6 戦場を駆るスレイプニル2
「まぁそういうわけでな、今日は卵料理は無しだ。恨むならクリーチャーを恨め」
今朝の戦果を伝えると、サキとマオが口を尖らせた。
物価の優等生でもある卵だが、最近の値上げ具合はグレてしまったとしか言いようがない。
ヤンキーは髪に色がつくが、卵がグレると家計簿が真っ赤に色づく。
大所帯貧乏の常連なのだから、脳筋店主もたまには色をつけて欲しいものだ。
「マオにはコレだ。カチカチうんこなんだから野菜を食え」
俺はアボカドのシーザーサラダをぐいっとマオの前に突き出す。
「これは何なのです? 色といい艶といい、死んだゴブリンの脂に相違ないですよね?」
「んな気持ち悪りぃもんこの世界にゃない。森のバターさんだ。高いんだから心して食え」
眉を寄せつつアボカドの角切りを口に運ぶと、マオはうえっと舌を出した。
「嘘をつかないでいただきたい。このブヨブヨっぷり、やはりゴブリンの腹の脂ではありませんか。しかもこのソース、ゲロですよね!? 何というものを余に食わせるのですか」
「マジか? ゴブリンが美味いことに驚きを禁じ得んよ。俺は異世界に行ったらゴブリンのディップを作って売ることにするわ」
奴は箸を投げ出したが、サキが美味そうに食ってくれたので大枚をはたいた甲斐はあった。
サキュバスとは言え、やはりそこは女の子。サラダ食わしときゃ文句はなさそうだ。
俺の隣でも甲冑がバナナを食べている。
フルフェイスのどこに隙間があるのかは知らんが、薄く緑に光る甲冑を透き通ってバナナが消えてゆく。
もっちゃもっちゃとのんびり食べている様は、フルアーマーながらなかなかに愛らしいものがある。
「なぁ、この甲冑どうなってんだろうな。全ての攻撃は無効化して、中から魔法とかの属性攻撃はできない、だったか?」
「恐らくではありますが。外部からのあらゆる攻撃を無効化し、内からはアウトプットする。そんな都合の良い道理はないですよ。前にも言いましたが、甲冑を纏っている限りにおいては無敵ですけど、同時に無害な存在というわけですね」
「なるほどねぇ。何もさせないけれど、何もできない、と。ならさぁ、なんで飯食えるんだ?」
「それは喰わねば死ぬからでしょう」
当たり前の事を聞くなとばかりに投げやりに答える。
「あぁ、そうか。身を護るものが、生命を脅かす筈がないというわけか」
「これが業弾の言う通り、呪いではなく祈りの類ならば、ですがね」
オーナーの意見には俺も賛同する。どう見ても禍々しいものには思えないのだ。
「それより成瀬! 明日から卵はどうするのよ? 朝の貴重なタンパク源なのよ」
サキュバスたるサキにとってタンパク質は重要らしい。
別のタンパク源もあるにはあるが、サキュバスらしいその摂り方には抵抗があるようだった。
むしろ拒絶反応に近い。
要は夢に現れてエロいことすればいいわけだが、サキュバスの癖しておぼこいサキにはどだい無理な相談だ。
対象が俺で良いなら、いつでも夢の扉をフルオープンで土下座待機するのだが。
それに手のひらから直接生気を奪うことも、出来るには出来るらしい。
これは食事であるとともに、サキたちにとっては性交渉に限りなく近い。
暗喩的な意味合いだそうだが、それでも抵抗感丸出しだ。
「焦るなサキ。この成瀬さんが、負けたままで潔しとする人間に見えるか?」
「見えないわね。勝っても土下座させて頭を踏みつけるタイプよ」
「見えませんね。死ぬまでつきまとう死の宣告に酷似しています」
冷ややかな視線が突き刺さるが、期待の眼差しだと勘違いすることにする。
「我に妙案ありだ。ウチには働きもせずに引きこもっている穀潰しが二匹もいる」
「マオね」
「まぁ余ですね」
「お前は死んでくれませんかね。この役立たず。明日はスレイプニルに乗って行くことにする。チャリや原チャなぞ蹴散らしてくれるわ!」
滾る闘争心にサキが冷や水をぶっかける。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、真性なのね。私たちの世界じゃあるまいし、街中で馬を走らせるわけにはいかないじゃない」
「馬鹿はお前だ。んな事はこの世界に住む俺が一番わかっとるわ。妙案だと言っただろ? スレイプニルをチャリに変える」
「はぁっ?」
サキは呆れたように素っ頓狂な声を上げる。
ものを知らない奴はこれだから困る。
「神話を調べたらな、神馬スレイプニルは四本足にも六本足にも変体できるらしい。だとしたら、二輪に変化できたとしても何も不思議はねぇだろ? むしろ数は減るんだから楽勝楽勝」
「無理に決まっているじゃない! 柔軟な発想にもね、限度ってものがあるのよ。柔らかすぎて耳から脳が流れ出してんじゃないの!?」
「バカヤロー。無理って言葉はな、嘘つきの言葉だって偉い人が言ってたぞ。居酒屋チェーン【アドレナ民】の元社長のありがたいお言葉だ」
「それ、ブラックだから!」
毎度のことながらちゃぶ台を挟んで火花が飛ぶ。そのうち木製のちゃぶ台が炎上するまであるかもしれない。
「まあまあ、二人とも落ち着ついてください。卵ならホレ余がなんとかしてみましょう」
そう言ってマオはブツブツと詠唱を始めた。
すぐに空間が反応する。台の上に赤黒い焔に縁取られた魔法陣が描かれ地獄の門が口を開く。断末魔を上げる暗黒の穴に、マオはヒョイと手を突っ込んだ。
「喜んでください。卵なり」
無邪気な満面の笑みで、地獄からお取り寄せした得体の知れない卵を差し出すのだった。
「ホント、お前もう還れ」
◇
早速とばかりに中庭に出ると、ブツブツと文句を言っていたサキがついてくる。
「なんだ? なんだかんだ言って、やっぱ気になるんじゃねぇか」
「ま、そりゃー、ちょっとはね。アンタ無茶するし、監視よ監視」
「とか言ってな。俺と一緒にいたいだけだろ。まったく最近のツンデレ子ちゃんはメンドクセ」
「はぁっ!? デレてないしッ。まったくデレてないしッ!」
「……ツンは否定しないんだな」
七時半ともなれば初夏とはいえ薄暗くなり始めていた。
しかしアスファルトやコンクリートとは違い、漆喰壁と土間続きの異世界荘は、日中の熱射をすでに放出し終え、なかなか涼しい。
時折吹く風が楓の葉を揺らしサラサラと音を立てた。
どこかで焚いている線香の香りを同時に運んでくる。
隣にいるのが意中の人であったなら、さぞかし風流に違いない。
チラリとサキを見る。
確かに現実離れした美少女ではある。
催淫されていたとは言え、初見でプロポーズした相手だ。
出会いが出会いなら、もしかしたら惹かれていただろうか。
家族ごっこをしようと言ったのは俺だ。
前職でも若い子に囲まれて仕事をしていたが、仲間を家族としてみる俺に職場恋愛の経験はない。そんな気にならないのだ。
「ま、いーんだけどな」
「ん? 何か言った?」
「何でもねぇよ。それよりそこで拗ねてるスレイプニルの事だな」
俺の声に「また来たのか」と言わんばかりに鼻を鳴らす。
「で、どうする気?」
「どうするもこうするも、普通に「ユー、今日からチャリな」ってお願いするつもりだけど何か?」
「つまりノープランってことね。まぁ、ちょっとモノは試し、私がやってみるわ。同じ異世界からの異邦者だしね」
サキは両手を広げ「大丈夫。心配しないで。私は味方。お願いがあるの」と、聞いてるこっちが寒くなるほど優しく声をかける。
「あのさぁ、どこの今鹿さんだよ。見てみ。サブイボできちったよ」
「ちょっと黙っててよ!」
サキの怒号に、スレイプニルのクシャミが重なる。
派手に唾液をまき散らしたものだから、顔を近づけていたサキの顔面にクリーンヒットした。
えらく女の子らしい悲鳴をあげるサキの襟首を掴むと、俺の背後へと引っ張る。
「人を使おうって打算が透けて見えんだよ。透けるのはな、スカートにしてくださいお願いします。まぁ見てろ」
俺は警戒するスレイプニルに一言だけ「俺は明日、戦いに行く」と告げる。嘘ではない。
奴はぶるんと一瞬鼻を鳴らすと、俺の次の言葉を待った。
期待通りの反応だ。
「スレイプニル、お前さ、俺を乗せてもう一度戦場の風にならないか? お前ほどの神馬、ここで腐らせるのは忍びない」
「フヒーンッ!?」
「ああそうだ! 戦場だ。この世界にも過酷な戦いがある。しかもお前が知らないような鉄の馬までいる。血が騒がないか?」
「ブルゥッ!?」
スレイプニルは間違いなく、再び戦場を駆ることを夢見ている。
そのことに気付いたきっかけは、甲冑のふとした一言だった。
甲冑は森に郷愁を感じていたようだ。
この世界に転移してくる前は、そこが故郷だったのだろう。
結局のところ、類い稀な能力を持つ異世界の住人とはいえ、人間と等しくホームシックになるのだ。
日本人が海外で、わざわざ美味くもない寿司を喰らうのと同じで笑える。
それならば、スレイプニルも同じなのではないだろか。
猪突な勇者の人となりや、こちらの伝承を見てみれば、常に戦場を駆け抜ける姿が浮かび上がる。
相手が欲しい状況を与えてやる。言葉をかけてやる。
例えば朝礼でスタッフの顔を見れば、その日の体調や気分もだいたい分かるものだ。
その時に、必要な言葉をかけるだけでいい。
それだけで浮上する時もある。
それは下っ端を経験した人間にしかわからないし、ともすれば忘れてしまいがちな大切なことだ。
スレイプニルに戦いの場を提供する。そうすれば鬱積した気分も晴れるかもしれない。
同時に俺自身もババァに雪辱を晴らす必要がある。利害は一致するはずだ。
「成瀬……スレイプニルの言葉分かるの?」
「分かるわけねぇだろアホ。ノリだ。コミュニケーションってのはな、だいたいはノリとパッションで何とかなるもんなんだよ」
スレイプニルは立ち上がり、勇ましく声を上げた。
交渉は成立だ。後は……
「でだな、この世界の戦闘は、生き馬は目ん玉を抜かれるほどに激しいのよ。だからお前さ、この姿になれるだろ?」
ポケットから紙を取り出し鼻面に突きつける。
初任給で買おうと思っていたチャリの広告だ。
なれるかな? とかそんな聞き方はしない。当たり前のように「できるだろ?」って言われた方が断りにくいのは、サラリーマンしてたら分かるものなのだ。上司マジファック。
「ちょ!? ええっ……。自転車ってママチャリ? ほらもっとスマートなロードレーサーとか……」
「だまらっしゃい! 生活の足にはママチャリ。これ常識」
サキとの舌戦中に、スレイプニルが眩い光を放ち始めた。
見る見る巨体が収縮し、広告写真通りの黄金のママチャリが姿をあらわす。
手綱はブレーキワイヤーとなり、某高級スポーツカーの様な暴れ馬のエンブレムが前かごで輝く。
「見てみろよサキ! やっぱアドレナ民の社長の言葉に偽りなしだ」
「私もう、あんたが凄いんだか、この世界が凄いんだかわからなくなってきちゃった……」
こうして異世界荘に、ママチャリ【スレイプニル号】が仲間入りしたのだった。