189 放蕩伯爵 9
「目覚めよと己を震わす声がする」
ダンゲインを名乗る青年アストルナークにそう言われて、リンザは核心を突かれた衝撃で胸が痛んだ。
その声はガルバーズ・ダンゲイン伯爵の死後から聞こえていた。
それは言葉と呼ぶほどはっきりとはしていないが、その意味は明確にリンザに伝わり。衝動は体を突き上げる。
リンザの中にある称号《狂戦士》が《狂戦士》ではなくなろうとしている。
それは昇華と呼ばれる現象であることをリンザは知っている。
自分の強さが、次の段階に移行しようとしているのだとわかっている。
だけど……。
「はっはっ!! どうしたどうした?」
リンザを含む三十人の狂戦士を相手にしてアストルナークは余裕の笑みを消さない。
その手には武器はなにもないが、だからといって油断していい状態ではないことはとっくに理解している。
アストルナークは無手の戦闘を極めている。
ただの《拳士》ではありえない境地に達している。
つまり、昇華しているということだ。
目覚めよという声を聞いたことがあるのだ。
「くっ!」
リンザの放った斬撃は仲間の狂戦士たちの隙間を駆け抜け、アストルナークの足を切り落とす軌道にあった。
だが気が付けば軌道上に足はなく、それどころか刀身を踏みつけるタイミングで踏み込みがなされようとしていた。
「っ!!」
言葉にならない苦鳴は脳を圧迫し、リンザは刀を引くことでその危機を脱する。
あるいは踏まれていたら折れていたかもしれない。
ガルバーズに授けられた、刀が。
「貴様ッ!!」
「なにか怒ることがあったか?」
リンザの怒りに言葉を返しながらも、アストルナークの動きは止まらない。拳打は一人の肋骨を砕き、突き下ろされた蹴りは膝を割る。
「まさかその刀が壊されるのが嫌だったか? 怖かったか?」
「黙れ!?」
「そんな刀にじいさんが残っているとでも思ったか?」
「黙れと言った!!」
挑発に乗るなんてありえない。
戦いしか見えなくなろうとも戦い以外の詐術に乗るな……とガルバーズに教えられていたというのに、アストルナークの言葉を無視することができない。
この男と戦うための理由が戦いだからではなく、憎いからとなっていることを見抜かれている。
こんなこと、狂戦士として、ありえない。
「じいさんが、たかだかそんな武器一つにこだわるとは思えんなぁ」
「っ! 貴様になにがわかる!?」
刺突の連撃は最小限の動作だけでかわされてしまった。
「これはガルバーズ様が遺してくれた、ただ一つの……」
「そいつは、ちがうなぁ」
「なにっ!」
と叫んで、リンザは愕然とした。
気が付けば自分以外の仲間たちが皆、地に倒れ伏している。
死なない限り戦い続ける狂戦士たちが身動きが取れないほどの痛撃を受けたのだ。
そして、誰も死んでない。
つまり、リンザを含んだ三十人の狂戦士を殺さないまま行動不能にする……そんな常識外れの実力をこの男は持っているのだ。
「武器なんざどうせ壊れるものだ。じいさんは実用主義のはずだろう? どうせ壊れるものを後生大事に扱えなんざ、皮肉以外じゃ言わないだろ」
「くっ……」
否定できない。
たしかにガルバーズならそういうことを言うだろう。
だけどそれを……
「だけどそれを、あなたが言うなんて!」
「俺が言ってなにが悪い!」
振り下ろしの斬撃は指で掴まれた。
「たかが一回会っただけの俺が言うのがそんなに気に入らないか? それぐらい強烈なじいさんだったってことだろうが!」
「ぐう……」
「じいさんの思い出がそんなに大事か? ならどうして穢している」
「なっ!?」
指に挟まれた刀を引き抜こうとしているのだがビクともしない。
「己を震わす声を無視して思い出に留まるか? じいさんからしたらクソのような選択だな!」
「っ! っ!」
怒りが言葉を奪う。
この男を殺したい!
だけど、刀は指に挟まれたままビクともしない。
どうしてこの男は、こんなに強いんだ!
「どうして強くなって俺の前に立ちはだからない? じいさんならそれぐらい言うだろう?」
「だけど! あの方はもういない!」
「そうさ、もういない。だが、だからどうした?」
「っ!」
「じいさんがいなけりゃ全部が終わりか? 違うね。じいさんに死んだことを後悔させてやらなきゃいけないだろう」
「な、なにを……」
「最高の戦いを、最上の戦場を、最凶の相手を! いま死ぬんじゃなかったと後悔するような経験をしてやるのが、あのじいさんへの供養だろう。大人しく冥府になんぞ逝かせてたまるものか! 戦場への未練で化けて出てこさせてやれ!」
「あっ……あっ……」
どうしてだ?
どうして……。
アストルナークの言っていることはおかしい。
狂っている。
哀しみは慰撫されるべきだろう。
未練は断ち切るべきだろう。
死者は癒されるべきだろう。
だが違う。
この男はガルバーズがそんなものを望んでいないことを知っている。
たった一度会っただけだろうに。
たった一度、戦っただけだろうに。
戦いに戦って死んで満足だと思わせてたまるかと、この男は言っている。
「そのためにお前ができることはなんだ? その場で足踏みすることか? じいさんより弱いお前のことを、化けて出たじいさんに覚えていて欲しいとしたら、弱いままでそれがかなうわけないだろうが!」
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
力で勝てたのか。
それともあえてそうしたのか。
刀はアストルナークの指から解放されリンザの元に引き戻される。
《狂戦士》
その文字がリンザの脳裏で擦れている。
神の啓示によって通知される己の能力を具象化した言葉……称号。
その言葉が擦れて、ぶれている。
まるでそれが失われるように。
まるでそれがなにかに書き換えられようとしているかのように。
「ああああああああああああああっ!!」
そうはさせまいと、リンザは叫ぶ。
ガルバーズによって授けられた称号。
あの人に鍛えられ、あの人の期待に答えた結果として手に入った称号。
それを失うわけにはいかない。
だけど、本当にそうなのか?
《狂戦士》
その称号を大事にするべきなのか?
ガルバーズとの繋がりだったこの言葉を守り続けるべきなのか?
それとも彼の言う通り、この言葉を彼が羨ましがる形にまで上り詰めさせるべきなのか?
どちらが、正しいのか?
「ああ……わたしは……わたしは……」
叫びは止まり、自問は繰り返され……。
「わたしはっ!」
叫びと共にリンザは斬撃を放つ。
《狂戦士》の言葉が消えた。
そして、塗り替えられたその言葉は……。
《侍》だった。
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