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29 アルルーシュカの夢2

 深く霧が立ち込める森で俺とサキは漂っていた。

 地方住まいの俺にとって森は遠い存在ではない。しかし中国地方に横たわる原生林とは似ても似つかない。


 俺はしょせん現代人だ。獣道すら見当たらない森林に立ち入ることなど稀である。記憶を遡って見ても、踏み固められた登山道をちょっとした好奇心で外れることはあったが、人間が残す傷跡のない森など記憶になかった。


 茜色に染まった空を見上げる。とても狭い。

 視界のほとんどは、針葉樹であるのか広葉樹であるのか判断できない木々によって占領されている。まるで覆いかぶされ、覆い尽くされたような感覚だ。


「ここが……異世界。アルルーシュカの生まれ育った世界か」

「やっぱりエルフね。空気が違うわ」


 サキは息苦しそうにしている。

 確かに息がつまるほど濃密な植物の匂いだ。まるで緑色の水の中に潜っているような感覚に近い。しかし気分は不思議と悪くない。


「そっか。成瀬は大丈夫なんだ。魔族には……ちょっと辛いかな」


 その感覚は意識体を通して伝わる。

 あまり悠長にしていることはできそうになかった。


「先を急ごう」


 天空を支えるような大樹の合間をすり抜けて進む。目印などなかったが、なぜだか目指す先は知れていた。


 俺はこの世界を知っている?


 それは直感だ。

 記憶を弄っても出てこない。しかし空気が、匂いが、まとわりつく風の肌触りがそう感じさせた。


「そろそろ夢の中心よ!」


 サキの声に熱がこもる。

 その瞬間あたりは暖かい光に包まれた。

 まるで宝石だ。キラキラ輝いている。大切な宝物を握る指を、まるで優しく広げるように俺たちは光の中に飛び込んだ。



 甘く花の香りがたちこめる。指で弾けばリンと音を奏でて蜜が滴る。そんな花園の中に二人はいた。


 手を繋いで微笑み合う二人がいた。

 長身の男は自分の膝までしか背丈のない子供のために背を丸めている。

 その男の手をめいいっぱい腕を伸ばして握る小さな姿。

 あきれるほど透き通る白い頬は無邪気に緩み、ほとんど純白に近い金髪が世界を彩るように躍っている。


「アルルーシュカよ……」


 言われなくても分かっていた。人間でいえば三歳くらいだろうか。俺の知るアルルーシュカより幼い姿が目の前にある。

 そして彼女が見上げる先には、目尻を下げる男の顔。細い顎に、微睡むような瞳は記憶にあった。


 かつて公園で砂遊びした時に俺は見た。

 この男がアルルーシュカの父親だ。


 アルルーシュカの小さな手を包み込む指はしっかりと固く、それでいて壊れやすい硝子を覆うようにやさしい。


 何を話しているのかはわからない。しかし父親が何か言うたびにアルルーシュカは幸せそうに笑っていた。

 気だるそうな父親の瞳は、その笑顔のたびに弓のように細くなる。


「エルフ言語ね」

「わかるのか?」


 俺の問いにサキは「少しだけ」と言った。とても小さな声だった。

 目の前に広がる幸せは、後どれくらい続くのだろうか。しかしその結末を俺たちは知っている。だからこそ儚く、そして脆く見えて、自然と吐息さえも小さくさせた。


 暖かくも安らかで、それでも名状しがたい思考の渦に俺たちはいて、その前ではフラッシュバックのように次々と景色が移ろう。


 幸せそうな親子二人はいつも一緒で、お互いがお互いを補完しあっているようだった。

 雨の日は父親の外套の中で雫の音を聴き、晴れた日は大きな手を引っ張って草原を走る。父親が食べる肉類(エルフは元来肉類を食べないらしい)をつまんでは顔をしかめ、眠るときはしなやかな腕の中だった。


「……母親はどうしてるんだろうか?」

「エルフはね……」


 ふと疑問に思ったことにサキが応える。


「エルフってほとんど寿命がないと言っていい存在なの。だから生殖もほとんどしない。新たな生命の誕生は数百年に一度って言われるくらいなの。なぜなら……」


 少しだけ言い淀む。


「子を産んだエルフはね、死んじゃうのよ」


 それが自然の摂理というやつか。確かに人間のように子孫を産み育てるのなら、世界はエルフという種族で満たされる。寿命が短い生物ほど子を産み、その逆もまたしかり。どこの世界でもそれは同じなのだろう。


 つまりはアルルーシュカにとって家族は父親だけなのだ。

 そしてそれは父親にとっても同じ。


「ん!?」


 唐突に場面が切り替わる。


 パステルに色づいた景色は暗闇が支配し、視界のあちらこちらで赤いものがチラつく。

 周囲にはドス黒い煙が充満し喉を焼く。むせ返るような臭気の中、怒声と悲鳴が入り混じっていた。

 落差が激しく目眩がする。


「これ……は」

「私が一年前に見た景色よ!」


 激しい息遣い。

 低木や草をかき分ける緊迫した空気。


 アルルーシュカの父親は彼女を胸に抱いて走っていた。

 ときおり振り向いては指先を後方に突き出し詠唱する。その度に悲鳴が上がる。しかし同時に数倍の怒号が夜の森に響く。


 アルルーシュカたちは追われていた。

 俺たちがいる場所からは何者に追われているのかはわからない。アルルーシュカの言ったことを信じるなら、それはきっとダークエルフだろう。


 シュッと風を切り裂く音と同時に、父親の肩に矢が吸い込まれる。

 走りながら肩から生えた矢を折ると、歯を食いしばり引き抜く。おびただしい流血を確認すらしない。アルルーシュカの父親は立ち止まらなかった。

 闇に紛れて雨のように降り注ぐ矢。

 かわしきれるはずもない。風の魔法で軌道を修正しても全てを処理しきれなかった。


 そして大腿部を矢が貫通した。


「……見たくないわ」


 サキが悲痛に呟いた。

 終わりの時だった。


 ついに歩みを止めたアルルーシュカの父親は、愛する娘にキスをすると、背中に矢を受けながら長い詠唱に入った。


 両腕で包むアルルーシュカの身体がエメラルドグリーンに輝き始める。


 命を賭した魔法。死が発動条件の鉄壁の精霊(ピクシーメイル)。自らの命を魔力に変換し、その全てを対象を守るために使う最期の魔法だった。


 アルルーシュカの身体を甲冑が覆うとき、ついに父親は使命を終えて地面に伏した。

 アルルーシュカは小さく震えながら立ち尽くす。死にゆく父親の手を取ることも、顔を撫でることも、幼いアルルーシュカにはできなかった。ただ目の前の現実から逃避するしかなかったのだろうか。その瞳に映るものは、もう何もなさそうに見えた。


 思わず手を差し出していた。

 しかし意識体の俺の手を、アルルーシュカが握り返すことはない。

 胸の中でサキのすすり泣く声が聞こえた。


「…………」


 父親の唇が僅かに動いた。

 最後のお別れを言っているのだろうか。


「え!? 嘘……」


 サキの思考が弾ける。


「どうした?」

「今……アルルーシュカのお父さんが……」


 続きを告げる前に思考が流れてくる。

 まさか!?

 そんなことが!?


「業弾どうせいるんだろ? って!」



 変化は顕著だった。

 唖然とする俺たちの前で不躾に真実が語られる。


 死にゆく父親の周囲を黄金色の光がスポットライトのように照らす。

 その光の中に俺たちは人影を見た。


 つるりとした頬、そして間抜けなほど眉と瞳が離れているその顔を、俺たちはよく知っている。


「業弾!?」

「業弾さんなの? 少しだけいつもと違う」


 サキの言葉通り、俺たちのよく知る業弾と少しだけ違う。

 いつものように飄々としていて、どこかシニカルな笑顔は見えない。口元は真一文字に結び、僅かに口角が上がる。

 そして何よりドレッドではなく螺髪であった。


「あれは僕であって僕じゃぁないよ」


 目の前にいるはずの業弾の声が背後から聞こえる。

 振り返ると、ドレッドヘアーにボブマーリーのTシャツを着た業弾が微笑んでいた。


「よく来たね」


 久々に会った友のように気楽に挨拶する業弾の胸ぐらを掴む。


「どういうことだ!」


 俺の問いが何にかかっているのか、自分自身でもわからない。すべてだ。すべてを知りたいと思った。


「まずね、アレは君らのよく知るお釈迦様だよ。そして僕は彼の捨てた煩悩さ。僕はね、言うなれば彼の部下にすぎない。世界間の魂の質量を監視するただの中間管理職だよ」


 業弾は言うと、手のひらを俺にかざす。


「さぁ、これであのやり取りも君は聞くことができる。君は知らなきゃいけない。ドラゴン退治のときのように、何もできなくても、何をするでなくとも、君はただそこにいて知る必要がある。そうじゃなきゃ、君の魂は救われない」


 業弾は俺の背中を押す。

 よく見てこい。聞いてこい。歩き出すことができない我が子諭すような、そんな感じだった。



「業弾ぁ……久しぶりだな。手紙の時以来か?」


 息も絶え絶えにアルルーシュカの父親は言った。

 どことなく皮肉めいて見える。


「それは私であって私ではない」

「あぁそうだったな。お前ら本当面倒臭い。俺の頼みは分かっているな?」


 お釈迦様はアルルーシュカの両肩に手を置く。慈しむようだった。


「そうだ。俺の娘を……」



 俺の前世へ送り届けてくれ



 途方もなく強い風が、まるで全身をすり抜けて行ったようだった。


 何を言ってる?

 彼は何をお願いしているんだ?

 俺の前世?


 アルルーシュカがやって来たのは俺の元にだ。

 つまりは……


「自分の娘を、自分の前世に託すなんて、君は本当に過保護だよ。呆れるくらいだ」


 業弾がため息まじりに呟く。駄目な子供を叱るようだった。

 頭の中が沸騰する。目の前が眩む。肌が粟立つ。

 何を思えばいい?

 何を感じたらいい。

 溢れる思考は、しかし目の前の光景に蓋をされる。

 まだ終わっていなかったのだ。


「わかった。これもえにしえんは円となり輪廻する。ただひとつ条件がある。分かっているね?」

「ああ。代わりの魂だな」


 頷きながらお釈迦様はアルルーシュカを抱き上げる。その行為は、その行為ができるのは敵意や悪意のない証拠だった。


「それなら決まっている。分かってんだろ? バカヤロー。アルルーシュカの代わりに差し出す魂は……俺の前世、成瀬涼だ」


 不敵に笑って見せるアルルーシュカの父親の姿を最期に、夢の映像は弾けて消えたーー



 あたりが真っ白になると、そこにいるのは俺と業弾だけだった。


「サキは?」

「先に帰ってもらったよ。サキだけにね!」

「もう、そういうのいいから」


 業弾は「そう?」と言いながら頭をかく。



 アルルーシュカの父親は、俺の来世の姿だった。

 そしてアルルーシュカを俺の元へ転移させた。


 しかし一方だけの転移は世界が傾く。そのために俺たちの世界から移動する魂が必要となり……それが俺だと。


 なんだそりゃ?

 ずいぶん勝手な話じゃあないか。


「そうだね。でも自分自身の魂を差し出すとかね、君らしいっちゃ君らしいよね」

「まったくだ」

「なにせ輪廻は廻る。始まりは終わりのたもと 終わりは始まりの軌跡 君の魂があの世界に行かないと、あのエルフの娘は誕生しない。それはもう分かっているよね? 君がこの世界からいなくなるのは、あと二日後だ」


 そうなのだ。

 あの時、お釈迦様が代わりの魂を求めた時、意識体の俺は他人に責任を押しつけようと考えてしまった。


 あの少年だ。

 現実の世界を拒絶した元人間。彼を代わりに差し出せば、俺は相変わらず異世界荘で、相変わらずの面子で、あいも変わらず、愛も変わらず暮らして行ける。

 そんな卑怯なことを思った。思ってしまった。


 しかしどだい無理な話だ。

 業弾の言うように、俺が行かなければ、来世の俺は生まれない。そうなれば、どうなる?

 異世界荘で、俺の目の前でアルルーシュカは消えるのだろうか?

 バタフライエフェクトとか、タイムリープとかあまり詳しくないが、そんな気がする。多分そうなる。


 だからこそ、業弾は言ったのだ。


 君は何もできないとしても、知らないといけない、と。


 思わず天を仰ぐ。

 真っ白だ。

 情緒もへったくれもない。どうせなら郷愁めいた風景でも見せてくれよ。


「そうだ。君に渡すものがある」


 沈黙を打ち消すようにそう言うと、業弾は懐を漁る。


「もうジョークグッズはやめてくれよ」


 呆れたように言うと、心底面白そうに「笑えただろ?」と返ってきた。


「さあ、これが君への、成瀬涼への最後のプレゼントさ」


 差し出されたのは一通の手紙と、エメラルド色の石だった。


「これは?」

「この手紙は……君のいない君の世界から差し出された手紙さ。いずれ君に届けるけど、心配なら今見るかい?」


 差出し人は書かれていない。

 しかし『成瀬と父様へ』と綺麗な文字で書かれている。

 きっと差出人は彼女だろう。


「いや、いい。彼女が生まれてから読むことにするわ。今の俺じゃ……正直実感わかねぇよ」

「そう。そうだね、そうかもしれない。じゃあ残りはコレ」


 俺の手を開かせると小石をそっと置く。


「君が、あぁいや、来世の君が残した命のカケラさ。いずれ使うことになるだろう。きっと君はそうする」


 エメラルドグリーンに輝く小石に心当たりはあった。


「ああ。ありがたく受け取るよ」


 そう言うと業弾はニッと笑って見せた。


「世話になったな」


 俺の口から自然に漏れる。


 今なら分かる。

 こいつがこの一年間、のらりくらりと真実の廻りを廻っていた理由を。


「この一年間、幸せだったかい?」


 業弾の問いに、俺は当たり前のように言った。


「野暮なこと聞くなよバカヤロー」












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