3 鉄壁の妖精1
異世界荘のオーナーは、業弾という名の、軽薄を絵に描いたら出てきちゃいました的な人物だ。
いつ見てもデロデロになったボブマーリーのTシャツと短パンを着用し、全身を極限まで脱力したような出で立ちで不意に現れる。
やたらフレンドリーにスキンシップしてくるのだが、中途半端な長さのドレッドヘアーが臭いそうで、できれば近くに寄りたくない。
上司というのは、存在しているだけで憎悪の対象なのである。良い上司とは死んだ上司だけだと、多分どっかの偉い人が言っていた気がしないでもない。
そもそもこの人、いや、人なのか? まぁひとまず人と定義してだ、この人がいなかったら、俺はこんな異世界人難民キャンプの如き職場で働くことはなかったのだ
後々になって聞いた話なのだが、サキに駅前でチラシ配りをさせていたのはこの御仁なのだとか。
「成瀬くん、君はまた僕の悪口を考えているね?」
管理室のドアを開けた瞬間に言われる。
というか、目の前にオーナーのつるんとした顔があった。
もう少し俺に勢いと、やる気と、責任感があれば接吻していたところだ。
「いやいや、滅相もありませんな。というか近けぇよ。あと息臭ぇよ」
「否定したそばから悪口言ってるよね? まぁいいさ。今日は新しい仕事を持ってきたんだよ。嬉しいよね?」
「嬉しかねぇよ。これでも一日二食飯作って、掃除して建物のメンテナンスして大忙しだ。割りにあわねぇよ」
「やだなぁ、それは君が勝手にやっていることじゃないか。別に何もせずに監視しているだけでもいいんだけれど?」
実際来たばかりの頃は、管理人不在もあって荒れ放題だったのだ。
足の踏み場もないほどゴミで溢れかえっている様は、ガチでワイドショーでよくみるとゴミ屋敷そのものだった。
「あのなぁ、あんなゴミ溜めに住んでいれば、まともな人間でも頭がおかしくなるってもんだ。そうでなくともここの住人は色々とアレなんだから。放っておくとえらいことになんぞ」
トイレの汚い小売業や飲食業のお店は流行らない。陰の気がそうさせるのだ。
これは経験則からくる確信でもあった。健康的な精神には、清廉な環境が不可欠なのだ。
「いいねぇ。そんな成瀬くんにはやり甲斐ある仕事だと思うんだよね」
経営者というものは、得てして『やり甲斐』なるものを押し売りしたがる生き物だ。
そもそもやり甲斐とは、個人に自然発生する芽のようなもので、無理やり植えつけられたとしても根が張ることなどない。
他人に水をドバドバと注がれでもしたら、根腐れを起こすのは火を見るよりも明らかなのだ。
「まあまあ、そう言わずにさ。ほんっと成瀬くんはツンデレだねぇ」
「うるせぇよ。でぇ? その後ろに転がってるモノが新しい仕事なのか?」
管理人室、つまりは俺の部屋の隅に転がる何かを指差す。
何か、としか形容ができない。
端的に言えば甲冑。
それも頭頂から足の先までまるで隙間のない、どうやって関節を動かすのかも不明なフルアーマーだ。
見るからに重厚な作りを思わせる鎧だが、あまり重みは感じない。なぜならひどく小柄で、人間で言えば小学生低学年向けといった感じ。
さらに素材が鉄製ではないようだ。
ようだ、というのも、まるで何で作られているのか分からないからである。
エメラルドグリーンに薄くぼんやりと輝く様は、どちらかと言うとすこぶる柔らかそうな印象すらある。
「なんだ、コリャ?」
「なんだと言われてもねぇ。甲冑じゃない? 昔馴染みの知り合いからね、頼まれちゃってさ」
「あっちの世界か?」
「まぁ、あっち方面だね。君たちの言うところの異世界だねぇ。サキュバスの娘や、魔王の坊ちゃんの世界に近い感じかなぁ」
サキとマオは同じ世界の住人だったらしい。
いわゆる剣と魔法の世界なのだとか。
そこに近いとなると、遠い未来からやってきたロボットとか、そんなSFチックなものではないらしい。
転がる甲冑に近づきよくよく見ると、胸の部分が微かに上下している。呼吸をしているのだ。
指先を少し摘んでみる。鉄製をイメージしていたが、ヒヤリとした感覚もなく、どちらかと言うと木製に近いように思った。
「へぇ。やっぱり君は触れられるんだね」
「あ? どう言う……」
業弾の意味深な言葉に問いかけようとした時、管理人室のドアの隙間から覗く瞳に気づく。
そっと近づいて扉を開くと、マオとサキが聞き耳を立てていた。
「なんだお前らか。どうした?」
「新たな住人が気になるではありませんか。将来は余の配下となるやもしれませんからね」
「んなこと気にする前に、肛門は開いたのかよ?」
「笑わせないでください。地獄の門すらも開く余が、我が身に宿りし門を開けられないとでも?」
こまっしゃくれた喋り方をするのはマオだ。見てくれは金髪金眼の子供だが、どっかの世界では二代目魔王として君臨していたらしい。
しかしどこの世界も二代目が会社を傾かせるのは同じらしく、魔王軍は勇者を筆頭とする人間亞人連合に大敗を喫し、あえなく散り散りとなってしまったのだとか。
その際に力の大半を喪失したらしく、今では小学生高学年程度の見た目になっている。
「サキお前は学校はどうしたよ? 急がないと漏らすぞ」
「漏らす訳ないでしょ!」
怒髪天を突く勢いで反論するのは結構だが、漏らしたくて漏らす奴なんて、特殊性癖者以外いない。
「いや、まぁ俺の部屋で漏らしてもらったら困るからな。その時はフリマアプリで、【本物! サキュバスのう○こ】として出品するからな」
「しつこいし。そもそも胡散臭すぎでしょ」
「まぁ確かに少々胡散臭ぇが、物理的に臭ぇもん売りつけるわけだから、まぁいいだろう」
延々と続くかと思われた漫才に、業弾の拍手が終止符を打つ。
「いいね! いいね! 成瀬くんは思いのほか上手くやっているようだ。このぶんだと新人ちゃんも安心して任せられるよぅ。なにせ世話になった人の頼みだからね」
業弾の言うように上手くやれている自信はないが、サキとマオがキャッキャ言いながら俺の部屋に入ってくる程度には、まぁやれているのだろう。
「不思議な素材ですね。何なのでしょうこれは。余ですら寡聞にして知りませんよ」
しげしげと甲冑を観察するマオの手が、今まさに甲冑に触れようとした瞬間。
電気回線がショートするような、バチッという音を立ててマオの指が弾き飛ばされる。
「おいッ!?」
不意の一撃を受けたマオは、ゴロゴロと転がって壁に突き当たって止まる。
「お、おのれ。余に手を挙げるとは。先代にも打たれたことはなかったですのに!」
すくっと起き上がって金切り声を上げているので、怪我はないのだろう。
「おい業弾、どういうことだ!?」
「触れるな注意って説明書がいるかい? 違う世界の存在へ不用意に触れるとか、魔王の坊ちゃんもずいぶんこの世界に慣れてきたようだねぇ。僥倖僥倖」
腕を組んでウンウンと自己完結しているが、何も答えてはいない。
「こいつは危険な奴なのか!?」
「君は勘違いをしている。迂闊だねぇ。甲冑というのは、そもそも自己防御が具現化したものじゃないか。この子にとって、むしろ危険なのは君らということになるよね」
「ちっ。面倒なもん寄越しやがってコノヤロー」
「まっ、それが仕事ですから」と澄まし顔で言う業弾を無視し、俺は甲冑を脱がそうと留め具を探す。
恐る恐る触るが俺に衝撃は襲ってこないようだ。慎重に持ち上げてみる。思いのほか軽い。
両手がふさがっている俺に代わって、サキが観察する。
「……ない。留め具どころか、少しの隙間もないわよ」
「いてて……。つまりは脱がせられないということですね」
頭でも打ち付けたのか、柔らかそうな金髪を撫でながらマオが業弾に近づく。
「これは何かの呪いの類……なのですかね」
「さて? むしろ呪いというよりは、祈りに近いのかもね。まぁ後のことは、成瀬くんよろしく頼んだよ」
人を食ったように笑うと、業弾はフラフラと千鳥足で部屋を後にした。
◇
「呪いではなく祈り……ですか。相変わらず禅問答がお好きなようですね。あの御仁は」
「そりゃ、まぁゴータマだからな。ああ見えて」
初対面の時、「ゴータマ・シッダールタか?」とカマをかけてみたことがある。
奴は分かりやすく動揺しながら、スヒースヒーと鳴らない口笛を吹いたものだ。
「まぁでもさ、俺にもこの甲冑が不吉なものにゃ見えないんだよなぁ。何というか、酸素が濃いとでもいうか」
「何それ? 意味わかんないわよ」
言っていて俺自身も意味がわからない。
自分が分からないことを、他人に納得させることはできないようだ。
さてどうしたものかと無言になった時、甲冑から囁くような声が上がる。
「父様……アル……は……」
子供の声だ。あまりに小さいので性別は分からない。
しかし透き通る清流なような響きだった。
「夢を見ているのね」
サキが甲冑の顔を覗き込む。
「ちょっと、私が夢の中に入ってみるわ。それで幾らか正体も分かるだろうし」
「お、おい。大丈夫かよ?」
「ヘーキヘーキ。私がサキュバスだって忘れてんじゃない?」
勝気な瞳で俺に笑いかけると、ブワッという風とともに翼が現れる。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから」
人差し指を甲冑の眉間辺りに固定して目を閉じ、夢に入るための詠唱が始まる。
サキの唇がこの世界外の言語を奏で始めた瞬間だった。
マオの時と同じように、スパークが走りサキが仰け反る。
「駄目ッ! 侵入できない」
小さく悲鳴をあげて頭を振る。
それでも僅かな映像が見えたらしい。
「森が燃えるイメージだったわ。戦争? 山火事? それはちょっと分からないけど、血の匂いがした気がするの」
「なるほど興味深い。では……」
マオは甲冑の正面に立つと、小さな指で虚空に魔法陣を描く。
「アルバーヌ・ダナルーシ・ル・セラ・マルス
嘆きの門 業火の断末 永久の悶絶 深き闇より響け」
耳鳴りがするような重低音を響かせて、黒い焔を滲ませた六芒星が顕現する。
「……あのマオさんよ。そんな厨二全開の詠唱……」
「ちょっと黙っていてください。これは実験なのです。世界を七回滅ぼすと謳われる、我が『断末魔弾』を喰らって無傷で済むか見たいのです」
「アホかーーッ! その前に世界が七回無傷ですまんだろがーー!」
俺の声を無視して、マオはケタケタと笑いながら詠唱を続ける。
目が正気じゃない。
完全にマッドサイエンティスト的な何かだ。
魔法陣はグネグネと姿を変え、空間に禍々しい色をした唇が現れる。苦悶に歪む唇は粘液を撒き散らしながら、その咥内を見せた。
「マオやめて! 成瀬はいいとして、私まで死んじゃう!」
「テメーコノヤロー! しれっと何言ってるんですかーッ!」
高揚しているのか、俺とサキの制止など聞こえていないようだ。
「深淵に集積せし 断末の声を以って 敵を灰燼に化せ!」
耳をつんざき精神を抉るような断末魔が、おぞましい昏い光となって、ついに咥内から放出されるーー
「くしゅん!」
ーーされる瞬間。
マオが可愛らしくくしゃみをした。
その反動で甲冑を指す指先が、俺の方を向く。
「お、お、おま!? アホかーーッ!」
断末魔弾より、遥かに生々しい断末魔を俺はあげたように思う。
その涙目になった視界の隅で、甲冑がむくりと起き上がったのは、後になって思い出すことになった。