215 蒼血の賭博場 03
タイタニスは一人だった。
ランザーラ王国の第二王子として生まれ、王位を継ぐ兄の予備として生きてきた。
兄が死なない限りは用のない人間だ。
他の貴族たちが色々と自分に期待しているのはわかっていたが、それに乗る気はなかった。
予備の人生は気楽だし、無事に兄が王位を継いだ時には婿養子となる貴族の家も決まっていた。
人生に何の不満もない。冷気のきつい、人に優しくない土地ではあってもその厳しさはタイタニスにまで届くころには優しい風となっていた。
それは単に、タイタニスが現実を見ていないだけなのかもしれない。
だが、現実を見る必要もなく幸せに生きていられるならそれに越したことはない。
見目の麗しい王子。婚約者の令嬢も彼に王位を継ぐことを求めてはいなかった。それでいい。求められていない。予備なら予備のまま、こんな厳しい国の王になんてならない方がいいに決まっている。
兄のことは尊敬しているけれど、兄のようになりたいと思ったことはない。
その兄が、突然にいなくなった。
ある日突然に父親であるランザーラ王ゲドシュに呼び出され、兄が廃嫡となりタイタニスが王太子になったことを告げられた。
なんの予兆もなく、兄は姿を消した。
父に尋ねても他の誰に尋ねても兄、第一王子ストルードの所在を知る者はいなかった。
兄、ストルードはタラリリカ王国との戦争で矢傷を負い、病気を発して死亡と発表することも決まった。
兄が戦争に行っていたなんて事実はないはずなのに。
なにかがおかしい。
そういえば、戦争が始まる少し前から兄の周りには見知らぬ者が付いていた。不快な男だった。
どうしてそう思ったのかはわからないが、気に入らなかった。
幸福の中にいたからこそ、逆に分かったのかもしれない。あれは幸せを拒否している。あるいはタイタニスの幸福を破壊するものだと。
強い香水の匂いで誤魔化していたが、あの男からは凍った墓場の臭いがしていた。
ダンゲイン伯爵に付いて行こうと思ったのは……そういえば、なぜだったのだろう?
彼に付いて行けば兄に会えると、誰かに囁かれたのだ。
そういえばあれは、誰だったんだ?
どうしてあの時に限って、一人で行動することができたのだろう?
そして……。
「ここはどこだ?」
ダンゲイン伯爵と噂の狂戦士団とともに雪深い北へと進んでいき、知らない城に辿り着いた。
そして、城に入った。
そこまでは覚えている。
だけど、その先が思い出せない。
「どうして僕は、ここにいるんだ?」
真っ白な部屋にタイタニスはいた。
テーブルを挟んでソファが置かれ、タイタニスはその片方で眠っていた。
気が付いて辺りを見回しても誰もいない。
雪よりも濃密な白に包まれた空間は、壁があるのかどうかさえもよくわからない。とても近くにあるような気がすると同時に、壁なんてどこにもないのだとも思わせる。
立って確かめればいいのだけれど、その勇気がわかない。
虚無の中にソファとテーブルが浮いているだけのような気がして、タイタニスは床に足を置くことさえ怖かった。
「ここは、どこなんだ⁉」
「部屋だ。当たり前だろう」
恐慌の一歩手前で叫ぶタイタニスを冷静な声が咎めた。
「に、兄さん⁉」
いつのまにか、向かいのソファに兄のストルードが座っていた。
「兄さん! どうしてこんなところに?」
「お前こそ、どうしてここにいる?」
「それは……兄さんを探すために」
「どうして探す?」
「え?」
「俺がいなくなればお前が王になる。それが決まりだろう?」
「そんな……僕は、王になんてなれないよ」
「なぜだ?」
「だって、わかっているだろう⁉ 僕は能力では兄さんに全然かなわない。できることなんて何もないんだから」
「王なんて、誰がなっても同じだ。ただ堂々と貴族たちの前に立っていればいい」
「……それなら、どうして兄さんは?」
廃嫡になんて、なってしまっているのか?
「一体、兄さんになにがあったのですか?」
「お前は、ここがどこかわかっていないのか?」
ストルードは心底不思議そうに首を傾げて弟を見る。
「ここって……? さあ? こんな雪深いところに城があるなんて知らなかったけど、何かの廃墟じゃないの?」
そういえば、ここに来たのはゾンビたちの大量移動を追いかけた結果だった。
ダンゲイン伯爵は何か確信があるような顔でそうしていたけれど、一体、ここはどこなのか?
なにが起きているのか?
いや、そんなことより、いまは兄さんだ。
兄さんを見つけたんだ。
タイタニスの勘は当たっていた。
いや、勘ではないのか?
誰かに、そう囁かれたのではなかっただろうか?
それは誰だ?
「そんなことより兄さん、一緒に城に戻ろう。兄さんの元気な姿を見れば、父さんだって廃嫡が間違いだったって気付くよ」
「…………」
能天気なタイタニスの言葉に、ストルードは静かに首を振った。
それは弟の提案を拒んでいるようにも見えるし、またその愚かさを嘆いているようにも見えた。
「お前は、あの男を見たのか?」
「あの男?」
「化粧の濃い、気取った男だ。香水臭い……」
「それ、兄さんの取り巻きのことだろう?」
「なに?」
「兄さん、いつも側に置いていたじゃないか」
「なんだと、そんなバカな……いや、そうか、そういうことか…………」
「なんなんだい?」
「タイタニス、俺はな……王になんてなりたくなかったんだよ」
「な、なにを言うんだい?」
「こんな国の何が楽しい? 雪ばかりで辛いばかりで……どうしてこんなところで暮らしていかなくてはいけない? 民からはうらやましがられるばかりで、尊敬なんてされない。俺たちがどれだけこの国を良くしようと努力しても、その全てを雪が飲み込んでいく。こんな国……もう、まっぴらだ」
「兄さん。そんな……」
そんなのは、困る。
兄の悲痛の叫びにタイタニスは混乱していた。王の重圧に負けてしまっていることはわかるが、負けられては困るのだ。
タイタニスは何も変わりたくはない。
変わらない生活を送りたいだけなのだ。
そしてそのためには、兄が王になってくれなければ、困るのだ。
「兄さん、兄さんが弱気になるのもわかるよ。だけど、兄さんならきっと良い政治ができると僕は信じてる。だから、帰ろう」
「もう、帰るなんてできないさ。そして、お前もな」
「え?」
「どうしてお前がここにいる? いいや、知っている。ダンゲイン伯爵とともに来たのだろう? だが、どうして城を抜け出して伯爵と一緒に来た? お前はそんなことをするような人間じゃないだろう。一人で城を抜け出すなんて考えたこともない。お前にとって世界とは、あの城の中だけなんだからな」
「そ、それは……」
「俺を心配していた? 心配していたとしてもお前が一人で行動するなんてありえない。よく思い出せ、タイタニス。お前は、誰に言われて、こんなことをしようと考えた?」
矢継ぎ早に並べられる兄の言葉にタイタニスは溺れそうになりながら、記憶を掘り返す。
誰に、言われた?
誰に?
「あ、あああ、あああああああ!」
唐突に記憶がはっきりとしてくる。
自分の側に、誰かがいる。いつのまにか、当たり前のように。
タイタニスの隣にいて、囁きかけてくる。
そしていつしか、その言葉の通りにタイタニスは動いてしまっていた。
「そんな……そんなバカな!」
「つまりはお前も、逃げられなかったということだ」
憐れむ視線でストルードが弟を見る。
「だが、そう悪いことではないぞ。ここにいれば、お前の望み通りの生活を送ることができる。悩みなんてほとんどなく、雪の厳しさを恐れることもなく、安穏とした時間が流れる」
そう言いながら、ストルードは喉を撫で、そしてそれによって視線がその場所に導かれる。そこにあるのは二つの盛り上がり。
うじゃじゃけた二つの穴。
「きゅ……吸血鬼」
その噛み痕。
「お前もこうなってしまえばいい。どうせこの国はもう終わるんだ」
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よろしくお願いします。
アキバblog様にて「庶民勇者は廃棄されました」1巻の記事が掲載されました。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51584668.html
第一巻発売に向けて6月中から発売日6月25日周辺まで不定期ながら更新していきたいと思います。
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