178 魔導王の策 2
ニドリナは自分のミスを理解していた。
だがもはや止まれない。
振り返ったところで王の命は助からないだろうし、戻ってしまえばさらにルニルアーラを失うことになる。
ニドリナにとってはどちらの命も重くはない。
だが、彼らの命が失われることがそのままシルヴェリアに利することになるというのであれば話は別だ。
なんとしてでも阻止したかった。
だが……。
魔導王の狙いはわかっていた。
どれだけルナークが強力であろうと、戦略という点で考えれば所詮は駒一つ。
必ず敗北する場所が一つあることがわかっているなら、後の問題はその一つをいかに損害の少ない場所に誘導するか、ということになる。
そして今回、ルナークは見事に踊らされたというわけだ。
「わたしも例外ではない……か」
狂おしいほどの屈辱を噛み殺し、ニドリナは先を急ぐ。
ルニルアーラの部屋はすぐ近くだ。
銀睡蓮でドアを切り飛ばし中へと入ると、そこはすでに修羅場だった。
夜着姿のルニルアーラと、彼女に襲いかかる侍女。
そして姫を守らんとする護衛たち。
球体関節を晒した侍女は人間にはできない動きで天井を這い、口には柄の左右に刃を伸ばしたダガーを咥えている。
そのダガーはすでに血で濡れている。
犠牲者はもちろん、床で倒れている護衛たちだ。
「ニドリナさん!」
部屋に入ってきたのがニドリナだと気付き、ルニルアーラは安堵の表情を浮かべる。
「そこを動くな」
そんなルニルアーラに対しニドリナは一瞥するだけで済ませると、侍女人形と向かい合う。
左手に持ち替えた銀睡蓮の切っ先を向けたまま、右手で新たな剣を抜く。
それもまたレイピアだった。
ただ、水精気宿す銀睡蓮とは違い、それは金色の剣だった。特有の細い剣身には鱗模様が刻まれており、持ち手を守る機能美を備えた柄は紫水晶の粉末が散りばめられている。
ニドリナはこの剣を金鳳仙と名付けた。
銀睡蓮で牽制しつつ、ハラストと同じく太陽神の試練場で手に入れた素材を元に鍛えた金鳳仙を隠すようにした独特の構えを見せるニドリナに、侍女人形は天井から舞い降りて襲いかかる。
高級宿といっても天井はそれほど高くはない。
その距離から常人を超えた膂力によって行われた跳びかかりは異常な速度となっている。
決して、普通の反射神経で対応できるものではない。
だが、ニドリナは動ける。
【酔夢舞】
瞬間、ニドリナの周囲で霧が放散し、侍女人形はその中に飛び込むこととなる。
口にくわえた両刃のダガーは虚しく空を切る。
銀睡蓮の水気を利用してニドリナが独自に編み出した技だ。
瞬間的に放散された霧によって相手はニドリナを見失う。
視界から消えたニドリナは最小限の動きで侍女人形の背後に回ると、その頭に金鳳仙を突き刺す。
【影刺し】
それはただの突きにしか見えない。
しかしそれによって侍女人形は動きを止め、その場に倒れた。
「たすかりました」
動く様子のない侍女人形にルニルアーラだけでなく傷だらけとなった護衛たちも息を吐く。
そんな彼女にどうやって最悪の状況であることを告げるべきかニドリナはわずかに悩んだ。
その悩みは、外から聞こえた悲鳴によって解消される。
「陛下……陛下ぁぁぁぁ!!」
廊下から聞こえてきた声にルニルアーラが顔を青ざめさせる。
それは、これまで暗殺者として活動してきたニドリナにとって見慣れた表情の変化だった。
†††††
「ほっほっ……うまくいくのは心地よいものよな」
その老人は事件が進行中の高級宿から一区画離れた場所にある。
高級ではないが安くもない、そんな宿屋の一室だ。
誰もいない部屋でありながら、そして深夜でありながら、老人はこれから出かけるのかという格好でベッドに腰かけていた。
その手は意匠の凝らされた杖にかけられ、顎を乗せている。蓄えた白い髭はゆるやかな滝のように杖の表面を撫でていた。
皺深い顔には笑みが刻まれている。
勝利の笑みだ。
そう。この老人こそ傀儡のドルトアンテだ。
「この様子では西の戦場もお嬢様のお考え通りに進んでおろう。よきかなよきかな」
気になるのは東の戦場だ。
ルナークとなる人物だ。
敗北が決まっているというのは言いすぎではないかと思うが、あれほど離れた距離からニドリナでさえ察知できなかったドルトアンテの人形に感づいていた人物だ。
油断ができない相手であることは確かだ。
だが、魔導王である老人の主人が本気の布陣を敷いてなお敗北すると判断しているのは信じられない。
そんなことがはたしてあるのだろうか?
「キメラ軍団だけでも勝てように。その上、地下のあれらを誘導するなど……それでも負けるなど考えられんがのう」
「そう……考えられないな」
「っ!」
声を聞いたときには、すでに老人の運命は逃れようもない状態となっていた。
金色の切っ先が老人の胸から飛びだしている。
血脂で光るその刃を信じられない思いで見つめ、ドルトアンテは必死に首をねじって背後を見ようとした。
そこにいるはずのニドリナを。
「影に潜み、目標に近づき、そして心臓を一突きする。この事にかけて、わたしはお前よりもはるか上を行っている自信がある」
暗殺者として磨いてきた技倆とはそういうものだ。
相手の正面に立って「さあ勝負」などと、そんなことをしたことなどない。
それは、暗殺者のやることではない。
だが、最近のニドリナは暗殺者ではなかった。
その戦い方を捨て、新たな道を模索していた。
レイピアを握り、正面から戦う道を選んでいた。
そうすることで新たなやり方で魔導王を殺す方法を探していた。
「同時に、気配を隠し、遠くから獲物を仕留める方法に関してはお前の方が優れていた」
だからこそ、隠れ家では後手に回ってしまった。
「だが、暗殺者としてお前を殺す方法なら、はるか昔にすでに編み出している」
「な、なぜぇ……」
「なぜここがわかったか? そう、それこそが肝要だった。どうやってお前の居場所を見つけるか。だが、糸を掴み方がわかってしまえばどうということもなかったな」
「糸……」
それは《魔繰人形師》としての人形を操る糸のことだ。
もちろん、それはただの糸ではない。
人形を操り、ときには生きた人間をも人形のように操るその糸はドルトアンテの魔力によって編まれたもの。
魔力を止めれば消えてしまう。
そんな糸をどうやって……と思っているのだろう。
その答えは侍女人形を突き殺した技にある。
【影刺し】
それはやはり、ただの突きではなかったのだ。
「お前の糸にわたしの影を忍ばせた。お前が魔力を切ったときにはすでに遅い。そのときにはわたしの影はお前の足下に潜んでいる」
「くっ……そんなぁ…………」
心臓に穴の開いたドルトアンテは血泡を吹いて顔を白くさせる。
「長話してやったのは昔の恩を返すためだ。わたしを暗殺者として鍛えてくれてありがとう。おかげでこうしてお前を殺せた」
「お、の……」
「さらばだドルトアンテ。先に冥府に行ってシルヴェリアの場所でも作っているんだな」
【刃鳴異羽】
その瞬間、ドルトアンテを突き刺していた金鳳仙の剣身が分裂した。
剣身の鱗模様に沿って散開し、花びらの如く宙を舞う。
金色の花びらを飾るのは飛散した血と肉、そして臓物臭。
そしてそんな中でさらに輝くのは花びらを繋ぐ細い光の糸。
そう……糸だ。
「暗殺者として一人前になってもこの技だけは身につかなかった。だが不思議だな。もう暗殺者は止めようと思ったら、すんなりと身についた」
ばらばらになったかつての師には目もくれず、ニドリナは金鳳仙を一振りし、散開した剣身を元に戻した。
「……あいつが戻ってきたら、なに言われるだろうな」
勝利の余韻もなく、ニドリナはルナークが戻ってきたことを考えて長くため息を吐くのだった。
よろしければ評価・ブックマーク登録をおねがいします。




