17 血の洗礼
聖女テテフィを追う騎士たち一行は北を目指していた。
街道で捕らえかけたテテフィを何者かに奪われ、騎士たちは話し合った結果としてそこにいたのだが、あるいはその場面に出くわしたのは必然であるのかもしれない。
そのとき、騎士たちは北の国境に接した山伝いを捜索していた。
夕暮れが闇に沈もうとする時間、明かりを用意するには遅すぎる時間だが、聖女に逃げられては後の無い彼らは焦りのあまり灯すことを忘れてしまっていた。
だがそれでも、そろそろ明かりを灯さねば視界が通らぬ。魔法使いを同行させていない彼らは松明に火を点けようとした。
不意に吹き抜けた生ぬるい風に視線を上げたのは、誘われたのだろう。
「おい、あれ!?」
誰かの声がさらに皆の視線を呼ぶ。
そして、そこにある歪んだ美の光景に驚愕することになるのだった。
山の隙間から滲むような夕闇を浴びてそこに立つのは、女だった。
いや、女であろう獣じみた存在だった。
それは絡み合うようにもう一人の女を食んでいた。
その喉元に牙を食い込ませ、溢れた血は地面に糸を引いて落ちていく。
「き……吸血鬼」
「それに……あれは」
「聖女様……」
牙が抜け、食まれていた女が地面に倒れる。
そこでようやく、騎士たちは自分たちが探していた聖女が吸血鬼によって穢されたという事実に気付かされたのだった。
「貴様っ!」
「ははぁぁ……」
怒りに任せて剣を抜く騎士たちに、女吸血鬼は血の滴る牙を見せつけて飛びかかる。
夕闇の戦いが始まる中、おれはこっそりと打ち捨てられたテテフィの所へとやってきた。
「うっ……」
「よし、吸いすぎてないな」
テテフィが絞りかすになっていないことに安堵し、さらに噛み跡と唇をめくって歯茎も確かめる。
犬歯の辺りの歯茎が膨らんでいる。
順調に吸血鬼化が進んでいるようだ。
だが、このまま症状を進行させるわけにはいかない。
「さて、さっさと吸血症の治療をしないとな」
噛み跡に手を当て、おれは回復魔法を使う。
まだユーリッヒやセヴァーナたちと一緒にいた頃、遭遇した他の冒険者たちが吸血鬼に襲われて困っていたのを助けたことがある。
そのときの神官の対応をおれは覚えていた。
まったく、おれ以外の人々には普通に優しいのだから腹が立つ。
「ルナークさん?」
……と、テテフィが意識を取り戻した。
「まだ血が足りないだろ? ゆっくりしてな」
「騎士の人たちは……」
「ああ、イルヴァンはうまいこと調整してる」
何人か血を吸いきったな、あれ。
死者が出たと知ったらテテフィが気にするかもしれん。黙っとこう。
「でも、本当に、これで?」
「ああ、体面を気にするなら。これが一番良い方法かもしれないよな」
テテフィの信仰を剥ぎ取って活き活きとしているイルヴァンを見ながら、おれは答える。
†††††
「それなら、良い方法がありましてよ」
そんなことを言って不意打ちでテテフィの喉に食らいつこうとしたイルヴァンの首根っこを掴む。
ぎりぎりで難を逃れたテテフィは恐怖に引きつった顔で【聖光】を放とうとしたが、それも止めた。
「その女から称号を剥ぎ取ってしまえばいいんですよ!」
「なんですか? ルナークさん!? どうして止めるんですか!?」
「まぁ、待て待て待て待て待て!」
さきほどの【聖光】の恨みか殺す気満々の怖い顔で迫るイルヴァンと、アンデッド滅ぶべしの神官であるテテフィの睨み合いの間に入り、仲裁する。
二人が本気で殺し合った場合、おれはどっちの味方をすれば良いのか?
あまり考えたくない問題は横に置き、おれは気になったことを聞く。
「イルヴァン、称号を剥ぎ取るってなんだ?」
「あら、ルナーク様はご存じないのですか?」
おれの知らないことを知っていたのが嬉しいのか、イルヴァンは牙を収めて微笑んだ。
「神官の称号は回復魔法を修め、神に認められなければ授かりません」
【聖光】などは奇跡と呼ばれる神官の特殊能力だ。それは回復魔法を修めただけでは使えない。
そういえばおれも色んなものを学習した結果、色々な称号を所有することになったが神官の称号だけは持っていない。
まぁ、これらの称号というものは自分で確認することはできても他人がそれを見る方法は限られている。
熟練の神官が勇者を見つけることができるのは【天啓】と呼ばれる神との交信によってそれを教えてもらっているからだ。
ゆえに、自分になにができるのかは称号を自己申請する方法による。
そこら辺はいまは置いておくとして……称号というのは自身の総合能力を端的に現わすものであり、それを他者が奪うことはできない。
おれだっていまだに勇者の称号はもっているしな。
だけどイルヴァンの言葉、そしてテテフィの反応を見る限り、神官の称号だけは別なようだ。
「……神官に必要なのは回復魔法の素養、そして信仰心」
苦々しい顔でテテフィがそれを言う。
その後をイルヴァンが継ぐ。
「だけど、信仰心というのは一方的ではなく双方向的なもの。どれだけ人間が強く願ったとしても、神がそれを認めなければ奇跡は届かない。そして神は、自らが定めた生命の真理を越えようとするアンデッドを許さない」
「ええっと……それでつまり?」
「アンデッドを嫌うということは、アンデッドに穢された者も嫌うということ。吸血鬼に噛まれたら、神官はもうおしまいです。わたしが良い例です」
そう言ってイルヴァンは自身を示す。
「これでも、こうなる前は神官として領内で病に困っている人々を助けていたのですよ?」
「へぇ……」
思わぬ形でイルヴァンの過去に触れ、おれだけでなくテテフィも驚いている。
そういえば、テテフィにはまだ説明していないな。落ち着いたら一番に話しておかないと。
「吸血鬼にならなくても、か?」
「はい。わたしを吸血鬼にした者は、わたしのような神官を只人に戻すことに喜びを感じる変態でした。吸血鬼にならずとも、吸血症になった段階で無理です」
吸血症というのは、吸血鬼に噛まれ、吸血鬼になるまでの前段階の状態だ。光を怖れ、食事を欲さなくなり、人の体に別の欲求を感じるようになる。
そして吸血鬼になるのだが、その期間の長短はどれだけ血を吸ったかに寄るところが多い。
「吸血症の治療法なら知っている」
「それは重畳。それなら作戦はもう決まったも同然じゃないですか」
「うん?」
「吸血鬼に噛まれた穢れた女など、聖剣に捧げられるわけないでしょう?」
納得の理由だとおれもテテフィも思った。
†††††
そうしてテテフィは追っ手の騎士たちの前で噛まれ、そしてイルヴァンは騎士たちを相手に大立ち回りを演じている。
彼らが証拠としてテテフィを回収しないようにするには、彼らもまた吸血鬼に痛い目にあって這々の体で逃げてもらわなければならないからだ。
(とはいえ、やりすぎだな。あれじゃあ生き残りがいなくなる)
一人ぐらいは残すように、そろそろ釘を刺すべきか?
「……こんなことをして、わたしは許されるのでしょうか?」
「さあ?」
貧血で状況がよくわかっていないテテフィは、まるで夢にうなされるようにその言葉を吐く。
「許す許さないなんて……それこそどこまでいっても終わらない話だと思うけどな。それなら、どこかにあるかもしれない自分を信じてみるしか道はないんじゃないかな?」
さて、そろそろイルヴァンを大人しくさせようと、おれは魔法を一つ用意するのだった。
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