166 国境異変 5
蟲人について詳しいことはほとんどわかっていない。
わかっているのは、そいつらは虫と人が混ざったような姿をしているが、魔物ではないということぐらいか。
魔物の定義が人類に害をなすという生き物という意味である以上、いかにその姿が異形のものであろうとも、魔物とは呼ばれない。
なぜなら、蟲人はこれまで地底にこもって人類に関わってこようとはしなかったからだ。
人類がどれだけ地下にある迷宮や遺跡に潜ろうとも、彼らの姿を見ることはなかった。
その姿は文献にあるのみであり、実際の姿を見た者は長い間いない。
そんな連中のことをなんで俺が知っているかって?
そりゃもちろん、そういう本を地獄ルートで読んだからだ。
『地底人の全て』とかいう噂話を蒐集したような内容だったが、挿絵付きだしけっこう楽しめた。
いま、おれの前で槍を向けているダンゴムシの変形みたいな奴らのことも書いてあった。
まさか実在するとは思っていなかったな。
まぁ、だからってその驚きを理由に手加減するとか手出しを控えるとか、そんな選択を俺がするはずがない。
見たこともない敵と戦うなんて、それこそ地獄ルートで散々に経験したこと。
つまり……。
「武器持って俺の前に立ったのが悪い!」
そういうことだ。
地面を突いたハルバードを回し、おれは宙を舞う蟲人を薙ぎ払う。
斧槍の軌跡に巻き込まれた蟲人たちのほとんどは薙ぎ払ったのだが、その手応えに驚いた。
「なんだ?」
鉄だろうがなんだろうが切り裂く自信があったのだが、蟲人の外殻はことごとく硬い感触を返し、その抵抗に穂先の軌道が乱れた。
おかげで何体かは宙を舞っただけで無事に生き残ってやがる。
「やるねぇ……」
団子状態で地面を跳ね、体を起こす蟲人の様子に俺は笑いかける。
さらに爆砕した地面から次々と蟲人が現れていく。
「おい、さっさと逃げろ」
後ろに呼びかける。
呆然とした三人は我に返ると慌てて砦に向かって走っていった。
砦まではまだまだ距離がある。
あの三人のために時間を稼ぐのだとしてもそれなりにがんばらないといけないだろう。
「この貸し、どうやって返してもらおうかな」
そんなことを楽しく考えつつ蟲人たちを見やる。
もちろん、斥候のおっさんにそういうことを期待していないことだけはちゃんと言っておきたい。
続々と現われる蟲人たちを眺めながら他の場所へ意識を向ける。
魔物の大群本隊に動きはないようだ。
蟲人たちが他の場所から出てくる様子はない。こいつらなら地下から砦へ直接攻撃をすることだってできるだろうに、そういうことをする気はないようだ。
「……さて、言葉が通じてるのかどうかはわからんが、まだやるのかい?」
蟲人どもに問いかける。
この馬にしてもハルバードにしても、全て黒号のそれだ。
さっきの一閃で蟲人を全部刈り取れなかったのはノアールにとってもショックだったようで、次は切り残さないとやる気に満ちている。
俺だって二度もやり損ねるなんてごめんだ。
ノアール・【真力覚醒】
さらに紋章で能力や耐性を強化しておく。
俺の問いかけへの返事はなく、蟲人どもは次々と増えていくばかりだ。
すでに百に近い数が俺の前にいて、囲い込もうと隊列を組んでいる。魔法も使うようで隊列の後ろから魔力の圧が風を起こし、魔法式の光があちこちで発している。
繋がりがないことから軍隊式の魔法は発展していないのかもしれない。
いや、しかし……。
「どういうつもりでお前らは出てきたんだ?」
返事はないとわかってはいるんだがそれでも口に出てしまう。
やはり答えはない。
わかっていたことだし、相手の態勢が整うのを待つのもバカらしい。
「さて、行くぞ」
俺は馬の姿をしたノアールに語りかけた。
「わたしも少し暴れてもいいですか?」
ノアールがそんなことを言う。
見れば黒い馬体に変化が起きている。蹄の辺りが刺々しくなっているし、顔がすでに馬ではなくなりつつある。
「待て」
それを俺は止めた。
「もうちょっと馬上戦闘の練習がしたい」
「ええ」
俺の言葉にノアールが不満げな声を漏らす。
「普通に戦えているではないですか」
「いや、まだなんか使われてる感がある」
ハルバードも馬上での戦闘も称号の《武王》に存在する特殊能力【武芸百般】によって使うことそのものに苦はないのだが、それでも慣れた剣などでの戦いに比べると身についた動きだという実感はない。
【武芸百般】という様々な動きが記録されたものの中から現状に最適なものが再生されているだけ、という感じがするのだ。
それでも不具合はないから問題ないと言えばないのだが、しかしいざというときに自分の思い通りの動きになってくれないかもしれないという不安が付きまとうし、実際、お仕着せられたような気分があって落ち着かない。
「……これから馬上戦闘が増えそうだしな。応用力を付けるためにも慣らしとかないと」
「どうして馬で戦う事が増えるのですか?」
「行くぞ」
ノアールの質問を黙殺し、おれは足で腹を締めて突撃を開始する。
俺たちの間には爆砕してできた穴があったのだが、ノアールはそれを悠々と跳び越え、それどころか蟲人どもが作り上げた陣形のすぐ前に着地した。
着地の際に前足の蹄が何体かを踏み潰し、さらに着地の挙動で周辺の蟲人を吹き飛ばす。
「おい」
「これも馬の利点かと」
などと言われてしまえばその通りかもしれない。
「まったく。黙っているときから食い意地が張っているとは思っていたが、喋り出したらより食いしん坊になったな」
「食いしん坊とはなんですか」
「事実だろう?」
「むむむ……」
静かに反論しようとしているが、暴れ馬状態を止めるつもりもない。
そして粉砕した蟲人の残骸は、ちゃっかりと蹄の下から伸ばした一部で吸収している。
もちろん、俺がハルバードで薙ぎ払ったものもだ。
「これが食いしん坊でなくてなんなのか?」
「言い方の変更を求めます!」
どれだけかわいい声で抗議しようとも、いまの姿は暴れ馬と巨大斧槍だ。
説得力皆無どころか、むしろ空気にそぐわない声を蟲人どもの軋り音で上滑りさせている。
「もう知りません!」
と言ったところでやることは拗ねてどこかに行くのではなく、むしろより暴れて蟲人どもを蹴り殺し踏み潰し弾き飛ばしていく。
やがて馬体の表面から毛皮感がなくなり、硬く刺々しくなっていく。
「鞍まで変えてくれるなよ」
「知りません!」
「やれやれ」
【雷刃一閃】
俺は肩をすくめる代わりにハルバードを一閃させた。
【風刃一閃】を改良した攻撃によって雷と衝撃波が荒れ狂い、蟲人たちを破砕していく。
最初に感じた堅さも本気で対応すればなんの問題もない。
「ずるいです!」
「だからなにが!?」
どうも放射型の攻撃で馬体が届く範囲から蟲人どもを一掃したのが気に入らなかったようだ。
「まったく、使いにくくなったな」
などと嘆息していると、やがて蟲人たちが大きな包囲の輪を作って近寄らなくなった。
と、思うや、そのまま包囲をゆっくりと崩し本隊へ向けて移動を始めた。
撤退する気だ。
「いや、合流するのか?」
合流のついででちょっかい出して痛い目にあった……とかか?
ともあれ、前哨戦としてはこんなものか?
追いかける気にもなれず、俺はハルバードを肩に担いで下がっていくのを見送った。
「しかし、蟲人か。……誰かがなんか企んでるのかね?」
それは一体、誰なんだ?
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