141 光の帝国へ 21
太陽が傾いていく。
真上にあった太陽が観客席の向こうに沈んでいく。
真っ青だった空はいつの間にか日が弱まり、雲が流れ、夕焼けの赤へと変じる一歩手前、紫に染まる。
「逢魔が時……ってやつだな」
「なんだこれは!? なにが起きている!?」
ユーリッヒが慌てふためいている。
まったく、おれにとっては楽しい光景だ。
「なにをした!? アスト!!」
「ルナークだって言ってんだろ」
いつまでも学習能力のないお飾り皇帝に呆れながら、天に向けていた指を下ろした。
「ぶっ壊したんだよ。お前の大事なこの世界を」
「なに!?」
「壊し方は聞いてくれるなよ」
どうやらお前もセヴァーナも知ることができなかったみたいだしな。
ネタ晴らしとしては簡単、紋章だ。
かつておれは、古代人のダンジョンを見て彼らが神の試練場を模してダンジョンを造ったのではないかと予測した。
実際、紋章という技術を手に入れたのは試練場の中だったのだしな。
古代人と呼ばれている存在がおれと同じように『天孫』の称号を得るに至った人々であるなら、その可能性は高い。
そして、模したということは、神々の作るこの試練場も紋章で構成されているのではないか? と、いうことまではけっこう前に考えていた。
そして紋章で作られたダンジョンは、紋章によって乗っ取ることができるのではないか? と……。
あいにくとそれを実証している暇はなかったのでぶっつけ本番だったが、うまくいった。
やり方としては簡単だ。魔物を倒して紋章を奪う要領で地面の紋章を手に入れてはおれ自身で打ち込み、柵の紋章を手に入れては打ち込み、兵士を襲ってその紋章を手に入れては打ち込み……というやり方を繰り返してすり替えていった。
実を言うと紋章が使えることは早い段階で気付いていた。
だが、ユーリッヒが愕然とする顔が見たかったし、おれがいなかった間にこいつが紋章のことを知っている可能性もあった。
なので、闘技場での戦いでは紋章を確保することのみに集中し、すり替えは檻の中にいる間でだけ行った。
そんなことをしているときに、おれに対する魔法妨害や仙気の障害となる部分を見つけ出し、それの乗っ取りに成功した段階で、黒号と無限管理庫の鍵も取り返した。
では、檻の中にいながらどうやって闘技場内の他の場所を侵蝕していたのか?
その答えが、これだ。
おれは再び指を鳴らした。
その音に呼応して地響きが発生する。
「な、なんだ?」
「おれは生きてました残念! ……で、終わるわけがないだろう」
そしてそれが姿を見せる。
闘技場の入退場口の両方から、観客席の隙間から、観客たちから…………。
血が溢れ出す。
【狂神血界】
吸血鬼の頂点に立つ神祖の技だ。
本来は己の魔力圏内に吸血血液を生みだし、相手を溺れ吸い殺す技だ。神祖となるほどの者の魔力は凄まじく、それだけに範囲は広く、血液は氾濫した川の如く暴れ回る。
おれが出会った神祖は立体的な迷宮の中、自分の姿を見せず吸血血液の奔流に追い回されたものだ。
この【狂神血界】は少し改造を加えた。吸血血液ではなく、紋章を奪い、すり替える侵蝕血液に変化させた。
そう、紋章を改造したのだ。
できた。
やれたのだ。
紋章という形で手に入れた能力をただ利用するだけではなく、それを自分の望む形へと変化させることができた。
それができたからこそ、おれはもう一つの決断を下した。
ただユーリッヒにやり返すだけではなく、それ以上のものを手に入れるために。
おれはこれをやり遂げると決めたのだ。
檻の周りにできていた血泥の池はこの一部だ。地下へと沈んだ血が紋章をすり替えていく中、おれは偽装のためにわざと戦いで傷ついていた。
……最初の方は本気で傷ついていたけどな。
そしていま、ここまで増やすことができた。
「太陽は沈むんだよ、ユーリッヒ」
血海に飲まれていく闘技場を背に、おれはユーリッヒに告げる。
おれに化け、陽天審判者を喰らった黒号は血の海に沈むのを嫌っておれの腰へと逃げて来た。
セヴァーナはどうなったか?
ギリギリで救い出す気だったし、彼女の身体能力なら逃げ出すのも苦ではなかったはずだったのだが、そもそも彼女の気配が消えた。
いなくなった。
どうやらこの世界から退場したようだ。
新たに炎の聖霊の加護を得たセヴァーナは一つの試練を乗り越えた。ここが試練場である限り、その事実を持って彼女の試練が一つ終わったと判断されて出ていったとしてもおかしくないだろう。
もしそうでなかったとしても、知ったことではない。うまく切り抜けられなければどこかで消えてしまうだろう。
「空に太陽があるならば、夜も必ずやって来る。それは世界の大半を占める現実だ。一人の皇帝が頂点に立ったなら、その皇帝の時代が終わることもまた時間の問題だ」
「黙れ……」
「さあ、道化の皇帝ユーリッヒ。退位の時間だ。それとも革命の方が好みか?」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ユーリッヒの怒りは陽光となり、体にまとわりつき、そして防具となった。
黄金の鎧だ。
そして手には黄金の剣。
どれもこれも伝説級に相当する装備だろう。いままで溜め込んだ力は、そんな武具を生み出すほどだったか。
ユーリッヒの背後で太陽の聖霊が輝き、夜に沈む世界に抗う。
眩しさに目を細める中、ユーリッヒが迫る。
おれは黒号を抜き、奴の一撃を受け止めた。
「貴様はっ! どこまでもおれの前で……目障りだ!」
「いいね、そういう素直な感情は嫌いじゃない」
受け止めた剣を跳ね返し、その場で数号打ち合う。
「最初からそれだけ素直に嫌ってくれたら、おれだってもっと違う嫌われ方をしていたかもな! こんなにねじくれずにな!」
「貴様は昔から、いけ好かない奴だった!」
「そいつは意見の相違だな!」
ユーリッヒの剣はときに剣身が消失し、こちらの剣をすり抜けて襲いかかってくる。
おかげで何カ所かは斬られた。
「貴様がどれだけ強かろうと、おれの光を邪魔することはできん!」
「ご大層な言葉だな。だが……」
おれは黒号を収め、そいつを呼びだす。
【聖霊憑依】
【聖霊剣現】
雷聖霊を呼びだし、即座に剣へと変える。魔力の充填はむりやりに注いで実行した。セヴァーナだってできていたのだからおれにできないわけがない。
というか、ユーリッヒの武具だって【聖霊剣現】の延長線にあるものだろう。
……いや、セヴァーナの氷炎の剣は二聖霊を従えた結果の独自技かもしれないが。だとすればユーリッヒのそれもそうなのか?
だが、いまのところユーリッヒは強くはなったものの、それ以外に大きな変化はない。
ともあれ、おれは雷聖霊によって作り上げた剣を握り、振るう。
「っ!」
斬撃を受け止めたはずが肩に切り傷が生まれ、ユーリッヒが瞠目した。
「光にできることが雷にできないとでも思うか?」
そうだな【雷飛斬】とでも名付けるか?
「貴様っ!」
ユーリッヒの剣とおれの【雷飛斬】が衝突し、周囲が眩く閃く。
距離を取っての剣撃のやり合いかと思えば【陽身】を使って一瞬で距離を縮めてくるので、こちらも【雷速】で再び距離を取る。
閃光と稲光が舞い散る位置取り合戦は引き分けに終わり……いや、引き分けで終わらせた。
「どうした? 魔力が尽きたか?」
「うるさい!」
すでにこの世界でのおれに制限はない。魔法も使い放題に使っているし、この世界に満ちた魔力からの供給もある。
魔法を封じられている間に仙気でどうにかしようとあれやこれやと苦労したおかげで、仙気と魔力の互換性を高めることもできた。
「……お前に負ける要素が見つからないな。どうするんだ? やはり、太陽は沈むのか?」
すでに逢魔が時は過ぎ、夕焼けの赤も夜に吞まれようとしている。
「ふざけるな。おれは……おれは!」
怒りに表情を歪めるユーリッヒの背後に太陽の聖霊が現われる。
ゆったりとしたローブに身を包み、光輪を頭にいただいた聖霊の姿が歪んだ。
「おれは、この程度では終わらん!」
その叫びとともに、聖霊の姿が変化した。
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