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4 鉄壁の妖精2

 走馬灯が見えるとよく聞くが、実際にこの目にすると何とも名状しがたい気持ちになるものだ。


 できれば両親の顔くらい思い出したいものなのだが、記憶にないものは如何ともしがたいようで、死を目の前にして眼前に現れたのは憎き元上司と……


「成瀬マネージャ聞いてください! 今度結婚が決まりまして、念願の寿退社なのです!」


 人懐こい笑顔で沢木琴音は宣言した。


 そしてその数週間後、彼女は退職前にこの世を去った。


 自殺だった。


 俺は部下である彼女を、ついに守ることができなかったのだ。



 ◇


 断末魔弾が眼前に迫る。

 なんとあっけない死に様だろうか。避けられない死を覚悟する間もない、それは一瞬の出来事だった。


 忘れようにも忘れられない姿が、刹那のうちに脳裏を駆け巡り、ついでとばかりに三途の川をバシャバシャと渡りきり、川向こうから手を振る彼女に俺は何かを叫んだ(ここまで0.00000001秒)その瞬間ーー


 俺の目の前に緑色の小さな影が躍り出た。


 先刻まで寝息を立てていた甲冑だ。


「バカヤロー!」


 俺の目の前に立ち塞がる甲冑に手を伸ばす。

 何者か知らないが、得体も知れないが、他人を巻き込んで死ぬなんて御免だ。


「だいじょうぶ。父様」


 甲冑が振り返り、微笑んだ気がした。


「あはは! 死ね! 死ね! 死んでお終いなさい!」


 けたたましく笑うマオの声に、断末魔弾の衝撃が重なる。


 生きていたら絶対キツイお仕置きをしてやる。

 そう決意した転瞬、昏い光が目の前で弾けた。

 目がくらみ、視界が暗転する。ついに死後の世界に足を踏み入れたのだろうか。


「そ、そんな馬鹿な……。無傷だというのですか!?」


 耳鳴りをすり抜けてマオの声が届く。狼狽しているようだ。


 幾度か目をこすり、耳をかっぽじる頃にようやく視力が回復する。

 何事もなかったように背中を見せる甲冑と、驚愕で仰け反るマオの姿が目に飛び込む。サキは部屋の隅で腰を抜かしているようだった。


 自分の身体を見ても、傷ひとつついていない。どうやら死んではいないようだ。

 ホッとした為か、全身の力が抜けて暫くは起き上がれそうにない。


父様とうさま? あれ? ちがう」


 甲冑は寝ぼけたような声で俺の顔をしげしげと覗き込む。


「父様? いや、俺はお前の父親じゃねぇよ。んな事より、お前が助けてくれたん……だよな?」

「ちがう。父様が助けてくれたの」


 たどたどしい口調は、どこか会話が成立していない。

 元いた世界と、こちらの世界が混同して、未だ現実を把握しきれていないのかも知れない。

 しかし、それよりも、だ。


「何という不条理ですか!? この世界の地獄から絞り出した負の衝撃を受けても傷ひとつつかないなんて、そんな事あり得ません!」

「ほぉぉう。そんなモンを俺の部屋でぶちかましてくれたんですかコノヤロー」


 狼狽えるマオにキツイお仕置きが先だ。

 俺は部屋の隅に転がしていた長大な剣を手にする。

 俺がこの異世界荘の管理人になった初日に、勢いと先走りで勝手に元の世界に帰還したガテン系勇者が残していった聖剣だ。


「ちょっと尻出して四つん這いになれ。やっていい事と悪い事の区別を教えてやる」

「な、何ですか!? 尻を叩くつもりですか!? よ、余はまだお子様なのですよ。児童虐待は……あうっ!」

「都合のいい時だけショタのフリするんじゃねぇよ。何千年も生きてんだろうが!」


 聖剣の平で軽く頭をこづく。

 目下のところ、マオにダメージを与えられるのはこの聖剣だけなのだ。


「あうぅぅ」


 頭を抑えてしゃがみこむ。

 幼稚な反応を見ると、本当に子供に暴力を振るっている様な罪悪感に駆られる……が。

 よく見たらべぇーと舌を出していやがる。


「て、て、てめぇ、からかいやがって。まずはごめんなさいしろ」

「バーカバーカ! 誰が謝るものですか」


 あっかんべーをしながら、俺の脇をするりと抜けて扉の先に逃げ出す。


「ちっ」


 俺は仕方なく聖剣を床に投げ出した。訳も分からない新入りを置いて追うわけにもいかない。

 しかしそれを見計らったかのように、扉の隙間からマオが顔を覗かせた。


「ナルセのアホー。余が力を取り戻したら、元いた世界にナルセを引っ張っていってこき使ってやりますからね!」


 小憎らしい顔にクッションを投げつけると、モロに直撃して「アホーボケー」と語彙の少ない悪態をついて退却していった。


「ふぅん。元いた世界に成瀬を連れて行くってさ。ずいぶん気に入られたわね」

「抜かせ。全力でお断りだ」


 ぷすーと笑うサキに、俺は苦笑いをした。



 ◇



 その後サキから聞いた話によれば、マオの見立てではこの甲冑、『あらゆる攻撃を拒絶するが、その反面おそらくは何もできない』無害な存在だろう、という事だ。


 外からの衝撃を完全遮断する副作用として、内側からのベクトルも遮断する。つまりそういう事らしい。


 魔法攻撃はマオの件で実証されたが、物理攻撃に対しての反応は未だ未知数だ。

 聖剣で叩いて見る、という案も出たが、どう考えてもマオと違って真っ当な子供に思えるため却下した。


「余はいいというのですか!?」


 とマオは憤慨してが、別にどうでもいい。

 同じ屋根の下で暮らし『家族ごっこ』をしている俺たちだ、至らぬ弟を躾けるのも俺の仕事なのである。


「家族ごっこ、ねぇ」


 新しく加わった家族(・・)は、部屋の片隅で転がっていた。

 攻撃だけではなく、その世界そのものを拒絶しているのだろうか。


「拗ねているだけか、それとも不安なだけか」


 見ようによっては、布団にくるまって拗ねている子供に見えなくもない。

 子供……なのだろうか。


「なぁ、お前の父様って俺に似ているのか?」


 寝ぼけなのか、はたまた時空酔いなのかは分からないが、俺を守ってくれた時、恐らくこいつは父親と勘違いをした。

 もし父親と俺が似ているのならば、それは異世界人とは言え人間なのかもしれなかった。


「ちがう。似てない」

「そっか。なら何で間違ったんだ?」

「においがしたの」

「臭い?」


 反射的に自分の体を臭う。

 別に加齢臭がするわけでもなければ、香水をつけているわけでもない。朝の掃除でかいた汗が、少し香る程度だ。


「父様がはいてた煙と同じにおいなの」

「あぁ、そういう事ね」


 驚きだ。異世界にも煙草はあるのだろうか。


「そんなの父様だけだったから、村の人からは、ひっ、ドラゴンみたいな変なやつってひっ、いわれて……えっ、えっ、うえーーん」


 語尾が泣き声に変わる。

 不安なのだ。

 経緯は分からないが、父親と離れ離れになってしまい、絶賛迷子中というわけだ。

 言ってしまえば、今ここはショッピングモールやプールの迷子預かり所といったところなのだろう。


「お名前は?」


 聞いてみたところで親を呼び出すことはできない。それどころか泣き声に拍車がかかってしまう有様だった。


「おいおい。こんな時どうすりゃ良いんだよ」


 子供は苦手だ。どう接したら良いか分からない。安易に触れたら壊れてしまいそうな、そんな気がして。

 両親に育てられた記憶すらないのだから、仕方のない話だ。

 こんな俺でも、家族がいたら違っていたのだろうか。




【結婚? そりゃおめでとうさん。退職願いは確かに預かるよ】


 俺は丁寧に表書きされた封書を手にした。


【はい! この職場のみんなも家族だと思ってますけど、本当の家族ができるんです】


 彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。

 それが俺が見た沢木琴音の最期の笑顔だった。




「ちっ。嫌なことを思い出すじゃねぇか」


 頭を振って過去の記憶を振り払う。

 犬が濡れた体を乾かすように、方々に水滴が飛び散るように、そんな風に嫌な思い出も霧散してしまえば楽なのに。


「まぁアレだよ。今は好きなだけ泣いとけ。泣き疲れたら飯でも作ってやる」


 しばらくはわんわんと泣いていたが、次第に音量は小さくなり、しまいには寝息へと変わっていった。



 ◇



 寝ている間にいくつかの料理を作った。

 定番の肉じゃがに、ポテトサラダ。じゃがバターにフライドポテト。じゃがいもだけは箱買いすれば激安なので芋まみれだ。


 しかしむくりと起きてきた甲冑は、そのどれにも手をつけなかった。

 見たこともない料理で警戒でもしているのかもしれない。しかしデザートにと切っておいた林檎とキウイフルーツだけが、トイレで少し部屋を離れた隙に無くなっていた。

 見てみると、フルフェイスの頬のあたりが膨らんでいるような気がする。


「すっぱい」


 らしい。


「とりあえず、はじめましてだな。何事も挨拶が基本だからね。俺は成瀬っていう。まぁお前らの親代わり? いや、兄貴分か。まぁそんな感じだと思ってくれ」

「父様は?」

「知らん。そして俺もお前の父親じゃない」


 冷たいようだが、現実を知る必要がある。受け入れる必要がある。時間がかかってもだ。

 いや、時間がかかるからこそ、最初で誤魔化してはダメなんだ。


 黙ったままシュンと下を向く甲冑に、俺はそれでも話しかけるしかない。俺にはそれ以外できないのだから。


「でもな今日からお前と俺たちは、同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食っていくんだ。これはな、もう他人じゃない、他人じゃできないことなんだよ」

「わからない」

「そうだな。俺にもよく分からん。でもここにいる限り、お前は俺にとって偽物だとしても家族なんだ」

「にせもの?」


 きょとんと俺を見上げる甲冑の肩に手を回す。


「ああ、とんだ偽物だ。血だって繋がっちゃいない。そればかりか、生きてきた世界だって違うんだ。偽物に違いないよ」


 でも。

 だからこそ。


『何を綺麗事言ってやがる。家族だと、兄貴分だと慕ってくれた部下すら死なせた男が』


 だからこそ、もう二度と。


「泣いてる……の?」


 気づかないうちに俺の頬が濡れていた。


「ばっ、バッカヤロー。こりゃ心の汗ってやつだ!」

「どっかいたい?」


 小さな緑色の手が、俺の癖っ毛を撫でる。


「……痛くないよ。痛くない」


 俺はこの子の父親になれない。しかし、親子ごっこくらいはできるはずだ。

 偽物だとしても、ごっこ遊びだとしても。そして、それが一時の幻だったとしても。


「さぁて、異世界荘へようこそおチビちゃん。今日から俺たちは家族のふりをしていくんだ。お互い楽しもうじゃないか!」


 甲冑は俺の袖を持ったまま、訳も分からない様子で、ただひとつ小さく頷いた。




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