202 狂戦士と吸血鬼の狩り場 5
その日の俺は戦場跡を検分していた。
場所はタラリリカ王国とランザーラ王国の国境が接する荒野。
はるか昔の協定によって行商人や旅人たちが使う街道があるが、あの周辺にはお互いに厚い城壁を備えた検問所が設けられているので、そこを避けて進むことになる。
「……ここに穴があった……か」
「…………はい」
頷くイグニスは口元にハンカチを当て、臭いを吸い込まないようにしている。
死体はきれいに片付けられているはずなのだが、腐臭が地面から吹き上がっているのだ。地面に染みこんだ血の量がそうさせているのだろう。
腐肉を求めて狼や山犬などの肉食獣やうろつき、地縛した霊を食らわんと不死属の魔物たちが集っている気配がする。
その気持ち悪さにイグニスが忙しくなく周囲を見ているが、俺はじっとすでに埋められた穴を見つめた。
ここにあった落とし穴にガルバーズのじいさん他狂戦士たちは誘導され、そして落ちた。
そして死んだ。
死後は死体処理のためにこの穴は使われたようだ。
持ち帰る必要のない死体が投げ込まれ、土をかけられた。
幾重にも折り重なった死体からの腐臭が、土の層を抜けて吹き上がっている。
「……まさか、掘り返されるのですか?」
あまりに俺がじっと見ているのでそれを心配したのか、イグニスが怖々と尋ねてくる。
騎士を名乗るにはこの少年はあまりにも精神が細い。掘り出して虫の集った死体でも見ようものなら卒倒してしまいそうだ。
こんなのが近衛騎士とか、本気か?
近衛騎士と言えば、一般的には国王や王族の護衛を専門にする腕利き集団のはずだ。少なくともタラリリカ王国ではそうだ。
国王のお楽しみ部隊の一員の方が正しいんじゃないのか?
と、思いはするがそんなことは他国の事情なので知ったことではない。
そのことに刺激されて俺が考えるのは、ルニルアーラがお楽しみ部隊を作るようになったらどうしようというということだ。
いや、別に良いんだけどさ。
愛人の立場は望んでいるが正式な婿となることは拒んでいる。ならば彼女が王配とか呼ばれる婿を選んでもいいし、それこそお楽しみ部隊を作ったって良い。
はたしてルニルアーラがそんな部隊を作ったとしたら、どんな男たちを集めるのか?
それを考えるのが少し楽しかったりもした。
濃厚な腐臭を前に俺も現実逃避していたのだが、そんなときにちょっとした変化を見つけてしまった。
少し離れた場所で土が動いている。
「はっ!」
俺の視線に気付いたイグニスは息が止まりそうなほどに顔を青くして硬直した。
はたして予想通り、土がめくれた先に現われたのはあちこちで骨が剥き出しになりながらも動く手であり、そこから下の部分だ。
死体たちが魔物の気を受けてゾンビに変じたのだ。
「戦場の処理が甘いとこういうことになるんだったか?」
「ひえっ! は、はい! そうです」
足下にあるだろう他の死体を踏み台にして地上に上がってきたゾンビたちの惨状にイグニスは気絶寸前だ。
「……ということはこの下にある死体はほっとけば全部不死系魔物になるのかな? 掘り返すより待ってる方が作業としては楽だが、効率としてはどうか」
「そんなことを言ってる場合ですか!?」
逃げましょうとせっつかれるので仕方なく距離を取る。
「というか、なんでいまさらビビるかね?」
俺としてはそれが信じられない。
ここにある死体がゾンビ化しつつあることは、すでにわかっていたことだ。
ここに来る前に近隣にある村々で聞き込みをした。
ガルバーズのじいさんが生きているかもしれないという態で情報を集めていたのだが、あいにくとじいさん負傷兵の話を聞くことはなかった。
本心はこの近衛騎士をどうするか、その意見を聞くために【交信】を使う隙を作るためにうろついていた……という方が正しい。
狂戦士団にも指示を飛ばさなくてはいけなかったし、意外に忙しいのだ。これでも。
付けられた案内役が欲に汚れた俗物であったなら適当に鼻薬を利かせてどこかで遊んでいてもらうのだが、純粋な目をした若者にはそういう手段は通じそうにない。
同時に若者ならそれほど目端は利かないだろうし、抑えられもしないのだから付けておけと言われてしまった。
それからも仕方なく聞き込みをしているときにゾンビ化の話を聞いたのだ。
野ざらしの死体が不死系魔物と化すのはよく聞く話だ。
むしろそうでなくては、不死系魔物はどこから現われるのか? という根源的な疑問に行き着くことになる。
なので戦場の死体処理は、その後の不死系魔物の被害を抑えるためにも手抜きの許されない作業なのだが、それでもゾンビなどの低級な不死系魔物は発生してしまう。
この辺りの村は昔からタラリリカ王国との戦いによる死者がゾンビとなってうろつくのを体験しているので、それほど驚きはしないらしい。一体二体のゾンビならば慌てることなく人を集めて農具で押さえつけ、動けなくしてから焼くのだそうだ。
しかし今回はゾンビ化するのが早いし、そして数が多いと聞き込みをした村々で嘆かれていた。
普通なら、もっと腐敗が進んでからゾンビ化するのだという。
なによりここは寒いランザーラ王国だ。ただ土に埋めただけでは腐敗よりも先に死体は凍結することになる。そして、凍りきった死体は溶けるまでゾンビにならない。
あるいはなったとしても動けない。
そんな村人たちの経験から生まれた常識が、今回は無視されている。
おかしなこともあるもんだと、俺たちは戦場跡へ直接検分することに決めたのだ。
そしていま、俺たちはじいさんが死んだという落とし穴跡から次々とゾンビが湧いてくるのを眺めている。
「に、逃げましょう」
「いやいや、だから逃げてどうするんだよ?」
戦場跡を検分しに来たのはなにもゾンビ発生の瞬間を見学するためではない。
「こいつらがどこに行くか見たいだろ?」
聞き込みした村人たちはもう一つ、共通した証言をした。
それは、ゾンビたちはみな、同じ方向に向かって歩いていったと。
本来なら無目的に生あるものに襲いかかる習性を持つゾンビが、目の前の村人を無視して歩き去っていったというのだ。
「どこかで誰かが不死系魔物の兵隊を集めているのだとしたら? 貴君はそれを確かめることなく逃げるのかね?」
「そ、そんな……」
「そんな弱腰でこの国を背負えるのか? 第二王子殿」
「なっ!?」
イグニスはゾンビどもへの恐怖を忘れて俺を見た。
「……どうしてわかったのですか?」
「俺が美童好きだとかいう間違った情報でも手に入れてない限り、君のような少年騎士が付くはずもないだろう?」
茶化して笑う俺だが、本当のところは【交信】で伝えた容姿の情報から「もしかしてそれって第二王子のタイタニスじゃないだろうな?」「まさか、ははは……」という会話が起きたことを覚えていたからだ。
そのときは「まさかそんな迂闊なことはしないだろう」という結論になっていたが、王族は案外、迂闊なことをする種族なのではなかろうかと俺は思っている。
ほら、ルニルアーラも冒険者の真似事をして鬱憤晴らしをしていたしな。
とはいえ、外したらなかなか恥ずかしい結果になっていたのだが、どうやらそうならずに済んだようだ。
「ほう、情報通りだ」
険しい目で俺を見るイグニス……ならぬタイタニス王子から目を離し、ゾンビたちを見る。
連中はすぐ側にいる俺たちを無視して移動を開始した。
これもまた村人からの情報通り、北へと向かっている。
「どうする? 追いかけてみるかい?」
「……はい」
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