10 聖女の家出
腹が減った。
いや、いかん。
いまだに地下迷宮で出会った魔物を喰らうという生活習慣が抜けていない。
魔物なんてもはや喰いたくないし、地上の魔物を喰ったところでなんの恩恵もないはずなのだが、長い間培った習慣はなかなか直らないものらしい。
ていうか魔物が喰えたとしても、三歩進めば魔物に見つかる戦神の試練場地獄ルートと地上は違うのだ。
街道を歩いているだけではそう簡単に魔物に会うわけがない。
ともあれ、おれは考えなしに道を進み、昼になったところで腹が減りすぎて動けなくなった。
「参った……まさか宿場町にさえ辿り着かないとは」
あの村でおれは剣と服と身分証はもらったが、それ以外はなにも持っていない。
水も食料も持たずに集落を出るとは普通の考えなら愚かの極みなんだが、おれはその普通が完全に抜け落ちてしまっていた。
「いや、ほんと……これは意地でもすぐに直さないと死ぬな」
おれは街道の端に生えた木の下で伸びたまま呟く。
いまが夜なら支配下に置いた下位吸血鬼のイルヴァンに食事を探して来させるのだが、いまは真昼だ。彼女は影獣の腹の中に隠れている。
旅人や行商人はそこそこ行き交っているのだが、誰もおれのことを気にしやしない。
「世間の風が冷たい」
ぼんやりと呟く。
まぁ、すぐに死ぬわけではない。とりあえずはイルヴァンが活動できる夜までここで寝て過ごすか。
ああ……動けないおれにバカな悪党が財布でもスリに来てくれないかな。逆にそいつを丸裸にしてやるのに。そうすれば保存食と次の街での宿代ぐらいは手に入るのに。
そんな食虫植物的なことを考えながら瞼を閉じようとしていると、細くなった視界に近づいてくる足が見えた。
「あの……大丈夫ですか?」
目を開けると、旅用の外套に身を包んだ少女が立っていた。
陽光の暑さからか前は閉じられてなく、そこから神官衣が覗き見える。
フードの奥に隠れていたのは白い少女だった。髪も睫も肌も白い。いわゆるアルビノと呼ばれる人々だろう。神官衣の前掛け部分に縫われた紋章は、太陽神を示している。
「ああ……聖女か」
神官においてアルビノは特別な存在として大事にされ、修行を終えた者は聖者・聖女と呼ばれるようになる。
「わ、わたしのことはいいですから。あなたのことです。大丈夫ですか? 怪我ですか? 病気ですか?」
「いや、腹が減ってるだけだ」
「…………え?」
「ちょっと着の身着のままで旅をしていてね。食料がないんだ」
「あ、危ないですよ。そんなのは」
おれの言葉に呆れ交じりで聖女は自分の荷物から食料と水を差しだしてくれた。乾パンと水だが、おれには命に等しい価値のある物だった。
「たすかる」
一気にがっついてから、おれは彼女にお礼を言った。
「おれはルナークっていう。とある理由で一文無しの家なしだ」
「あ、わたしは……」
と、神官は言葉を濁した。
「うん?」
「通りすがりのお人好しです!」
そう叫ぶと白い神官は街道を走っていった。
「あ、ちょっと……」
水が入った革袋を置いていってしまった。
「どうしたもんかな?」
これではあの聖女が困るのではないのだろうか?
彼女が向かったのは、とりあえずのおれの進行方向と同じだ。
「じゃ、とりあえず追いかけるか」
乾パンも良かったが、水分補給できたのが大きい。
よいしょと立ち上がると、おれはそちらへ向かって歩き出した。
馬蹄の響きが背後から迫ったのはすぐだった。
「どけどけい!」
止まる様子のないその音に男の怒号が響き、街道を使っていた人々が慌てふためいて端に避ける。
おれも振り返りつつ端に移動した。
迫ってくるのは騎士たちのようだった。
人を轢いても止まる気がないのはその必死な顔を見ればわかる。
そして、彼らの鎧に刻まれた家紋……あれ、どこかで見たことがあるな?
ううん……と唸っていると、馬から逃げる際にロバから荷物が落ちた老人が苛立ち交じりに吐き捨てた。
「クォルバル家の連中め!」
あっ……。
思い出した。
ユーリッヒ・クォルバル。
おれと一緒に修行した貴族勇者の一人だ。
そう気付いた瞬間に、おれは騎士たちを追いかけていた。
†††††
水を置いてきてしまったことに気が付いて、テテフィは愕然とした。
聖女だと言われたことで慌ててしまったのだ。
「うう……」
喉の渇きを癒やせなくてテテフィは気分が落ち込む。
外套が脱げないから、暑い。
つい先日までこの白い髪も白い肌も自慢だったのに、いまはそれが疎ましい。どこにいてもすぐに自分が何者かがわかってしまう。
いや、この神官衣も悪いのだ。
脱いでしまいたいのだが、代わりの服はない。
だが代わりの服を見つけたところで、自身に付きまとうこの純白からは逃れることはできないだろう。
さきほどの青年に水と食料を施したことを後悔した。
そうしてしまったのは、いままでの生活からの条件反射のようなものだった。困っている人はたすけ、恵みを授けられるのならばそうしなさい。
そうすることで、聖女としてさらなる高みに近づくことでしょう。
そう教えられてきたし、それを実践してきた。
そうすることで、人々から捧げられる感謝の念がテテフィの聖女としての力となっていることも自覚していた。
だけどまさか……。
まさか。
気付くのが遅れたのは、水分不足の疲労からか、あるいは物思いに耽っていたからか、聖女としての修行以外を全て他人に任せてきたツケが回ったからなのか……おそらくは全てだろう。
背後から迫る馬蹄の音に気付いたときにはもはや遅く、前に回り込まれてしまった。
「見つけましたぞ、聖女様」
「ひっ!」
「さあ、神殿に戻っていただく」
「い、いやです」
逃げ場を求めて後ろにさがるが、すでに馬に囲まれて逃げ場はない。
騎士たちは次々と馬上から下りて、包囲の輪を狭める。
「あなたは儀式に選ばれたのです。その名誉をこのような形で穢してはいけない」
諭そうとする騎士の言葉は冷静だ。
テテフィは返す言葉が思いつかず、黙って首を振る。
「さあ、これは人類のために戦うユーリッヒ様のためなのです」
騎士の言葉は無情だ。
テテフィの涙の抵抗では、それは打ち砕けない。
わかるのだ。
彼らは自分たちが間違ったことを行っているなど思っていない。
間違っているのはこんなことをしたテテフィだと思っている。
そして、テテフィがいままで生きてきた場所では、間違いなく騎士たちの方が正しいのだ。
だけど……だけど!
「嫌です!」
無駄な抵抗だとわかっていても、テテフィは叫ぶ。
叫びは無視され、テテフィは腕を掴まれ引っ張り上げられる。
それでも抵抗し、ばたばたと暴れる。
「くそっ、落ち着いてください」
「縄をっ!」
「御身に相応しい振る舞いをなさってください!」
そんな言葉が降り注いでテテフィを責める。
「やめて! たすけて!」
叫ぶが、それは騎士たちが作る輪の外には届いていないかのようだった。
街道を通るほとんどの人がそしらぬ顔で通り過ぎていく。
あるいは立ち止まる人もいるが、そんな人たちも野次馬となっているだけだ。
誰も、テテフィをたすけようとはしてくれない。
自分は困っている人のために色んなことをしてきたというのに。他人はテテフィのためになにかをしてくれることはないのか?
聖女をやめようとしているテテフィにはたすける価値もないということなのか?
その声が聞こえたのは、そんな絶望感に叩き落とされそうになっていたときだった。
「一飯の恩だ」
「え?」
その人物はいつの間にか騎士の輪の中にいた。
そして瞬く間にテテフィをひっさらうと包囲を抜けたのだった。
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