222 西より天騒ぐ 02
嫌な気配に外に出てみれば、そこには地面を割って無数の死者があふれ出る光景が広がっていた。
墓場に土葬された死者たちが不死系魔物となって甦ったのだ。
まだ昼だ。
墓参りに来ていた者や普通の神官たちが地面から顔を出すゾンビに悲鳴を上げる。
瞬時に気配を消したニドリナはゾンビたちでは見つけることもできない。彼女は完全な傍観者となり、目の前で起ころうとしている悲劇を眺める。
「どういうことだ?」
いまさら不死系魔物が、しかもゾンビが出てきた程度で驚くニドリナではない。
だが、都市内の墓場で現れたということには驚かざるを得ない。
本来、神殿や神官が管理をする墓場で不死系魔物が現れるはずがない。そうでなければ神殿の存在意義の一つが崩壊する。
それは神に傾倒する吸血鬼が管理する墓場であっても例外ではない。
「我が主が長年をかけて仕込み続けた計画が動き出したのです」
「さっきも言っていたな。なんだそれは?」
「見ればわかりますよ」
日陰の中から出ることのない吸血鬼に示されるまま、ニドリナはゾンビに襲われる哀れな被害者に目を向けた。
助けに行こうという心理はニドリナにはなかった。
もはや間に合わない。墓場の中心でゾンビに囲まれた哀れな女性は死を悼んだ相手のひと噛みによって頸動脈を引きちぎられて絶命した。
ここまでは不死系魔物の悲しい被害という定番の光景だ。
ニドリナは後に続く他の悲鳴を無視してその被害者に注目した。
地面に倒れたその女性をゾンビたちは放置して次なる被害者を求めて移動していく。彼らは食欲から行動しているのではない。ただ、自身からは失われた生を憎んで行動するのみだ。
死を誰にも看取られることのない女性は首から抜けていく命の残滓に喘ぎ、ついにその目から火が消えた。
変化はその瞬間に訪れる。
止まった心臓は動かぬまま血管に黒く浮き上がらせた。別の何かがそこを通り抜け、その熱で血液が黒く凝固したのだ。
そして死者が起き上がる。
新たなゾンビは生への怒りに表情筋を強張らせ、死者の列を進んでいく。
「感染する不死か……確かに厄介だが、さほど珍しい現象でもないだろう」
不死系魔物を生み出す魔法は禁忌の存在とされ、吸血鬼や一部の高位不死者が本能のように使うのみとなっている。
普通の不死系魔物は己の不死を他者へと感染させることはない。吸血鬼に吸い殺された場合、処女や童貞であれば吸血鬼となりそれ以外はゾンビになることもあるが、普通のゾンビやグールに食い殺されたからとその死体が即座に同類となることはない。
自然発生的な不死系魔物には必要な条件というものがある。
その条件をもっと低くし、爆発的感染力をもってゾンビたちを増やそうという試みは人間の長い歴史の中で何度か行われ、そして防がれてきた。
「ゾンビが増えるだけならさほど脅威ではない。今回は墓場から出てきたのだから多少の被害は出るだろうが、騎士や冒険者たちが態勢を整えたら終わりだ」
「ええ、普通ならばそうでしょうね」
ニドリナの言葉を神官吸血鬼は否定しなかった。
「ですが、今回は違います。ほら、よく見てごらんなさい」
「む?」
「わかりませんか?」
「これだけ数が多くては細かい違いまでわかるはずが……」
そこまで言ってニドリナはそれに気付いた。
「数が、多すぎる」
「その通り」
ニドリナの言葉に神官吸血鬼は頷いた。
「これこそが我が主の秘儀【死蔵される存在意義】。感染系ゾンビによって刈り取った命を使って己の領域を拡大させるというものです」
「己の領域、だと?」
「古代人の迷宮はご存じでしょう? あれは我が主やあなたの知り合いのような方々が作ったものですよ。なんのために作っていたのかは私のような者には理解できませんが、迷宮でのみ存在できる特殊な魔物がいることはご存じでしょう?」
神々の試練場にしろ古代人の迷宮にしろ、そこには迷宮独自の普通の方法では外に出ることのできない魔物がいる。
それらは迷宮独自の力によって作られた疑似生命体であり、死ねば何も残さずに消滅する。神々の試練場ならなんらかの恩恵が存在することもあるが、古代人の迷宮の魔物がそういった物を落とすことは少ない。
「感染系ゾンビに紛れて迷宮産のゾンビが現れる。迷宮産のゾンビにも感染能力がある。殲滅の態勢が整うのが先か、国が亡びるのが先か」
「迷宮の魔物が現れるということは、この国そのものが迷宮に取り込まれている……ということなのか?」
「そういうことなのでしょう。細かい理屈を私に尋ねられても説明できませんが」
不意に、神官吸血鬼が日陰の中から草を踏み鳴らした。
吸血鬼らしからぬその音に街中へと向かおうとしていたゾンビの一部が神殿へと向きを変える。
「なんのつもりだ?」
「そろそろ罰をいただこうかと思いまして、ね」
枯れ枝のような神官吸血鬼は力のない笑みを浮かべていた。
「主により血を吸われて幾年月。神に見放され奇跡を操る術を失いながら、それでも神の力にすがってこの地にい続けた。あなたたちのような者たちに影の術を教えたのは、いつか主を殺す者が現れないかと願ってのことでした」
ゾンビたちは迷うことなく日陰から出ることのできない吸血鬼へと向かっていく。彼らにとっては吸血鬼もまた生ある者なのか。
「…………」
ニドリナは無言で神官吸血鬼から離れる。足音のない彼女にゾンビが近寄ることはない。
「私の努力は実を結ばなかった。だが、あの方の死はすぐそこに迫っている。見えるぞ、天を奔るはまばゆき雷鳴。それに抗うは地より揺らぎし積年の歪み。はははは、私の人生が終わるには最良の日だ」
そう言って神官吸血鬼は一歩、日陰より出た。
曇天の空を潜り抜けた陽光はそれほどに弱くとも一人の吸血鬼を殺すに足る力を秘め、彼の体に火をつける。
群がるゾンビに押しつぶされながら、吸血鬼は燃える。
彼の最後の炎は多くのゾンビを巻き添えにしたが、しかしそれは全体を見ればほんのわずかな数でしかなかった。
「なんなんだ」
残されたニドリナは混乱の中、影を渡って墓場から脱出した。
地より放たれた悪意はすでに墓場だけでなく王都ラーラン全体に染みこんで、ニドリナよりも大きな混乱となって空を震わせていた。
あちこちからゾンビが現れては人々に襲い掛かる。ゾンビたちの動きは緩慢だが、恐るべきはその数だ。逃げ場は見る間にふさがれていき、圧倒的数の前に抵抗は無意味となる。
あちこちで冒険者や騎士たちと思われる者たちの抵抗が続いている。それらは王都の外を目指すか、あるいは王城へと向かっていく。
その中の一つ、王都の外へと向かう抵抗にニドリナの目が行った。
「おお⁉ ここはどこだぁ⁉」
「そうだな。だが関係ねぇ! 敵がまた増えたぞ!」
「たしかにたしかに!」
「ひゃっはぁぁぁぁぁぁ‼ 蹂躙だぁ‼」
「やれやれ、リンザさん。出口がどちらかわかりますか?」
「いえ、この数では。それにここは初めての場所で」
「わたしはわかります。あちらです」
「助かります」
「早く脱出しましょう。このままだとまた消化不良になってしまいそうです」
嬉々としてゾンビたちを屠っていく無軌道な集団は、何人かの理性ある者たちの行動でなんとか進行方向を定めているようだった。
その中の何人かを、ニドリナは知っている。
場違いな黒い少女はノアール。あいつの剣。
年嵩の神官戦士は戦神の大神官ラランシア。
それ以外の連中の無茶苦茶な戦い方を見るに、あいつが爵位を得た先で部下にしたという狂戦士団だろう。
ニドリナはさっそく、その場所に影を渡って移動した。
連中の陣形内に突如として現れたニドリナに何人かの刃が問答無用で襲いかかってくる。
「慌てるな、味方だ」
本当に狂戦士だとしたら無駄な言葉なのかもしれない。実際、何人かは動きを止めたが、止めなかった者の方が多かったし、さらにそこに加わろうとしている者もいる。
「味方だと言っている」
「やめろ! 敵はゾンビに限定しろ!」
これで言って聞かなければ一人ぐらい殺して見せるかと考えていると、赤銅色の女性の言葉で狂戦士たちは剣を向けるのをやめてゾンビたちに改めて向かっていった。
「あら、あなたは確か、アストルナークのお友達、だったかしら?」
「不本意な仲間だ」
「やっぱり。たしか、ルニルアーラ様の護衛をしていたのではなかったかしら?」
「様子を見てこいと言われたんだ」
「ああ、任務が終わって戻ってきたのですね」
「違うっ!」
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。性格は悪いですけど、良い子ですよ」
「待て、大神官。自分の言っている矛盾に気付いているか?」
「事実ですから。今もこうして、私たちを危険地帯から逃がしてくれましたし」
「ここも十分に危険地帯だと思うぞ」
「あそこよりはマシです」
そんなやり取りをしながら、ニドリナたちは王都の外へと向かった。
だがそれは簡単な道ではなかった。
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