133 光の帝国へ 13
ここはどこだ?
気が付くと、わたしは知らない場所で寝かされていた。
立派なベッドだ。
深く沈み込むために動きづらく、腰を滑らせてなんとか降りる。
降りてようやく、自分の姿がさっきまでと違うことを確認した。
ここは……とりあえず寝室のようだ。
さっきまでいた大きなベッド以外は特に目を引くようなものはなく、ただただ広い部屋でしかなかった。
窓はなく、紗幕が外との境界の役目を果たしている。
実家のオウガン王国でも、さっきまでいたはずのグルンバルン帝国の建築様式とは明らかに違う。
ここはまるで見覚えのない異国だ。
家宝のレイピアもない。そもそもザルドゥルやアストとその仲間たちはどこに行った?
いま着ているのは絹製の貫頭衣のような服だった。おそらくはネグリジェなのだろう。
いつ着替えさせられたのだろうか?
そしてここは?
「おはようございます。セヴァーナ様」
その言葉に驚くと、広い部屋の入り口に女性が数名立っていた。統一された服装からして侍女やメイドの類なのだろう。
「お着替えをお持ちしました」
「え? あ、はい……」
曖昧に頷くセヴァーナにかまわず、侍女たちはさっと近づいて着替えを行う。
実家でもザンダークで待機しているときでも大要塞でも、専任の侍女がいて着替えを手伝ってもらっていたのでそれほど抵抗なく受け入れたものの、状況の奇妙さから侍女たちに気味悪さを感じてもいた。
新たな服も母国では見ないものだった。
自分の紫の髪に合わせた衣装は不可思議な色合いだった。光を反射した際に薄い紫色が姿を見せるのだ。まるで光が当たったことで、布の一層下の色が透けて見えているかのような、そんな生地だ。
はたして、そんな布が本当にあったとして一体どれだけ高価なものなのだろうか?
(これは夢だと考えるのが一番妥当だと思うのだけど……)
夢の中で夢と気付く、明晰夢というものだ。
そう考えれば久方ぶりの女性らしいドレスに心躍りもするが、油断にまでは至れないのはこれまでの日々が許してくれないからだろう。
「あの……ここはどこなのですか?」
と、いまは髪を整えている侍女たちに尋ねる。
「はい。ここは太陽帝国でございます」
太陽帝国。
その単語がセヴァーナの記憶を刺激する。
『条件達成しました。太陽帝国へと移動します』
聞いたこともないような無機質な声でそう言われた。
そう。
太陽の殉教者を倒し、アストが仲間二人と冗談を言い合っている姿に驚きと羨望を感じて、思わず口を挟んでしまって……。
そこであの声が聞こえたのだった。
そして気が付けば、身も知らぬ場所にいる。
「あの……アストとザルドゥル、わたしの仲間がどこにいるか知らないか?」
「…………」
だが、侍女はその質問には答えてくれなかった。
何度か声をかけてみたが、返事をしようともしない。用意された言葉以外はなにも言うつもりはないのか、あるいは言えないのか。
頑なになっている様子がないことが不気味だった。
「では、こちらに」
髪を整え終えると、侍女は部屋の外へとセヴァーナを案内する。
半狂乱になってここはどこだと叫んでもいいのだが、それをしても無駄だろうという思いがどこかにある。
おとなしく従い、部屋の外へと出る。
広くて長い廊下は別の建物へと繋がる渡り廊下のようなもののようだ。
雲一つない青い空で、太陽は強い光を地上へと注いでいる。日陰となっていた室内は涼しかったが、日の差す渡り廊下は肌に刺すような暑さだ。
日陰から一歩出てその眩しさと暑さに小さく唸ると、さっと背後から日陰が伸びてきた。振りかえれば大きな傘を持った男性がそれで日を遮ってくれている。
静かに控えている彼に礼を言うべきかどうか悩み、答えが出る前に侍女に促されて歩みを再開した。
声の塊のようなものが聞こえてくる。
それは歩を進めるごとに大きくなり、いま向かっている建築物からしているのだとわかった。円形の建物のようだ。
闘技場のようだと感じたが、おそらくはその通りだろう。聞こえてくる歓声もそうだし、近づくにつれて空気に血臭が含まれていくのがわかる。
大要塞でずっと嗅いでいた臭いだ。
美しい衣装を着せられた喜びが瞬時にかき消えていく。喪失感は足取りを重くさせた。
しかし、セヴァーナを保護した誰かは、一体何者なのか。
闘技場と連結した建物を持っているということは、所有者は同じということだろう。
だが、ああいう建物を個人で所有するということはほとんどないのではなかろうか?
だとすれば……?
そんなことを考えている間に闘技場へと入っていく。日陰に入ったため傘持ちの男性はそこで足を止め、まるで置物のようにその場に待機した。
歩き続ける侍女の後ろに続く。通路にも響く歓声が次第に強くなっていく中で、見えた新たな日向が観客席に辿り着いたことを教えた。
そこは特別な席のようだった。
観客席のどの場所よりも高い位置にあり、強い日射しは布の屋根が柔らかく受け止めている。
玉座に似た二つの石造りの席があり、高い背もたれがここからでは視界の邪魔をする。片方に誰かが座っているが、ここからでは膝掛けに乗せた腕しか見ることはできなかった。
「お連れしました」
周囲を守る衛兵に侍女が告げ、衛兵が隣に控える側近に伝え、そして玉座の誰かに耳打ちされる。
玉座の言葉はその流れを逆に辿り、セヴァーナに隣の席に座るようにと促された。
促されるままにそこに向かい、座る前に自国の作法に則って玉座の人物に礼をする。
下げていた視線をあげてその人物を確認し、セヴァーナは硬直した。
「……ユーリッヒ?」
玉座に座っているのは彼だ。
彼の母国グルンバルン帝国とはまるで様式の違う服を着ているし、短かった髪が肩を超えるほどに長くなっているが、それでもそこに座っているのがユーリッヒ・クォルバルであることは間違いない。
「よく来たな、セヴァーナ。まぁ座るといい。もう試合は始まっている。見物だぞ」
そう言って笑う彼の顔を見て、赤の他人なのではという疑念に駆られた。いつも気難しげなユーリッヒがそんな余裕の笑みを見せるなんて。
しかし、たしかにセヴァーナの名を読んだ。
声も同じだ。
「ユーリッヒ……これはどういうことなの?」
「まぁとにかく座れ、そして試合を見ろ」
「…………」
元より硬い命令形の……簡単に言えば高慢な口調が多かったユーリッヒだが、今日のそれは高慢ではなく傲慢のように感じられ不快だった。
問いただす気も失い、促されるままに隣に座る。石の玉座には幾つものクッションが置かれている。
香水が振りかけてあるのか、それとも中に花弁が仕込まれているのか。彼女を受け止めたそれらから香りが漂うが、気分を落ち着かせてはくれなかった。
むしろ興奮させる作用でもあるかのような胸を突く感覚があり、セヴァーナの不機嫌を後押しした。
それでも言われるがままに試合を見る。
やはりここは闘技場で、そして行われているのは剣闘試合のようだった。
かつてはどの国でも捕まえた男の奴隷を戦い合わせたものだそうだが、人類領会議ができたいまでは奴隷は公式では認められていないし、闘技場にも姿を見せない。
いまの闘技場は捕まえた魔物同士を戦わせたり、騎士や戦士たちが腕を競う場所となっている。魔物と事故以外では死者が出ることはない。健全な場所だ。
だが、この場所に染みこんだ血の臭いにそんな健全さはなかった。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
歓声の大半はそんな内容ばかりだった。
そして、戦っているのは人間同士。
みな、腰布一枚という状態でそれぞれが武器を持っている。地面が固いのか、それともなにか危ないものが仕込まれているのか、どの人物も足の裏に怪我をしているようで、足回りは血と土で汚れている。
そして、すでに倒れている剣闘士もいる。彼はどう見ても致命傷を受けて虫の息か、あるいはすでに絶命している様子だ。
本当に命を賭けた戦いが行われている。
そしてそれを、周りの人々は娯楽として眺めている。
大要塞で生死の狭間を覗き見るような戦いを経験してきた身として……いや、ただの人としても眼下で起きていることは不快でしかない。
どうしてこんなことになっているの?
言葉にならないまま隣のユーリッヒを見ると、彼はにやりと笑い、「まだ気付かないのか?」と言った。
「え?」
「ほら、あそこだ」
そう言ってユーリッヒが指差した先には不自然に盾を振りかざした人物がいた。
いや、違う。あれはユーリッヒの視線に応えているのだ。
そして手を振っているわけではなく、中指を立ててこちらを挑発している。
あれは……。
「アスト!?」
「農民の小せがれには相応しすぎる場所だろう?」
そう言って、ユーリッヒは愉悦の笑いを零した。
よろしければ評価・ブックマーク登録をおねがいします。




