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庶民勇者は廃棄されました  作者: ぎあまん


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18 生活する事

アルファポリスにて掲載しているものと同じ作品です。


 指先を少し切る。

 皮よりも少し奥へと至る傷はすぐに血の粒を生みだし、その周辺で指紋に沿って滲んでいく。

 粒はやがて珠となり、脈動の伝播に振るえ、重さに耐えかね滴り落ちる。


 それを受け止めるのは、赤い舌。

 長い牙。


「はぁ……」


 口腔を染めるにはあまりに少ない血なのだが、それを受け入れたイルヴァンの目は陶酔に溶けていた。

 舌はそれ自体が軟体の生物であるかのように踊り、普段は姿も見せない牙が膨らんでいく。


 そして滴る血に耐えきれなくなり、舌は指に絡みつき、口腔へと取り込まれていく。


「噛んでくれるなよ」


 おれが吸血鬼ではなく人間であることはよく言い含めているのだが、こんな目をしているときの彼女は当てにならない。

 噛まれそうになったことは一度や二度ではない。


 二本の牙を指に擦りつけ、細い傷口に潜り込まんばかりに舌先が悶え狂う。


 苦しげに、そして切なげに指を求める姿はなかなか……。


 うん、まぁ……その…………あれだ。






 数時間後、真っ裸でベッドに身を投げ出す、おれがいた。

 その隣には同じように裸身を晒すイルヴァンがいる。


「街の暮らしはどうですか?」


 おれの喉に狙いを定めながら、イルヴァンが聞いてくる。しかしそんなのはいつものことなので、おれは気にすることなく、彼女の視線誘導に従っておく。

 豊かな双丘が重力に従う姿はなかなか見るものがある。


「まぁ、ぼちぼちだな」


 おれたちがいまいるのはタラリリカ王国のスベンザという街だ。

 大要塞に対して西側で最も近い国の東の玄関口、それがスペンザだ。


 元勇者のおれと元聖女のテテフィはこの街で冒険者ギルドに加入することに成功した。

 とはいえ、先立つものがない。


 冒険者といえば剣と魔法やその他諸々のプロフェッショナルたちが集い魔物退治や迷宮探検をこなす人々……というイメージがあるが、そんなものは一部だけである。


 多くは街の雑用係である。


 というわけで、冒険者の宿の安い家賃すら払えない状況だったのでギルドの仮免許をもらうとその日から雑用の仕事に勤しんだ。


「しかし、これだとその日暮らしだ」


 日雇いの肉体労働だともらえる賃金はそれほどではない。

 毎日がんばれば、普通に暮らすだけなら裕福になれるだろう。


 だが、本格的な冒険者になろうと思えば金がかかる。

 武器と防具の購入費と修繕費、移動中、迷宮での探索で用いる道具類。


 特に靴。靴に金をかけないとすぐに足がしんどくなる。そして靴はけっこうすぐだめになる。


 戦神の試練場でのアイテム類はいまのところ一つも使っていないが、靴ぐらいは楽をするべきだろうか。


「うーん、だが、一点に金をかけすぎても目立つしなぁ」


 下っ端冒険者がちょっと気張って良い靴を買ったというレベルでは済まないのだ。ちょっとでも目端の利く者の目に止まったらどうなってしまうやら。


 無限管理庫の中身はどれもこれも伝説級や神話級だ。先日のテテフィを巡る一件を考えれば、戯れの実験で大量に手に入れた黄金騎士の剣を一振りでも売りに出せば巨万の富が手に入るだろう。

 だが、それでは目立ちすぎる。


「自分の経験を死蔵する必要はないが、かといって見せびらかせば無駄に目立ってしまう。ほどよい立ち位置が見つかるまではこのままその日暮らしをするしかないのだろうな」

「ルナークさまは、どうなりたいのですか?」

「うん?」


 イルヴァンの問いにおれは言葉を惑わせる。


「それが見つからないのが、一番の問題なんだよなぁ」


 いっそ、勇者アストは生き残ってるぞ! と華々しく名乗ってもいい。

 権力というものを相手にする場合、一人でなにかをやるのは愚である……ということはさすがにもう覚えた。


 どこぞで【天啓】の使える神官を見つけ出し、おれの称号を保証させ、それからどこかの国と組めばいい。


 だが、その先はどうする?


 大要塞で戦うか?

 魔族を滅ぼすか?

 そうすればいずれあのダークエルフと会うこともできるかもしれない。

 しかしそのときには、彼女は敵になっているだろう。

 いや、それならまずは彼女を探すべきだ。


 そして二人で手を組めば、この世に敵などいないだろう。


「……ああ、いかん」

「なんです?」

「視点が偉そうになってるなって、な」


 他人の運命をあまりにも簡単に考えすぎている。

 そこにあるのは傲慢だ。

 おれの運命を狂わせた貴族的な傲慢さと同じものをおれは抱いていた。


「偉そうでいいじゃないですか。ルナーク様にはそれだけの力があります。いっそ、夜の世界を統治なさったらどうですか?」

「いやぁ……人肉の晩餐会は勘弁して欲しいわぁ」


 イルヴァンのそれが慰めなのかどうかわからないが、頭に浮かんだ光景に顔をしかめた。

 最近はようやく人並な食生活を送れているのだ。


「それなら、人の王になればいいじゃないですか」

「人の王……いや、それもめんどいなぁ」

「どうしてですか? 政治ならそれができる人間に任せて、後はふんぞり返っていればいいだけじゃないですか。戦争でルナーク様が敗北することはないのですし」

「その傲慢がこわいわー」

「そんなこと、良く言えますね」


 戦闘中のおれを知っているイルヴァンに睨まれ、おれは素知らぬふりをした。


 瞬間、殺意が膨らんだ。


 目線を離した隙を狙って、イルヴァンが牙を突きだしておれの喉を狙う。


「甘い」


 おれはその顔を押さえると、影獣を呼びだしてその口の中にイルヴァンを放り込んだ。


 そんなこんなでおれとイルヴァンのいつものじゃれ合いは終わり、窓を少し開けて外を確認する。すでに朝日が昇ろうとしていた。

 すでに動き出している人々がいるが、おれには関係がない。


「……まぁ少しは眠れるな」


 食生活は元に戻ったが、睡眠のサイクルに関してはいまだに小動物のようなきれぎれのものでも問題ない。

 そのことに感謝しつつ、おれは眠った。


 冒険者の宿というのは、その日暮らしの人々を集めた低家賃の集合住宅のようなものである。ワンルーム、トイレ共同、食堂あり、風呂はなし。


 冒険者通りといわれる一画をスペンザになし、その存在感を示している。

 冒険者の宿を中心とする居住地部分は低所得者の集まりという雰囲気を拭うことはできないが、冒険者ギルドはスペンザの大通りに堂々とした建物を構え、その周辺には冒険者たちを相手にした商店が軒を連ねている。


 食堂で朝食を済ませたおれは、その足で冒険者ギルドに向かった。

 スイングドアを抜けた先には大きな空間があり、壁部分は掲示板となっており依頼札と呼ばれる紙片が無数に貼り付けられている。

 日雇いの肉体労働などのような、一人でできたり、危険性の少ないものが最初の方に貼り出され、危険性の多いものになればなるほど、店の奥へと張られるような仕組みになっている。


 朝一で動き出さなければならないような仕事は昨日のうちに受付が終わっている。


 おれはのんびりと今日とりかかれるような仕事はないものかと依頼札を見る。


 だらだらとやれそうな薬草採りを見つけたのでそれにしておく。籠一つ持って森に入ればいいだけなので楽なものだ。

 ていうかこの依頼、これで三度目になるだろうか。意外に報酬が良いのに、どうして誰もやらないのだろう?


 そんなことを考えながら受付に行く。受付は幾つかあるのだが、その中で日雇い担当者の受付は決まっている。一番長い列なのだが、行われるのは補償金の支払いとギルドの登録番号の控え、ギルドの認め印を押された依頼札を渡すという作業だ。

 補償金とは依頼を受けながら仕事をしなかった場合の罰金の前払いのようなものだ。ちゃんと仕事をすれば戻ってくる。

 朝の喧噪の中でそれは機械的に行われていくため、おれの番が来るのは早かった。


「あ、ルナークさん、おはようございます」


 おれを見た受付嬢は機械的作業の中で失いかけていた感情を取り戻し、おれに微笑みかけた。


「おはようテテフィ。この仕事だ」


 そう。受付嬢をしていたのはテテフィだ。

 おれとともにこの街に流れ着き冒険者ギルドに登録したのだが、何しろアルビノの彼女は目立つ。偶然居合わせたギルドマスターの目に止まって事情を聞かれることになり……まぁもちろん嘘を交えたわけだが、吸血鬼に噛まれて神官としての資格を失ったため仕事を探していると言うと、そのまま受付嬢としてスカウトされたのだった。


 神殿で幼い頃から育てられたということは、高等教育を受けているということであるそうで、実際、テテフィはそれを修めていた。

 そんな人物は高レベルの冒険者集団並に希少であるということだそうで、住む場所付きでの即時雇用ということになった。おれとしてはテテフィの働き口のみならず住む場所まですぐに見つかってほっとしたのは事実だった。


 おれはともかくとして、女性の宿無しというのは危険が多いからな。


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