【魅了】が彼らの口を柔らかくしてくれていればいいのだが、そうでなければ……。
さすがにおれも、拷問はやったことがないんだ。
†††††
スペンザから馬車で一週間ほど行ったところにある片田舎。
一見すれば平凡な農村のように見えるが、その内実は違う。
とある貴族が後ろ暗い人々のための後ろ暗い商売を考えつき、それによって他人の秘密を握ろうと考えた。
その貴族は考えた商売を実現できる人材を丁寧に捜索し、素質のある者を集め、育成できる場所を用意し、そして商売を始めた。
その商売はほとんどの部分が成功したが、秘密を握る部分においては失敗してしまった。仲介の組織は幾重にも重なり合い、決して依頼人の正体が明らかになることはなかったのだ。
貴族たちの政治的怪物さをたった一人で御すことなどできなかったということだ。
彼はただの実行部隊を保持するだけとなったが、それでも十分な見返りはあった。だから実行部隊の村はいまでも存在し、仕事をこなし続けた。
そんなところに、おれの姿はあった。
暗殺者たちから情報を引き出して数時間。スペンザでちょっとした確認をしてから全速力の飛行魔法を使用して到着したときには朝だった。高度が上がると呼吸が辛くなるなんて初めて知った。隠蔽の魔法と並行して少し低めに飛んで来たが、あちこちで騒動の種を残してしまったかもしれない。
着陸は静かに行った。
聞けた情報の限りではおれを殺そうとした依頼人はわかりようがないが、地上に戻ってからの行動を考えれば因果関係は簡単に繋がる。
こんな連中に金を払ってまでおれを殺したがるような人物となると思いつくのは一人か二人……。あるいはその関係者。
だから、スペンザでテテフィの安否を確認してからここに来た。
そいつらをどうしてやるか……は、まだ決めていないがこの結果を知ってなんらかの教訓としてくれれば嬉しいように思う。
殴られれば殴り返すぞ。
しかも過剰に。
「あら、あなた……どこから来たの?」
ドワーフの魔太子から奪った剣……黒号を腰に吊るしたおれに、空の桶を抱えたおばさんが戸惑い気味に尋ねてくる。
おれは、そんなおばさんに左手で隠していたものを顔に当てて見せた。
暗殺者が顔隠しに使っていた特殊な形のバイザーだ。それ以外の格好と合わせて全員が同じものを使用していたので、ここの連中の制服みたいなものなのだろう。
カッコイイのでもらうことにした。なにかの拍子で使えるかもしれない。込められた魔法的性能も現実的だしな。
「お仕置きに来たの」
茶目っけたっぷりに言ってみたが、おばさんからは「かわいい!」という反応はいただけなかった。
代わりに、桶で隠していたナイフで迫ってくる。
おばさんにしては見事な距離の詰め方だ。
「だけど遅い」
抜剣によって起こした黒い旋風がおばさんの手をかき消す。
突然の事態におばさんはきょとんとした顔の後に自分の手がなくなっていることに気付いた。
愕然としていたが悲鳴は上がらなかった。
両手がなくなった精神的衝撃をみせることなく、靴に仕込んだナイフを腹に突き込もうとしたので首を刎ねた。
なるほど、とことん音を消し去って行動する。
彼らは本物の暗殺者。静寂の夜に生きる戦士たちなのだ。
だが……。
おれは騒々しいかもしれないが、彼らに負けないだけの戦いの経験がある。
消音に気を使った矢が飛来してきたが、それらをことごとく切り落とす。
いや、切り食うとでも表現すべきか。
「こいつは少々、食い意地が張ってるなぁ」
黒号の切れ味ならぬ噛み味におれは呆れる。
黒号は剣という形を待機形態とした金属生命体だ。
ゾ・ウーは鍛冶師ではなく錬金術士だったということだ。しかもたいした技倆なのだろう。こんな物の話は聞いたことがないので、良い物を手に入れたということになる。
いまは、こいつの使い方を独学している最中だ。
ゾ・ウーの見せた【狂餓解放】の再現はすぐにできたが、あれは制御のできない使い方だ。時間切れまで待つか、殴らないと止められないなんて笑い話にしかならない。
制御できない力なんて未熟の証明でしかない。
だからこそきっちりと調べている。
これもその成果の一つだ。
「払暁に暗殺者退治とは締まらないが……少し伸びろ、【蛇蝎】だ」
そう命じると、剣の形をしていた黒号が鱗状に分裂し鞭の形に変化する。
それをどう使えばいいか、それを教えてくれるのはおれの中にある称号『武聖』の力だ。『剣聖』と『拳聖』を所持したときに発生する称号で、これによって獲得する特殊能力【武芸百般】があらゆる武器の使い方をおれに教える。
黒号は武器と生物の融合ということもあってその本質を暴く役には立ってくれないが、武器形態の使い方までは戸惑わない。
蛇の胴の如く、あるいは蠍の尻尾の如く伸縮する蛇腹状の剣がおれの周囲を乱舞し、【透過】によって姿を消していた暗殺者たちが噛み削られていく。
けっこう痛々しい傷ができているのだが、やはり悲鳴は上げない。
たいしたものだ。
痛覚が麻痺するような薬物でも使っているのか、それともたいていの痛みには慣れてしまっているのか。
経験しているからわかるが、あれはけっこう辛い。
四肢損壊レベルの負傷なんて、あの場所ではよく起きていた。切り捨てられたり、握り潰されたり、焼き尽くされたり……バリエーションはとても豊富だ。偽魂石がなければ死んでいたようなものだってある。心臓や頭蓋を破裂させられたり、石にされたり、即死魔法を受けたこともある。
暗殺者たちがそういったものを訓練として受けているのだとしたら……なんというか壮絶だなと同情してしまう。
やることは変わらないけどな。
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