194 白い彼女は吸血鬼に好かれる 2
それが訪れていたのは数日前からのことだった。
行商人たちの中立区とも呼ばれる共同倉庫の一隅に、それはあった。
どの行商人が持ち込んだのかわからない。
持ち込んだ者がわかったとしても、その者もそれを持ち込んだことを忘れているだろう。
そのため、それは大きさ故に存在感を示しながら誰も引き取りに来る者はいなかった。
長細い木箱の中はおがくずで埋め尽くされており、それらを取り払って保護された物を掘り出せば、そこにあるのは古びて大きな棺桶だった。
塗料を塗られ、装飾されたその棺桶が庶民に使われる物でないことは一目でわかる。
そして、放置された木箱を開けてその中身を永遠に拝借しようとした不埒者は棺桶の中身に掴まれて、その生を終えた。
太く長い指が二人の不埒者の頭を掴んでいる。その指先にある爪はまるで牙のように鋭く研ぎ澄まされ、不埒者の皮膚を貫いている。
そして赤く染まっている。
その赤は、染料の赤ではない。不埒者たちの血による赤だ。
棺桶の中にいた者は、爪から血を吸うことが可能な何者かであった。
いいやそれははっきりとしている。
それは、吸血鬼だ。
「貴様らのような醜い者どもに我が牙を使う価値もない」
そう言い捨てるのは棺桶に相応しい巨漢の男だった。
着ているのは黒い神官衣だ。
なんの神に仕えているのか、それを示す意匠はない。
そんな神官衣を内側から膨圧しているのは豊かな筋肉だ。
「我が牙は美しい者にこそ相応しいのだからな」
そんなことを言いつつも不埒者たちから血を吸うことその者を止めることはない。やがて血の入った肉袋と化していた不埒者たちは血の全てを吸い尽くされて萎みきったところで、ようやくその大きな手から解放された。
「……やれやれ、少々行儀が悪いな」
血を吸いきった死体二つを踏み潰し、黒い神官は苦笑した。
「とはいえ今回はなかなか間が空いたからな。飢餓はあらゆる者の尊厳を奪い取る。仕方がないことではあるが……故にこそ貴き者の覚悟を見せねばならぬ。私もまだまだということか」
と、難しい顔で頷きながら片手を自らの棺桶に向ける。
その手から【念動】の魔法が放たれ、棺桶は蓋が閉められて自立すると、影の中へと沈んでいった。
この吸血鬼は影を操る。
その時点で下位吸血鬼ではないことが確定した。
「……さて、では今宵も責務を果たすとしよう。美しき同胞をこの夜に増やさんがため」
共同倉庫より出た黒神官の吸血鬼は空を見下ろす月に向かって恭しく頭を下げ、そして消えた。
†††††
リンザが取った宿の部屋に戻ってよろしくやった。
うむ、初々しかった。
初めてだというのでさすがに躊躇はしたが、リンザがかまわないというので慎重に扱う。
初体験ならば精神も肉体も行為を受け入れる準備が出来てはいない。
正確に言えば宿し産むための機能はできているが、行為を楽しむの余裕がまだ無い。
そこで出番となるのが房中術である。
仙気を優しくリンザに馴染ませて萎縮した心身を緩和させると共に快楽中枢を過敏にさせていく。
段階を追って仙気の濃度を増していった結果、「初めてなのにこんな……っ!」とか「す、すごいの!」とか「はやく! はやくください!!」とかいうセリフを言わせることに成功した。
おかげで体力を使い切り、リンザはそのまま起きられなくなってしまったが。
その頃には太陽が良い感じに傾いていた。いや、傾きすぎていた。
「いかんなギルドが閉まる時間だ」
テテフィを迎えに行かねばと、熟睡したリンザが風邪を引かないようにしてから宿を出る。
「よいものを見ました」
と後ろから付いてくるノアールが呟く。
シーツでぐるぐる巻きにしといたんだがなと思いつつもギルドへと急いだが、あいにくと正面ドアはすでに閉じられていた。
しかたがないので裏にある通用口の方へ回る。
するとちょうど出てきたばかりのテテフィを見つけた。
「おーい」
と呼びかける。
そこからのテテフィの行動は「まさか……」だった。
はっとした顔で振りかえると、物も言わずに走り出したのだ。
「…………」
俺はしばしなにも言えず、立ち尽くしてしまった。
「……逃げられましたね」
「事実はときに人を傷つけると知っておいた方が良いぞ」
「そうですか」
苦い顔で助言をしたのだが、ノアールには通じていなさそうだ。
「それで、追いかけないんですか?」
「……どうすっかなぁ」
あの全力ダッシュを見た後だと追いかけるべきなのか迷ってしまう。
追いかけてはいけないような気がするし、追いかけるべきだという思いもある。
どちらが正しいのかとゆるく考えていたのだが、ノアールの一言で決断した。
「……つまり、マスターは振られたということですね?」
「っ! ちっげぇよ!!」
ノアールの言葉を即座に否定し、俺はテテフィを追いかける。
「いや、ちっげぇし! 俺が振られるわけないし、テテフィは俺にゾッコンだっし!」
と、自分でもよくわからない言葉遣いになってしまう辺り、やや混乱しているのだろう。
どういう心境であれ、いまのテテフィの態度は拒絶だ。
まさか彼女にそんな態度を取られるとは思っていなかった。
だからか、俺も頭に血が上っていた。
「待てぇぇぇ!!」
追いかける俺に気付いてテテフィがさらに顔を引きつらせる。
おい、ほんとにそれはどういうつもりなんだ?
さらに速度を上げて逃げようとするが、そもそも俺が追いかけた段階でテテフィが捕まることは決定したようなものだ。
あと少しで掴まえる。
そうなりかけたとき、横合いから誰かが彼女を浚った。
「大丈夫かね?」
「え? え?」
いきなりのことにテテフィもよくわかっていない顔だ。
俺はテテフィをお姫様抱っこする黒い神官衣のおっさんを睨み付けた。
「淑女を追いかけるとは、あまりにも無粋ではないかね?」
「ああん?」
「ここは去りたまえ。冷静な話し合いを望むのならば、それはいまではあるまい?」
「そんなこと、お前が決めることじゃないだろ?」
「なるほど。では、お嬢さん」
「は、はい!」
「いま、彼と話し合いたいことはあるかね?」
「それは……」
「どうかね?」
「な、ないです」
「だ、そうだが?」
「……ちっ! わかったよ」
完全に安いチンピラの役回りをやらされた。
俺は舌打ちを吐いて背中を向ける。
「あっ……」
って声が聞こえたが俺は足を止めない。
そのまま近くの曲がり角に入り、そこで足を止めた。
「イルヴァン」
出てこないように締め付けていた影を緩めると、吸血鬼の彼女が飛び出してきた。
その顔は青ざめていた。
元より血色の悪い吸血鬼の顔をさらに青くして俺に訴えかける。
「ルナーク様! あの男はいけません。あれは……」
だが、俺はその言葉を止める。
「わかってるよ。あいつは……吸血鬼だ」
引っさらわれたときから気付いていたが、あそこまで密着されたらさすがに手の内が読めない限り無傷に取り返すってわけにもいかない。
だから気付かないふりをして一旦離れた。
「それだけではありません。あの男はわたしを吸血鬼に変えた、ヤグオートです!」
「なに?」
続くイルヴァンの訴えに俺は顔をしかめる。
通りを覗き見ると、すでに二人の姿はそこになかった。
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