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7 戦場を駆るスレイプニル3

 思いの外ペダルが軽い。いい感じだ。


 一漕ぎすればスルスルと路面を滑るように進み、真鍮製らしきブレーキレバーを握ると、きっちりと手綱が引かれて速度が落ちる。

 サドルのクッションも申し分ない。まさに最高のママチャリだ。


 前カゴも甲冑が膝を抱えて収まる大きさにした。これで戦利品収納にも事欠かない。あとはアレだ。


「何でお前が後ろに乗ってんのよ」

「なんでって何よ。何かないと乗っちゃダメなわけ?」


 当たり前の顔をして後ろのバックステップに乗ったサキは、心外だとばかりに反論する。


「特売品買うのに、頭数多いに越したことはないじゃない。可愛い女子高生が後ろに乗ってあげてんだから、喜びなさいよ」

「えぇ……。自分で言っちゃうあたり可愛くねぇんだよなぁ。それに道交法違反だ」

「その前のは?」


 前ガゴにすっぽり収まる甲冑を指差す。


「コレは甲冑だ。ポリさんに職質されたら、デカイ荷物だと俺は主張するね」

「なら私もその時は認識阻害かけて飛ぶから大丈夫」

「それなら最初から飛んでくれませんかね。現地集合現地解散を俺は提案する」

「却下します。って、何でそんなに嫌がんのよ」


 別にいやがってるわけでもなければ、きらってるわけでもない。


 普通に考えて、当たり前の二十六歳の健全な男子としては、むしろ土下座でお願いしても叶わない状況ではある。


 しかし平日の朝っぱらから可愛い女子高生と二人乗りで、しかも甲冑持参で天下の公道を走る。

 王道ではあるが、いささか横道ではないかとの誹りを免れない。


 なかにはロリコンと邪推する者もいるだろう。

 十六歳(実年齢不明)と二十六歳。ギリギリである。ギリギリアウト。


 しかし人はもっと広く深い考えをしなければならないと常日頃から考える俺は、十年ほど精神を加速させる。


 二十六歳と三十六歳。驚くほど違和感はない。


 更にスパイスを一振り。サキはサキュバスなのだから問題ない。そう、魔物ならね。


 男を堕とすのが存在の証明みたいなものなのだ。だから、二人乗りで胸を押し付けられても、まるで問題……


「ある! 大アリだ、けしからん! おま、そんな接近したらアレだろ、ホントけしからん。俺のタンパク質的な精神がゴリゴリ削られるだろが。まっこと、けしからん!」


 けしからんのでもう一杯!


「大丈夫よ。素手で素肌触らなきゃ。っつーか、何の想像してんのよ変態!」


 振り返ると全力で顔面の毛細血管が仕事をしている。つまり火を噴きそうなほど真っ赤っかだ。


「ほら前を向け!」


 後ろから殴られでもしたら死ぬ。仕方なく前に向き直り、ペダルを踏みつけようとした時、消え入るような声でサキはうそぶいた。


「家族だって言ったの、あんただからね。可愛い妹と二人乗りするのだって、お兄ちゃんの仕事なんだから。ちゃんと仕事をしてください」


 何か戯言でも返そうかと思ったが、やめておくことにする。

 だだ一言、「そうでっか。なら仕事しますかね」と笑ってペダルを踏みつけた。



 ◇



 クリーチャーのババァ共にいつも追い抜かれる交差点に差し掛かると、俺はスレイプニルの手綱を引いた。


 ここまでは軽快だ。

 元飼い主のように勢いで突っ走ることもない。

 もしかすると戦場で砂塵を上げていたスレイプニルにとっては、この世界の公道など生温いのかもしれない。


 しかしそれもここまで。


 俺たちの敵が視界に入ったのだ。


「スレイプニル見ろ。そして認識しろ。奴らが俺たちの憎き敵だ」


 俺の声に呼応して警報ベルがジリリと鳴る。

 そして空回りするスレイプニルの猛る気持ちは、ペダルをギュイーンと高速で空回りさせた。


 そして俺のすねにクリティカルヒット!


「あらぁ。今日は三人? しかも自転車まで用意してぇ」


 激痛で鼻と目から汁を垂れ流す俺の頭頂部に、ババァの笑い声が降りかかる。


「こいつら? いつも根こそぎ特売品を攫っていくのって?」

「そう。おぼえてる。オークはキライなの」


 言葉の出ない俺に代わり、甲冑が肯定する。

 酷い言い様だ。可哀想だろ、オークが。


「あらぁ。こんな可愛い女の子まで乗せてぇ。ん? いや、ホント可愛いわね、あーた。私の若い頃そっくり! ねー?」


「ねー」と残りのクリーチャーが太鼓を持つ。

 その瞬間、地蔵のように動けない俺の肩にサキの指がくい込んだ。


「ちょっ、あの、サキさん? 痛いんですけど」

「……何ですって?」


 言っている間に、耳障りな笑い声をあげながらババァ共は出陣する。


「だぁーれが下等なオーク共に似てるって!?」

「僕じゃないですハイ。肩痛いです」


 見なくともわかる。

 背後からドヨドヨと闇が迫るような悪寒。

 晴れ渡っている初夏の朝空が途端に曇天となり、局地的(半径1メートル)豪雨が来ても何ら不思議ではない空気感だ。

 むしろ槍が降るまであるかもしれない。


「大気が怒りにみちているの」

「あ、そうそう。そんな感じ」


 調子よく甲冑に合わせてみたが、無駄だった。


「スレイプニル! 突撃よ! コレは遊びじゃない。実戦と思いなさい!」


 いななきの代わりに警報ベルを派手に打ち鳴らし、スレイプニルは発進した。

 ジャリっと路面の小石を跳ね飛ばしながら、猛烈な勢いで走る。

 前輪を浮かせて風を切り裂く様は、さながら弾丸だ。


 ……のはいいのだが、まだペダルに足を載せていなかった俺の脛を打ち続けていた。


「いただだだどだだだまだただだぁやっっっッーー。トーメーテーッ!!」


 俺の叫びは一瞬にして後方へと流れ、スレイプニルの耳に届かない。


「てててめぇ、止まりやがれ。俺の言葉は念仏か!? 成仏しますかコノヤロー!?」

「スレイプニル、聞く耳持たないでよ。さっさとオークを抜き去って勝利のファンファーレよ!」


 ペダルを踏むことは諦め、何とかボロボロの足を上げてライディングポジションを決める。


「すげぇ」


 思わず声が出た。

 風景が恐ろしいスピードで流れ、はるか彼方見えていたオークのデカイ尻がみるみる更にデカくなる。

 チラチラとこちらを振り返り、焦っているように見える。


「お馬さんすごいねー。風の精霊(シルフィー)もびっくりしてるの」

「そうか。よく分からんが凄いんだな」

「よーしっ! いっけーーッ!」


 サキが右手を振ると、スレイプニルは更に加速してオーク三体をごぼう抜きする。


 まさかの敗戦に動揺したのか、ババァたちは互いの車輪をぶつけ合って転倒するが、俺の責任ちゃうからな。


 後ろで何やら喚いているが、知ったことか。


「あー気持ちいい、最ッ高! はじめは無茶だと思ったけど、自転車に変化してもらって正解ね」

「勝利の美酒に酔っているところ悪いがな、本番はこれからだ。まだ一匹残っている。ラスボスはカブ……」


 後方を見た俺の全身に戦慄が走った。


 先日までオーク田中はカブ(50cc)に乗っていたはずだ。

 しかし背後から忍び寄るどころか、サンバのリズムと騒音を響かせて猛追して来てきたのは、国内最大級のモンスターマシン『VMAX(1700cc)』だった。


 乱世の救世主が乗っていても不思議ではないマッチョボディとエンジンからは、200馬力という途方もない出力が繰り出される。

 異世界に例えるならガチでドラゴンだ。


「ヨシミさんたちを負かして勝ったおつもり? あの三人は四天王の中でも最弱……」

「四人中三人が最弱ってどうなんですかね! んなことよりカブはどうした。冗談シャレにもならねぇマシン持ち出しやがって、冗談は顔だけでよろしくどうぞ」


 並走して来たオークキング田中に叫ぶ。

 時速は80キロを超えているだろう。

 しかし怪物マシンに乗る田中の顔は余裕に満ちていて癪に触る。


「カブに乗っていたらブリがついちゃったのよねぇ」

「ブリがつくっていうか、振り切っちゃってますよね! ババァのくせに、んなアメリカ人しか似合わねぇようなもん乗んな。キメェよ」

「あら、あなたもライダーなら、言葉じゃなくって走りで勝負したらいかがかしら? かつて峠の女豹と呼ばれた私についてこれるかしら?」

「アホかーッ! こっちはチャリだ雌ブタ」


 田中は不敵に笑うと、アクセルを絞る。

 高速からのフルブーストで、前輪を浮かながら加速していく様はまさにドラゴンだ。


 目の前の交差点をハザードランプを点滅させて左折して行く。付いて来いの合図だろう。


「スレイプニル。スーパー盛り(もり)はこの交差点を右折だ。あんなアホは放っておけ」


 ラインディングの勝負などする気は毛頭ない。特売品を買えれば勝ちなのだ。


「スレイプニル左折して! 追っかけるのよ」

「ちょっ、おま、何を言ってやがるんですか!?」


 俺の指示が上書きされたのか、サキの言葉通りに車体が左に傾く。


「サキお前はアホかーッ!? 勝てるわけねぇだろうが」

「うるさいわね。無理は嘘つきの言葉なんでしょ!? それに私たちの世界はね、負けは死を意味するのよ。オークキングなんかに負けるわけにはいかないのっ」

「ここは日本だバカヤロー。お前は麺すすりに憤慨する外人様ですか」


 言っている間にも幹線道路を突き進む。

 VMAXを追いかけるチャリ。

 しかも三人乗りで、美少女と甲冑を前後に乗せる怪しい男。

 すれ違う対向車の運転手達が目を見開いて視線を飛ばしてくるのも、まぁ無理からぬことではある。


「もうコレ、どうなっても知らねぇからな」


 あとで業弾からキツイお灸を据えられそうだ。




 しばらく国道を南下し、ようやく田中の目的地が分かった。

 鷲羽山わしゅうざんスカイラインだ。

 日中は単車の走り屋がハングオンし、夜の帳とともに四輪の独壇場になる、地元では有名なワインディングロードだ。


 ダウンヒルとクライムヒルが複合するコースは、瀬戸内海に面した鷲羽山の山肌を走る絶景の展望スポットでもある。

 そのぶん、一歩間違えば山を飛び出して海にダイブすることになる。


 コースに入ると、田中は左手の中指を立てながら第一コーナーに突入した。

 惚れ惚れするほどのハングオンだが、健康サンダルに割烹着のライダーとか心底キモい。


「ちっ。しゃーねー。スレイプニル、事故らない程度に行け」

「負けたら許さないからね。もしあんなのに負けたら、夢に入り込んで半殺しにするから。そのつもりで走ってよね!」


 サキへの合図なのか、警報ベルが狂ったように鳴り響く。

 ヤバイ。テンション上げているのはサキだけではなかったのだ。


「のわーッ」

「わー。はやい〜」


 先ほどまでと比べ物にならないスピードでコーナーを駆け抜ける。


 車体が大きく傾き、山手側の雑草が俺の顔を叩く。


 しかしコーナーをひとつ抜けるたび、田中との距離は地味に広がって行く。

 スレイプニルもよくやっているが、相手が悪い。

 そのうえ、このコースは高速コーナーが多く、平均速度が高い。

 一度離されると、追いつくのは至難だ。


「仕方ないわね。私も協力するから頑張って」


 サキの言葉と同時に、まるで傘を開いたような音が背後でする。

 チラリと見てみると、サキの黒い翼だ。

 蝙蝠と鷲のハイブリッドみたいな翼をピンと平行に保つ。

 そして腰を落として俺の腹に手を回した。


「じゅ、重心低くするためだからね!」


 なるほど。車で言うところのリアスポイラー替わりか。

 空を飛ぶ魔物の知識と経験で、空気抵抗を少しでも減らす算段なのだろう。


 本気で勝つつもりか。


 こりゃ、あーおっぱいがあたるーとか考えてる暇はないな。

 俺は少しでも速度を上げようと手綱替わりのブレーキワイヤーを全力でしばきあげた。


 ぷち


「あ〝」


 強烈な加速。

 まるで内臓を落として来たような錯覚に陥る。


 耳元で轟音を奏でていた風切り音がキーンッと高音へ変わり、周りの景色が消し飛んで行く。

 むしろ風を切るどころか、風の壁がぶち当たって顔面が潰れそうだ。

 少しでも空気をそらそうと、「おー」とどこ吹く風の甲冑の陰に身を隠す。


「凄い! 見る見る追いついてる!」


 サキの言葉通り、長い直線で一馬身差まで詰め寄る。


「でも、次のコーナーが最終だ。もー、こーなったら後のことは知らん。イテマエ!」


 下りの左コーナーに備えて減速する田中の脇を、ノーブレーキですり抜けインコーナーを攻める。

 田中のメット越しに、『正気か!?』と語る目が見えた。


「チャリで勝機を感じてる時点で、正気なんてねーよ!」


 オーバースピードで後輪がスライドし始める。

 ここでスピードを落とすと、タイヤが路面をキャッチしてハイサイドという大事故につながってしまう。


 低く低く。


 出来るだけ重心を低くし、ほとんど太ももが地面に擦れるほど身体をインに入れる。


「出口が見えた! サキしっかり掴まってろ! スレイプニル今だ全力で駆け抜けろッ!」


 サキの両手に力がこもるのと同時に推進力が増し、比例するように車体が立ち上がり始める。

 アウトサイドギリギリ。

 あわやガードレールぶち破って海に特攻するところだった。


「……勝ったの?」


 後方でブレーキをかけて減速する田中を見ながら、サキは言った。


「ああ。勝った」


 やったーと歓声を上げるサキに申し訳ないことがある。


「あー、あのな。手綱がキレた。んで、スレイプニルもキレてるぅ」

「え!?」

「俗にいう暴れ馬だな! あっはっは。いやーまいった」

「え? え! ええ!? ちょっと笑ってないで正気に戻ってぇぇぇ!」






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