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26 傾きの先に1

 人気の見えない午前2時。そんな古い流行歌のフレーズが頭をよぎる。たしかラヴソングだったはずだが、今は記憶の海へとダイブしている暇はない。


 街の灯りは消え、月明かりを頼りに俺は美観地区内を走っていた。突き刺さるような寒気は火照った頬に弾かれて霧散し、水蒸気となってゆらゆらと夜闇に揺らぐ。


「ちっ! どこに行きやがった」


 立ち止まり辺りを見渡す。視界の端。ほんの一瞬、銀色の光を遮って影が踊った。


「こっちだサキ!」


 町家の瓦に舞い降りるその影を見て俺は叫ぶ。

 異形の姿はこの世界のものであるということを一切合切拒絶している。


 ライオンのような体躯にカラスのようなくちばし。そして蝙蝠を連想させる翼をもつ化物は、灰褐色の巨像のようだ。

 あちらの世界ではそれをガーゴイルと呼ぶらしい。


 らしいが……。知らんがな。なんだよそりゃ。そろそろいい加減にしてほしい。

 以前に食人鬼オーガが転移してきてからというもの、たびたびわけのわからない怪物が現れやがる。


「成瀬ボサっとしてないで!」


 背後からサキが叫ぶ。それと同時に俺の頭上を飛び越えて、とんでもない速度で敵に向かって飛翔する。


 しかしガーゴイルに向けたサキの拳は空を斬り、怪物は腹の底まで響くような咆哮を上げて夜空に飛び立つ。


「くそっ! 速い!」


 まさに人外級の戦闘。一応俺も聖剣を持ってきてはいるがどうにもならん。戦闘機に向かって竹槍ふりかざすようなもんだ。


 せめて投げつけて隙でもつくろうかと柄を握りしめた時だった。


 ヘリが近距離を掠めたかのような爆風が辺りを襲う。

 腕で目を庇いながら見上げると、ガーゴイルの長大な翼が刃となった風にズタズタに切り裂かれていた。

 アルルーシュカの精霊魔法だろう。


「ナイス、アルルーシュカ! 悪即斬ッ!」


 隙を突いたサキのひと蹴りで、ガーゴイルは轟音と砂埃を巻き上げながら俺の目の前に落下する。


「だから斬してねぇし!」


 お約束のように突っ込みながら、俺は聖剣を怪物の眉間に突き立てた。

 なんだかごっつぁんゴールみたいだが、真っ当な人間にはこれが限界というものだった。




「だあぁぁ。もうなんなんだよアレは」


 管理人室に入るなり俺は倒れ込んだ。

 疲れたというより、何をしているのか訳がわからないことに苛立っていた。まるでゴールのないマラソンをしている感覚だ。


「業弾さんから何か聞いてないの?」

「あいつが簡単に口を割るかよ。のらりくらりと真実の廻りを衛星みたいにぐーるぐるよ」


 昨年のことだ。食人鬼が出没した時に問い詰めたことがある。しれっとした顔で「まあ仕方ないよね。でも傾きは大きくなるから気をつけてね」とケムに巻きやがったのだ。


「でも今回もキラ☆プリ作戦中でよかったわよね。あんなのが私たちがいないところに出てきたらと思うとゾッとするわ」

「いや、まぁそうなんだが」


 キラ☆プリ作戦というのは、サキとアルルーシュカによる街中の巡回である。

 相変わらずプリンセスのコスプレをしたがるアルルーシュカのガス抜きとして、二人は深夜に美観地区内を巡回パトロールしているのだ。

 夜なら多少は魔法を使っても認知されないだろうという妥協案だった。


 しかしここ最近は高頻度でその索敵網にモンスターが引っかかるのだ。


「それにしても他の県や国とかは大丈夫なのかねぇ」

「業弾さんがうまくやってんじゃない?」

「それならこっちもうまくやってほしいもんだがね! 残業手当も出ねぇんだぞ。サビ残マジファック!」


 そんな愚痴を言いながら畳の上に身体を投げ出すと、眠そうな目をしていたアルルーシュカも隣に寝転がる。確かに子供が起きていていい時間ではない。


「あらあら。アルルーシュカをお風呂に入れてくるわ」

「おう頼む」

「ほらほら。アルルーシュカ起きて」


 ぐんにゃりしたアルルーシュカを抱きかかえて浴室に向かったサキと入れ違いに、マオが神妙な顔をして部屋に入ってきた。


「ナルセちょっといいですか?」

「どうした? 夜食は作らんぞ」


 軽口を叩く俺の言葉をスルーし、マオは浴室からシャワーの音が聞こえてくるまで黙り込んだ。

 二人に聞かれたくない話でもあるのだろうか。


「モンスターの転移について調べていたのですけど」

「お! 何か分かったのか?」


 話に食いついた俺の顔を、マオはなんとも言えない表情でしばらく見つめると、溜息とともに口を開いた。


「恐らくなのですが、モンスター転移の原因はアルルーシュカにあると思うのです」

「はぁ? なんだそりゃ。何か根拠はあんのかよコノヤロー」


 俺の言葉にマオは一枚の紙切れを差し出す。

 日付と場所、そして見覚えのない氏名が書かれたものだった。


「その日付は余たち、つまり余とサキがこの世界に転移してきた日付なのですよ。そして調べてみたところ、この周辺で同日に二人の行方不明者が出ています。どう思いますか?」

「どうって言われても……」

「さらにですよ。ナルセがこの異世界荘に来た初日、五月のことですが、この異世界荘から元の世界に帰還した勇者なる人物がいたことは覚えていますよね。ナルセの頭でも」


 今が三月下旬なので、そろそろ一年近く経つことになる。確かにここに来た初日、暴走勇者が異世界に帰還した。こちらでトンネル工事に携わっていた元勇者は、その技術を活かしたいとか何とか言って帰っていったのだ。

 風穴開けたる! とか叫んでいたが、心底どうでもよかった記憶がある。


「実はその日にかつて行方不明だった一人の少年が保護されています」

「あぁ。ニュースになっていたな。あっ!」


 そこまで言って気付く。たしか一色兄さんが言っていた。

 保護された少年は異世界に行っていたと供述していると。

 まさか……。そうなのか?


「これを見比べると一目瞭然ですよ。つまり転移は一人では行われない。交換なのですよ」


 マオとサキが異世界から転移して来たと同時に、こちらからも二人がその世界に移動した。それは帰還した勇者も同様で、異世界から来た勇者と引き換えに少年はあちらの世界に行き、そして再び戻って来た。

 そういうことだったのか?

 まるで交換留学じゃないか。


「今ある材料から想像するに、それしか考えられないですよ。そして……」


 マオは言葉を切る。歯切れが悪い。まるで自身のウンコのキレのようだった。


「アルルーシュカが転移して来た日付の前後を調べたのですけれど……」


 そこまで言われると結末は想像がつく。

 あぁ。つまり傾きとはそういうこと(・・・・・・)だったのだ。


「だだの一人も行方不明者は出ていないのです」



 静まり返る部屋に、シャワーの音とアルルーシュカの甲高い楽しそうな声が染みわたるようだった。


 マオはその先は言わなかった。

 自明だし、俺が気付いたことを察したのだろう。


 アルルーシュカの代わりに異世界に行ったものはいない。

 つまり傾いているのだ。不安定になっているのだ。ズレていると言ってもいい。

 いつか業弾は言っていた。

 大事なのは魂の総量とか何とか。アレは盆の時だったろうか。


 恐らく業弾は平行する世界の魂の管理人だったのだろう。

 天秤の両側に等しく重石を載せる。そんな仕事なのかもしれない。


 そしてその天秤が傾く時、重い方へ重い方へと魂は流れてくる。高いところから低いところへ流れる水のように。


 だから怪物どもがこちらの世界に現れるのだろう。流されて運ばれた石のように。


「ちっ。よくよく考えれば分かりそうなもんだったな。そういえばいつも怪物どもはこの異世界荘の近いところに現れる」

「ええ、まさしくですよ。傾きの起点がここなのですから」


 なるほど。それはわかった。理解した。

 しかしそれが一体なんだというのだろうか。何を意味しているのだろうか。

 いつまでも怪物を退治して送り返せば済む話なのか?

 それとも……。


「それは今の段階ではわからないですよ。業弾氏から全て聞き出すしか手はありませんよ」


 くそっ。

 あの飄々とした男から聞き出すのは至難の技だ。今もどこかで俺たちを見ているに違いないあの男は、なぜ一年近くも黙っていたのか。


「あのヤロー! 業弾ぁ! どっかで見たんだろうが出て来やがれ!」


 俺はいてもたってもいられず、思わず窓を開けて夜の空に叫んだ。どうせはるか上空から見下ろしているか、こことは違うどこかの空間でほくそ笑んでいるに違いないのだ。

 聞いているなら出てこい。そのつるりとした横顔を張り倒してやる!


「わお。びっくりしたね。よく気付いたねぇ」

「うわっ!」


 庇の上から業弾がニンマリとした顔でのぞく。

 月の光が後光のように見える。


「やっぱいやがった! てめっ!」


 俺は窓枠から身を乗り出し、伸びきったボブマーリーのTシャツの襟をつかもうと手を伸ばす。

 しかしヘラヘラと笑いながらスルリと俺の手から逃げると、業弾は「そんな事している場合じゃないと思うよぉ」と遠くを指差す。


 その瞬間のことだった。

 指差した先。ちょうどその方角から閃光が走る。

 赤い紅い朱い光が轟音とともに夜の闇を切り裂いた。

 そして刹那の時を経て、腹の底まで痺れるような衝撃波が美観地区内を襲った。


 ビリビリとゆれるサッシ。

 軋む建具。

 まるで空気の塊が駆け抜けたようだった。


「ほらほら。早く行かないと大変なことになっちゃうよ」


 耳元で囁かれたが、そんなことはもはや気にならなかった。

 俺と、そしてマオすら視線を外せなかった。

 そして言葉すら出てこなかった。

 ここは地球で

 日本だと思っていた


 しかし、アレは


「ほら、ついにドラゴンの登場さね。早く行って送り返してきたまえ!」








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