144 逆回し迷宮街 1
おれたちは太陽神の試練場を出ると、すぐに帰国の準備に入った。
宿で荷物の整理をし、冒険者ギルドへの嫌がらせを手伝ってもらった薬種問屋でいままで集めた素材の取り分を受け取り、無限管理庫に放り込む。
目の前でやって見せたが、気にはしない。どうせ誰にも真似はできないのだ。
そのついでに試しにと集めた黄金の矢を全て出して売却を頼んでみた。薬種問屋の店長は専門ではないが売りようはあるということで買い取ってくれた。
相場も考えずに渡したが、けっこうな金額になった。
これなら以前に集めた黄金の剣も換金できるかもしれない。
だがやはり、いまのところは金に困っていない。
そんなことよりもおれが売ったという事実を隠して換金できる場所ができたと考える方が重要だ。
今回のことでこの薬種問屋だけでなく周辺都市のセルビアーノ商会傘下の店もそれなりに儲けることができたと感謝を言われた。
他の都市にある傘下の店もおれには協力してくれるだろうとも言ってくれたのだ。
金に困ることはしばらくないだろうが、なにか儲け話を見つけたときには相談相手ができたと考えられるのはいいことだ。
手に入れた素材に関してはタラリリカ王国に戻ってからニドリナやハラストたちと山分けすることになっている。
金に換えてもいいし、新しい装備を作るのに使ってもいいだろう。
試練場で手に入れた太陽の欠片とやらは、そういう用途に使うものらしいしな。
グンバニールでのやるべきことはこれぐらい終わりだろう。
ユーリッヒのことはいまは聞きたくもない。
奴はおそらく『王』となり、セヴァーナも二つの聖霊の加護を持つようになった。成長のなかったザルドゥルが肩身の狭い思いをすることになるかもしれないが、残り二国は勇者の成長を喜ぶことだろう。
あるいは、高まる権力を嫌がられることになるか。
そんなことを考えながら鬱々とグンバニールを出る。
「嫌がらせをするつもりがやり返されるなど、情けない話だな」
おれの態度にうんざりしたのか、ニドリナがそんなことを言う。
「なにを言われた? いや、貴族の言うことなど簡単に想像できる。高貴な義務とやらを理由にお前とは違うとかなんとか言われたんだろう?」
「まぁな」
「そんなものを気にしてどうする? いいか、奴らの高貴な義務とやらは奴らが奴らでいるために必要なことだというだけだぞ」
「そうかもしれないな」
「誰かと比べておれの方が偉い、凄いなどというのは愚かな問答だ。そもそも……」
と、ニドリナがいろいろと言っている。
三人とも馬に乗り、それなりの速度で走りながらの会話だ。馬蹄の音がほとんどかき消してしまっているはずで三人以外には聞こえているはずもない。
というか、もしかしてニドリナはおれを慰めているのだろうか?
まいったね。
そんなにおれはあからさまにへこたれているのか。
へこむわー。
しかし……と、おれはいまは旅の友となっている二人を見る。
元暗殺者のニドリナはおれといれば強くなれるからという理由がある。
つまり、強くならなければならない理由、目的があるということだ。
そしてハラストは公表できないしする気もない異父妹を影から守るために騎士になった。おれとの同行はできればやりたくない任務だ。
おれにだって強くなる目的はある。
だが、二人のそれと比べるとおれの生きる目的は特段に軽いもののように思えてならない。
そんなことはないと思いたいのだが、なんだろうな?
ユーリッヒに言い返せなかったのがひっかかっているのはわかっている。
つまりおれは、ユーリッヒがやろうとしていることを羨ましいと思っているのだろうか?
貴族の義務を?
大衆の上に立って正義を行うということを?
まさか……と思いたい。
そもそも、おれの貴族嫌いは奴らのせいだ。
ガキの頃は貴族なんて雲の上の存在だと思っていた。接触する機会なんてなかったからな。うちの村は貴族が興味を向けるようなものはなにもなかった。やって来るのは徴税官と魔物駆除で派遣された冒険者や騎士ぐらいのものだ。
そんなおれが勇者と見出され、ユーリッヒとセヴァーナという二人の貴族に出会い、そして生きている世界の違いとそこから生まれる拒否という摩擦を嫌というほど体験させられた。
どうしてそれで貴族に憧れる?
どうして……?
馬蹄の音が、いつの間にか他の雑音に変わっていた。
意識が過去へと向かっていく。
その日のおれは雨に打たれていた。
濡れたら剣が錆びてしまう。布に包んで胸に抱き、目的地へと走る。
夕方の……そこは迷宮街と呼ばれる場所だった。
ザナンデラス迷宮街。
戦神の試練場を囲む、冒険者たちの街。神に選ばれた勇者たちが最初の修行に訪れる場所。
誰にでも開かれた試練場には戦神が配置した魔物たちが住み着き、そして尽きることのない宝が眠っている。
罠と魔物が待ち構えた先にある宝は、戦うためのものばかりだ。
しかし、そこから見出される武具には特別な力が宿り高値で取引されることになる。冒険者にとっては強い武具を手に入れるという誉れと大金を手に入れる好機を兼ね備えた場所がザナンデラス迷宮街だった。
いまのおれから見れば手に入るのなんて希少級がほとんどで、十五層で運が良ければ伝説級が手に入るという程度なのだが、当時のおれからしたら絵物語の英雄が手にするような生涯の相棒が見つかるかもしれないという希望を感じさせる場所だった。
しかし、雨に打たれてザナンデラスを走るおれは、ぼろぼろの安物の剣を濡れるのから守りながら鍛冶屋への道を急いでいた。
「またお前か」
鍛冶屋の親父は濡れ鼠のおれを迷惑げに見つめた。
「すいません、修理を」
「ベッカー!」
おれが差しだした剣を見ることもなく親父はその名前を叫ぶと奥へと消えていく。
現われたのは当時のおれと同い年ぐらい見習い鍛冶師だった。
「練習台だ」
「へい」
すれ違い様にそう言われたベッカーは、おれを見てにこりと笑った。
「さっ、見せて」
熱気に満ちた鍛冶屋の中で、おれにはない朗らかな笑みを向けると手を差しだしてきた。
その手におれは安物の剣を、その時のおれの相棒を預ける。
「それにしても、君もめげないよね」
カンカンと芯の曲がった剣を打ち直しながらベッカーが言う。
「いい加減、つらくならないの?」
この街にいて、おれの苦境を知らない者はいない。
ユーリッヒやセヴァーナの実家の連中が根回しをして、おれの相手をしないようにさせているのだ。
それでも全ての人がそれに従っているわけではない。
中にはこの鍛冶屋のようにこっそりと、嫌々ながらおれの相手をしてくれるところもある。
見習いの練習という名目でおれの剣の面倒を見てくれるのだ。
「……つらいよ」
「あはは、だよねー」
「だけど、負けてられないんだ」
「やる気がずっと続いてるのは偉いよ」
ベッカーはいつでもにこにこ朗らかな青年だった。
その笑顔のせいでなにを考えているのかよくわからなかったから、正直に言えばあまり好きではなかった。
だが、好き嫌いの贅沢など言っていられない。
武具の修理でおれが頼れるのはここだけなのだから。
「だけどね。君の状況が良くなることはきっとないよ」
「…………」
「ここはたしかに戦神の神官たちが直接管理する自由都市だけど、その運営資金は世界中の貴族たちの寄付で賄われている。君のがんばりはみんなが知っているし、庶民出の勇者なんてちょっと嬉しいけれど、だけど、君に協力しようとなんて誰も思わない。なぜなら、僕たちの生活は世界中の貴族たちがここにいて良いと認めているからできているからね」
そして貴族たちは勇者という特権を貴族だけで独占しておきたい。
だから、おれは邪魔者だ。
「……君みたいな人もいるよ」
「あははは」
ベッカーは笑うだけだ。
世界から邪魔者だと思われているかのような気分の中、この、よくわからないがよく笑う青年の存在はおれにとって救いだった。
「だけど、僕はただの見習い鍛冶だよ。勇者の武器を鍛えるような器じゃない」
「いま、そうしてるじゃないか」
「うん?」
「いま、勇者の剣を鍛えてるじゃないか」
「……なるほど」
世界はおれを打ち倒そうとする。
だけど、おれを負かすことなんて絶対にできない。
それを教えてやるように、おれはにやりと笑ってみせるのだ。
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