150 婚約解消するためにやらねばならない一つのこと 2
問答無用。
止めることも無視して別邸を出ると、荷物を抱えてそのまま王都を出た。
さて……どうするか。
いまのセヴァーナは別邸で着替えた服のままだ。馬上で移動するには少しやりづらい。王都が城壁しか見えなくなったところで、街道から離れた場所に人気の無い木陰を見かけたので、そこで着替えることにする。
馬も利用して壁を作ると手早く着替えを始める。
アストにもらった伝説級の装備、極光水晶の鎧、幻翼のマント、王獣索を身に纏う。しかしこれだけだと腰回りと太ももが視線的に無防備すぎる。マントで隠すにも限界がある。少し考えて、セヴァーナはいままで着ていた服を裂いて、それで腰回りに巻くことにした。
その上から剣帯で固定すれば、それなりになんとかなっている感じはする。
出来に満足していると、ふと記憶が頭をよぎった。
「そういえば……ルナークと呼んだな」
ユーリッヒのことだ。
太陽帝国から脱出した彼はアストのことをルナークと呼んだ。
アスト自身がルナークと呼べと言っているのだが、どうにも直せないでいた。それはユーリッヒも同じだった。
それなのに、彼は最後に「ルナーク」と呼んだ。
そしてそれにアストは気に入らない顔をしていた。
不思議なことだがあの瞬間、アストは敗北していた。
負ける要素など存在しないかのような強者となったと思っていた彼が悔しさをひた隠そうとしていたのだ。
まるで彼を見続けたユーリッヒのようだった。
立場が逆だったのだ。
(いったい、なにがあったのだろう?)
ふと考えたそのことが気になりながら、再び馬に乗る。
さて……と思ったところでセヴァーナの耳はそれを聞きつけた。
大地を削るように回転する車輪の音。そして無数の馬蹄。
さらに集中すれば、聴覚がその声を拾う。
女性の悲鳴と、子供の泣き声。
「っ!」
そうとわかった瞬間、セヴァーナは馬上の人となり、馬腹を蹴って走らせた。
それは王都から出立した馬車なのだろう。装飾の立派な二頭立ての箱馬車だ。
しかしそんな馬車はいま、街道から外れたことで柔らかい土に車輪が絡まり、身動きが取れなくなろうとしている。
御者はなにをしているのか?
その人物は安定を欠いた馬車に揺られて、ぐらりと傾き地面に落ちる。首には一本の矢が突き刺さり、彼の命がもはや尽きていることを示していた。
身動きが取れなくなった馬車に繋がれた馬は切ない鳴き声を上げている。
その周囲を五騎の男たちが囲む。
「繰り返すが、子供は殺すな」
「わかっておりますよ、おいっ!」
一人、身形のいい男の命令に他の者たちが従う。四人は馬から下りて馬車を囲むと一人が箱馬車のドアを破壊し始めた。
ドアの鍵は瞬く間に壊され、開いたドアから女性が引きずり出され、ついで子供に手が伸ばされようとしていた。
そのときだ。
「ぐぇっ!」
子供の手を掴もうとしていた男の首に突如として光る縄が巻き付いたかと思うや、大人一人がいとも簡単に引っ張られ、宙を舞い、落下する。
柔らかい草の上だったので命は無事かも知れないが、骨折は免れないだろう落ち方だった。
「貴様ら、なにをしている!?」
王獣索を引き戻したセヴァーナの一喝が響き渡り、男たちだけでなく捕まった女性、そして子供たちまでも表情を引きつらせて硬直する。
「な、何者か?」
「セヴァーナ・カーレンツァだ。貴様らこそ何者か?」
身形の良い男がなんとか問いただし、そしてその答えを聞いてなぜか表情を緩めた。
「セヴァーナ様! ならばお聞きください! 我らは王太子の命を受けて行動している者です」
「なに?」
まさかこんなにも早く王太子という言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「これなる者はつい先日、不敬にも王太子殿下に離婚を申しつけた女。しかもそれだけでなく、殿下のご子息を自領に誘拐しようとした犯罪者でございます」
「わっ……我が子を連れ帰ろうとしてなにがいけないのですか!?」
男の言葉に女性が顔色を変えて叫んだ。
「バカな! 王太子のお子様ということは、将来においてその立場を継ぐやもしれぬお方! 貴様のしようとしていることが誘拐でなくて、なんだというのか!」
勇者の登場を自らの優位と信じたのか、男は悠々とそんなことを宣い、近づいてくるセヴァーナを受け入れた。
腹が立ったので、その顔を鞘で殴りつけた。
「へぶっ!」
力加減を失敗したか、男は鼻血を吹きながら地面に転がり、そのまま動かなくなった。
雇い主だろう男が倒れたことで、残りの三人が愕然とする。
そんな彼らにセヴァーナは不機嫌な目を向けた。
「改めて言うが、わたしはセヴァーナ・カーレンツァだ。しかも今日のわたしはとても機嫌が悪い。それでもなお逆らうというなら命を賭ける覚悟を持って行動せよ」
「ひっ」
「倒れた者はちゃんと連れて帰れ」
女性を確保していた男が離れたところでそう付け加えると、気絶したままの二人を抱えて逃げていく。
慌てふためく馬蹄の音が遠退くと、セヴァーナは馬から下りて女性に近づいた。
「怪我はありませんか?」
「あ、ありがとうございます」
「それにしても護衛もなく王都を出るとは少し不用心ですね」
「違うのです。さきほどの連中が護衛のはずだったのです」
女性の訴えにセヴァーナは顔をしかめた。
王太子と離婚した女性……ドミネアス公爵の娘、エンセアは王都の別邸から自領へと移動するために準備を整えて出発すると、突然、雇われ人である男が裏切ったのだという。
あの、鼻血を吹いて倒れた男だ。
男はごろつきを雇って王都外で王太子の子供を捕まえようとしたのだという。
御者が忠義心を発揮して囲いを突破することが出来たのだが、その彼は不幸にも矢の餌食となってしまった。
「王太子に金を握られたのでしょうが、情けない話です」
地面に倒れた御者に哀しげな視線を送り、エンセアは目を伏せた。
「まったく。しかし、エンセア様とお子様が無事でよかった」
親子の抱き合う姿を見てセヴァーナはほっとする。
幼い子供がいるとはいえ、エンセアはまだ若い。セヴァーナよりほんの少し年上というぐらいだろう。
いや、この世界ではむしろセヴァーナが結婚していない方がおかしいのだ。
「しかし、よろしいのですか? 父の話ではセヴァーナ様は……」
すでに知っているようだ。
心配げにこちらを見るエンセアにセヴァーナは微笑んで見せた。
「実は、その話が嫌でたったいま父と喧嘩して家出を宣言してきました」
「まぁっ!」
「ですので、カーレンツァ家はともかくとしてわたし個人はエンセア様の味方です。むしろ、積極的にご助力したいくらいです」
「あ、ありがとうございます」
ともあれ、エンセアとその子をドミネアス領に送ることを約束し、御者を埋葬すると、セヴァーナは馬車を街道まで押し戻す。
獣を支配する王獣索を利用すれば馬車馬を御者なく操ることは不可能ではなかった。セヴァーナは馬車を後ろから押すことに専念し、さほどの苦労もなく街道に戻すことが出来た。
勇者とはいえ女性一人でそんなことができるとは思っていなかったのだろう。エンセアの驚く顔を見ていると、自分が本来こうなりたかった姿が彼女の中にあるような気がした。
しかしそんな彼女とて幸せな結婚を逃して苦労することになっている。
では、その道からも外れてしまったセヴァーナの幸せとはどこにあるのだろうか?
「……難しい問題だな」
ふうとため息を吐き、セヴァーナは御者席に着いて馬車を操る。
乱暴な話だが二人ほどぶっ飛ばしたおかげで冷静さが戻ってきた。いまならもう少し冷静に父と話せるかもしれない。
とはいえ王太子との結婚などまっぴらごめんだ。政治的思惑云々以前に、人間としてありえない。立派な貴族の令嬢となる夢は果たされなかったのだ。その上で女としての幸福まで失ってたまるものか。
しかしかといって、実家が不幸になってもかまわないとまでは思えない。
カーレンツァ家が生き残るための別の道を見つけなくてはならないだろう。
「……ドミネアス公爵と結託するのも手かな?」
その辺りの考えをまとめつつ、落ち着いたら父に手紙を書こうと心に決める。
断絶がろくな結果を招かないのはアストとユーリッヒを見ていればよくわかる。
自分はその轍は踏まないようにしようと、セヴァーナは思うのだった。
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