197 白い彼女は吸血鬼に好かれる 5
どうもテテフィが気に入らなかったのは夕食の席にノアール(人型)がいたことだったようだ。
女心は難しい……と思ったが、すぐにそうでもないかと考えを翻す。
俺だってテテフィが夕食に知らない男を無断で連れてきたら機嫌が悪くなるだろうな。
リンザとは最初から別行動するつもりだったが、ノアールは武器だから意識から外れてた。
今後は気をつけよう。
それとなく伯爵領に来ないかと誘ってみたのだが、彼女は冒険者ギルドに残ると答えた。
彼女の決断に異論を唱えるつもりはなく、俺はわかったと頷くのみだ。
ともあれこれで、俺が冒険者ギルドに行く理由が残ったわけだ。
あるいはテテフィはここまで考えてくれて残ることを選んだのだろうか?
俺が冒険者に未練を残していることを読み取ったのだろうか?
だとすれば頭が下がる思いだ。
ともあれ、ちょっとした行き違いと運命のイタズラで起きた今夜の騒動は、こうして幕を閉じた。
……いや、閉じてないな。
テテフィを冒険者ギルドの寮へと送って、俺も久しぶりに冒険者の宿へと向かう。
幸いにも俺の部屋は片付けられていなかった。
起きっぱなしの荷物は着替えなんかの生活品ばかりだし、それほど置いてもいなかったが、埃っぽさの中に染みた慣れたにおいにほっとしつつベッドに転がる。
影が入り込んできたのはすぐだった。
「イルヴァンか?」
「……はい」
答えると影から彼女は姿を見せたのだが、その表情は曇っていた。
「どうした?」
「すいません。逃がしました」
「おや? 手強かったか?」
「次は殺せます」
そう断言はするものの、イルヴァンは悔しさを滲ませたままだ。
「ただ、奴の方が吸血鬼として一日の長がありました」
つまり、経験の差で逃げられたってことだな。
「……さて、どこに逃げたかな?」
【天通眼】の試験にはちょうど良い。
一度その目で見ているし、そのときに特定できる情報はもちろん手に入れている。
通常ではない手段で逃げた吸血鬼まで追いかけられるとなれば、こいつの有用性はとんでもないことになるな。
吸血鬼だから動くのは夜だけだろう。
【天通眼】を働かせてスペンザの周囲を調べさせると、西に向かって移動しているそいつを見つけた。
狼に変じたそいつは街道を避けた大山脈に近い側を走って移動している。
迷いのないその移動はただ危険地帯から遠退こうとしているだけではない。
なにか、目当てのものがある雰囲気だ。
「こいつは……もしかしたら吸血鬼の根城にでも帰るのかな?」
なにか知っているかとイルヴァンを見たが、彼女は悔しそうに首を振るだけだった。
「あの男はそういうことはなにも……ああいえ、そういえば」
「なんだ?」
「わたしを誘惑していたとき、よく西に素晴らしい場所があると言っていました」
「素晴らしい場所ね」
イルヴァンと出会ったのがグルンバルン帝国だから、あそこから西ということは……直線ならば山を飛び越えて都市国家群。道なりに進めばタラリリカ王国。
さらに遠くならばランザーラ王国ということになる。
それよりも西となると現実的ではないから、タラリリカかランザーラの二択だろう。
「さあて、どこで止まるかな」
俺はしばらく逃走を続ける吸血鬼を観察した。
朝となった。
吸血鬼は王都タランズに近い場所で影から棺桶を出すと、それごと土に埋もれて太陽から身を潜めている。
このまま王都に入って吸血活動を続けるつもりなら、瞬間移動して片を付けないといけないだろうが……はてさて……。
とりあえずは問題を先送りにし、リンザと合流すると朝食を済ませた。
どうやらリンザはあれから朝まで熟睡していたようで申し訳なさそうにしていた。
だが、昨夜リンザにまで付いて来られていたら問題はさらにこじれていたかもしれないので、熟睡していてもらってよかった。
スペンザにやってきたのはテテフィの顔色を窺うためだけではない。
以前におもしろ武具を色々と買い込んだ武器屋に行くと、そこで以前に手に入れた希少金属である太陽の欠片を出して、製作を依頼する。
頼んだのは剣を一振りと球体を作れるだけ。
剣の方はハラストが持っていたものと同じ機能を持つ物だ。奴は城の鍛冶師に頼んだと言っていたが、変な物を作り続けているこの武器屋なら作れないことはないだろう。
実際、武器屋の親父も最初はつまらん仕事だ、という顔をしていた。
だが、俺が球体の方に追加で細工を頼むと急に目を輝かせ始め、依頼を受けてくれることになった。
球体の方は追加の【天通眼】のためのものだが、素材を変えただけというのも面白くないので、機能を増やすのだ。
どんな物になるかは完成までのお楽しみ、だな。
そんなこんなで数日をスペンザで過ごした。
無用な揉め事を避けるためにさっさとイルヴァンを紹介したり、リンザの剣技以外の実力を見るために魔物退治の依頼を受けてみたり、用なしになるだろうから冒険者の宿を引き払う手続きをしたり、じいさんの遺産である『葉隠』を読んで《狂戦士》の増やし方を勉強したりした。
もちろんその間、吸血鬼ヤグオートの行動は追っている。
奴はタランズを素通りし、西部国境に近い都市アドノンも無視すると、そのまま国境を越えた。
どうやらランザーラ王国に拠点があるようで、そこで動きが止まった。
いまは詳しい情報を得るために【天通眼】を接近させている。
【交信】の魔法が届いたのは夜だった。
リンザに呼吸法を伝授し房中術による仙気循環のコツを実地で教えている最中だった。
夢現な表情だったリンザは少しの間を置いて理性を取り戻すと【交信】の魔法具を耳に嵌める。
ふむ、まだまだ呼吸法を使いこなせていないな。
シーツで体を隠して通話している彼女を観察して時間を潰す。
「秘書官殿です」
【交信】を終えたリンザが告げる。
「王都からの呼び出しがかかったようです。秘書官殿は先に行って準備をしておくから王都の別邸に来て欲しいと」
「……忙しいことだな」
伯爵領で暴れている狂戦士たちを見に行くために王都を出てから、まだそれほど経っていないんだがな。
「それほどの変事が王都で起きているということでは?」
「さてね。ここしばらく変なことばかりだろ」
気分を暗くしてもつまらない。
ここは、なにか面白いことが起きたと考えている方が前向きだろう。
「どうせならランザーラ王国に行く用でも押しつけてくれると嬉しいんだけどな」
俺がそう呟くとリンザの目が危険な光を放つ。
いまではすっかり俺の……あるいは俺の下腹部の虜となった彼女だが、じいさんへの恩義は忘れていない。
なにより、ランザーラ王国と狂戦士部隊とは長年の敵同士である。
俺がなにか企んでいるのであれば、必ずそこに絡もうとしてくるだろう。
もちろん、俺としても望むところだ。
「心配すんな。ちゃんと使ってやる」
「本当ですか!」
俺の言葉でぱっと表情を輝かせるのだから、《狂戦士》の業が抜けても戦闘狂であることには変わりないのかもしれない。
だとすると、じいさんのあれも称号に関係の無い素のものだったという可能性も。
……いや、さすがにそれは。
いやいや、俺と戦ったときの技があったよな。
あれがもしかしたら《狂戦士》としての業を復活させる物という可能性もあるな。
《狂戦士》の称号は持っていないからなぁ。
『葉隠』を読んで勉強しているが、著者本人も《狂戦士》持ちだったのか、所持者ならわかるのだろう基礎情報が省略されているからわかりにくい部分が多い。
「とりあえずの目的はこの『葉隠』を完成させることだ」
そして生き残りの狂戦士団全員を《侍》に昇華させてやる。
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