175 東方国境決戦 6
涼やかにそう告げるノアールに俺はさらなる命令を与える。
「よし、ノアール。残りも喰っちまえ」
「……いえ、それはちょっと」
「なに?」
思わぬ返答にノアールを見ると、白い肌が青白くなっていた。
「どうした?」
「さすがに食べ過ぎました。気持ち悪いです」
「おいっ!」
剣に食べ過ぎとかあるのかよ。
「消化不良です。このままだと……吐きます」
「ああもうわかった! 下がって休んでろ」
「そうします」
青い顔をしながらも優雅に宙返りをしてノアールは【飛雲雷】から飛び降り、砦に着地した。
なんだと余裕あるじゃないか。
……あ、いや、ないな。
その場で膝を付いた。
あの姿勢、本気で吐くんじゃなかろうな?
見てみれば、【王獣解放】で姿を現わしたノアールの巨大針モグラも動かなくなっている。
吐くとすればあいつか?
……ていうか、「俺の出番は終わった」とか格好付けた俺の立場はどうしてくれる。
「どうした? あの娘と獣はもう動かないのか?」
残念そうに言うんじゃねぇよ。
俺は盛大にため息を吐き、蟻杖王を見た。
「そろそろ帰らないか?」
「なぜ帰らねばならない。まだまだ減らしたりないぞ」
「どんだけ減らせば気が済むんだよ」
「女王一、兵士千」
「うん?」
唐突な少ない数字に俺は首を傾げた。
「なんだそれは?」
「これだけは残しておかなければならないという数だ。これ以下でも別にかまわん。二匹残れば生き残ることはできる」
「なんだそりゃ……」
つまりは、まだまだ退く気はないということだ。
「勘弁しろよ」
「はっはっ……なんだなんだ? どうしてそんなにやる気がないのだ? 戦うのが好きなのではないのか?」
「なに?」
「人間は戦うのが好きだろう? 他種族のみならず同族同士でも平気で争う。ならば我らとの争いも喜んで受け入れるがよい」
「よい、じゃねぇよ」
蟲人どもの人間に対する偏見……というか見解? には頭が痛くなる。
こっちも蟲人を理解しているとは思っていないが、いや、理解したくもない。
「相互理解ってのは難しいな」
「なんの話だ?」
「争いごとが好きかどうかは別としてな。お前相手じゃやる気にならねぇよ」
正直、こいつら相手にするぐらいならゴブリンや狼を相手にした方がまだ面白いしやる気にもなる。
「なんだと? それはどうしてだ?」
蟻杖王の声が初めて動揺を見せた。
「たいした抵抗もせずに『さあ殺してくれ』なんて言ってくる奴を殺してなにが楽しいんだよ。例えるならそれは女が大股広げて冷めた顔して『勝手にして』って言ってるみたいなもんだ。勃つもんも勃ちゃしねぇ」
「わからんな」
あるいは蟻杖王はいま、とても難しい顔をしているのかもしれない。
「女が股を広げるというのは性行為を指しているのか? そんなもののなにが楽しいのだ?」
「……それの楽しさがわからんとか」
「女王と子を為すのは我ら蟲人にとって義務だ。それ以上ではない」
「そういや、お前はなんなんだ? まさか女王じゃないよな?」
「我は蟻杖王。この間引きの刻に誕生した死出の案内人よ」
「その反応だと、そもそも楽しさというのがりかんできていないんじゃないのか?
「そうかもしれんな」
やばいこいつら機能重視過ぎる。
「……とはいえ、このままでは我らは約定に従ってこの国を蹂躙する。それはいいのか?」
「ああ、ほんと……それが一番めんどい」
蟻杖王に正論を言われてしまった。俺は苦笑するしかない。
本気でめんどうなことになってきたらテテフィだけでもつれて逃げればいいかと考えてはいるが、とはいえまだそれをするかと思えるほどではない。
ルニルアーラを見捨てる気にはまだなれないし、ダンゲイン伯爵のじいさんも気に入った。
スペンザでの冒険者の生活も刺激は足りないが嫌いではない。
もちろん、そこで知り合った冒険者たちもだ。
お?
なんだなんだ?
意外にここを離れられない理由があるな。
そしてなにより、ユーリッヒのいるグルンバルン帝国と敵対できるのはこのタラリリカ王国だけだ。
つまり、俺は人類領に限って言えばここ以外に生きる場所はないわけだ。
地獄ルートから出てきたときには名前を変えて別の人生を歩もうと思ってはいた。
だが結局、俺はこうしてユーリッヒやセヴァーナと再会し、一部では《勇者》だとばれてしまっている。
この状態でまた名前を変えて姿を隠したらどうなる?
ユーリッヒに俺が逃げたと思われる。
それだけはどうしても我慢がならん。
あいつが俺と敵対する意思を見せている以上、俺が逃げるというのはありえない。
悔しがって地団駄踏ませてやらなければ気が済まない。
だとすれば、俺がここでやるべきことはなんだ?
わかってる。
ああ、わかってる。
タラリリカ王国の国力をこれ以上低下させるわけにはいかない。
つまり、この蟻杖王率いる自殺否定被殺希望蟲人軍団はここで奴らの望み通りにしてやらなければならない。
イルヴァンは力不足だしノアールは消化不良中と、うちの食いしん坊組が役に立たない以上、俺がなんとかしなければならない。
面倒くさいとかやる気が起きないとか言ってる場合じゃない。
「……やる気のない女相手にむりやり勃たせないといけないようなもんか」
しかも顔まで好みじゃないときたもんだ。
「さあ、どうする? 《天》位を持つ者よ」
「ああ……わかったよ」
ここまでやる気の上がらない戦闘っていうのもなかなかないよな。
「ふふふ……まるで、やる気があればもっと凄いことができる、とでも言いたそうね」
「うん? 魔導王か?」
いきなり空に響いた声はかつてザンダークで聞いた魔導王シルヴェリアの声だ。
なんだか同時に何人かの違う女が喋っているような気持ち悪さもあのときのままだ。
「どうした? 俺の秘密を探ろうとして自爆したんじゃなかったのか?」
「ふ、ふふ……相変わらず口が悪い。だけど、いつまでそんな風に笑って、いられる、かしら?」
「へぇ……なにか凄いことをしてくれるのか?」
だとすれば、むしろ願ったりだ。
殺してくれしか言わない変な蟲人どもを相手にするより、はるかにマシだ。
「もう一度、お前を泣きっ面にしてやるよ」
「そんなことには、もうならない」
そのとき、濃密な魔力が空から降りてきた。
空に現われていた魔導王の【瞳】がその雰囲気を変えている。
実体化が進んでるとでも言うのか?
まるで本物の目がそこに浮いているかのような気分になる。
「敵意がない者と戦うのが嫌だというのなら、敵意を与えてあげる!」
狂喜したかのような甲高い声とともに魔力がなにかを形作り、放たれた。
それはいままでここにあった魔力とは質が違う。
俺が感じとりやすい魔力だ。
って、ことは……。
「俺の魔力発生炉の魔力を取り込んだか?」
魔力発生炉そのものは爆発で消失したのだろうが、そのときに放った魔力だけは喰い取ったということなのだろう。
「まったく……俺の周りは食いしん坊ばっかりか?」
呆れる俺の前で魔導王の魔法を受けた蟻杖王と巨ムカデたちに変化が起きようとしている。
「お、おおおおおおおおお!? これは? これはなんだぁぁぁぁぁぁぁ!?」
蟻杖王が突如として叫び、そしてその姿が光となって消えた。
それは巨ムカデたちも同様だ。
全てが光となって合わさっていく。
そして、形となったものは……。
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