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19 お盆と御霊

 一年で一番暑い日がやってきた。

 それでもどこか厳かで祈りに満ちた日。


 散歩がてらアルルーシュカと美観地区を歩いていると、早朝であるにもかかわらず、どこか懐かしい香の馥郁ふくいくとした香りが漂う。

 迎え火は今晩のはずなので、いささか気の早い話だ。


「いいにおいなの」

「お香を焚いているんだよ」


 一年にたった一度、死者の魂がこの地に戻る。そんなことをアルルーシュカに教えていると、地区内で顔見知りになった人たちとすれ違う。

 土地柄だろうか誰もが浴衣を着込み、なんともたおやかな表情を浮かべている。

 いつもなら立ち止まって談笑をするのだが、静かに首を傾けて挨拶すると、足早に過ぎ去っていく。死者を迎える準備に忙しいのかもしれない。


 街全体が重苦しくも清廉な、鎮魂の空気に満ちていた。


「ほら、見てごらん」


 とある店先には茄子と胡瓜で作られた精霊馬が飾られている。本来なら盆棚にお供えするべきなのだろうが、時代によって風習は移ろう。


「なにこれ?」

「これはね、亡くなった人が乗って帰ってくるために置いているんだ。この茄子が牛で、胡瓜が馬なんだよ」


 ちょこんと座って興味深そうに眺める。

 精霊使いのアルルーシュカは、ひょっとしたら死者を視ることもできるのだろうか。もしそうなら、胡瓜の馬に乗って帰ってくるご先祖様たちはひどく滑稽に見えるかもしれない。


「父様も……くるかな?」


 ポツリと言われた瞬間、思わずひたいを手のひらで覆ってしまった。

 そうだ。やはりそういう話になるよな。


「どう……かな」


 亡くなった大切な人にもう一度会いたい。誰でも思うことだ。ましてや幼くして父親を亡くしたアルルーシュカにとっては尚更だろう。


 俺だってそうだ。

 両親の顔は知らないから、帰ってきたとしても俺は気づかない。それでも会ってみたいという気持ちは、心の片隅に確かにあった。


 ただそれ以上に、俺は彼女へ。亡くなってしまったかつての部下、沢木琴音にもう一度会って謝りたかった。

 護ってやることができなくてごめん、と。


「どうだろう。違う世界で亡くなった人に会えるか、帰ったら業弾に聞いてみようか」

「うん」


 消え入るような返事に胸がつかえた。

 しかし業弾ならなんとかするかもしれない。そんな期待感もある。

 業弾はいつも飄々としているが、あれでお釈迦様なのだ。死者に関してはオーソリティである。

 鎮魂のためだろうか、盆の準備に異世界荘に来るという話は事前に聞いていた。いい機会だし、本職である奴に読経でもしてもらおう。声だけはいいからな。


 そんなことを思いながら、少々メランコリックな気持ちで美観地区をアルルーシュカと歩いた。



 ◇



 玄関に入ると、ふいっと香の匂いが漂う。安心感と既視感の中をまるで泳いでいるようだ。

 実家に帰ったら、みんなこんな気分なのだろうか。


「おや、戻ってきたね」


 わざわざ戸口まで迎えに出てきた業弾は、珍しく袈裟などを着込んでいる。


「どうだい? なかなか様になっているだろぉ?」

「どうせならそのドレッドもどうにかしろよ。厳かな雰囲気がぶち壊しだろうがコノヤロー」

「これは螺髪らほつだよぉ。伸びきっているがね」


 螺髪とは大仏に見られる、あのポツポツした髪型のことか。伸びたらドレッドになるとは初めて聞いた。


「ま、嘘だけどねぇ」


 眉をあげる俺の顔を見てしれっと笑うと、「だいたい準備はできてるよ」と少し真面目な横顔を見せた。

 ついて来いという事らしい。


 管理人室に隣接するダイニング。ダイニングなんて横文字で言っているが、六畳間が二間繋がった和室だ。

 畳は日焼けし、ささくれだっている箇所もある老朽化した部屋に、なかなか立派な盆棚が造られていた。


 真菰マコモにおがら、蓮の葉まで用意されている。なかなか本格的だ。


「このおがらは夜に焚いてね。迎え火になるから」

「ああ、すまないな。でも……」


 隣で正座するアルルーシュカを見て少しいいよどむ。

 肝心の位牌がひとつもないのだ。


「ああ、位牌かい?」


 空座の盆棚を見て業弾は頭をかいた。


「まぁ、それはね。夜に説明しよう」


 聖職者らしい顔をした彼に、俺はそれ以上聞くことはできなかった。




 そろそろ日が落ちる頃、外出していたサキが異世界荘に戻ってきた。

 どうやら学友と遊んでいたらしい。誰それがどんな曲を歌っただとか、サーティーワンのアイスをトリプルにしたらひとつ落としただとか、そんなたわいのない話を楽しそうにしていた。


 ひとしきりまくしたてると、アルルーシュカを連れて部屋に戻っていった。着替えをするらしい。


 サキの話の中で、男の名前が出てこなくてホッとしたのはここだけの話だ。

 子離れしていない父親の気分なのか、それとも兄貴として心配しているのだろうか。もしくは……。


 そこまで考えて思考を停止すると、俺は縁側に出て煙草に火をつけた。

 橙色と濃紺で色づいた空に薄紫の煙が踊る。

 もし俺が死んだら、線香の代わりに煙草の苦い香りをお願いしたいものだ。


 柄にもなくそんな感傷に浸っていると、どこからか太鼓を打つ音が聞こえてきた。結構遠くで鳴っているようだが、風に乗って届いたようだ。


「あぁ、盆踊りがあるのか」


 地区の小さな祭りがあると聞いた気がする。

 みんなで行って見ても良いかもしれない。そう思って立ち上がった時、ノックとともに扉が開いた。


「ナールセッ!」

「だからアレほどノックをしろと」


 サキの声に条件反射で返す俺の言葉が詰まる。


「ジャーーン! どう?」

「ナルセ。どう?」


 サキとアルルーシュカが艶やかな浴衣を着てかしこまっていた。

 二人とも珍しく髪をアップにしている。

 サキは良く似合っているが、アルルーシュカはどう贔屓目に見ても外人が和装している不自然さがある。しかしそれも愛くるしい。親バカの気分だ。


「似合ってるよ」


 珍しく素直な言葉がするりと出てくる。


「ちょ……何よ。そんな、なんか、らしくないッ」


 巾着をもみくちゃにしながらサキは言った。

 照れのためだろうか、くるりと背を向けて「お祭り行くわよ! 先に出てるからッ」と駆けていった。


「……アルルは?」


 ふてくされた声に視線を落とすと、アルルーシュカは甲冑を纏っていた。

 最近機嫌が悪くなると、すぐに鉄壁の妖精(ピクシーメイル)を発動させる。


「アルルーシュカも可愛いよ。お人形さんみたいだ」


 気を良くしたのかすぐに甲冑は霧散し、にへへと笑う。ほっぺがまるくなって、まるで白桃のように薄紅色に色づいた。


「さて、お祭り行くかな。出店も来てるだろうし、好きなもの買ってあげるよ」


 俺は小さな手のひらを取り、サキの待つ玄関へ向かった。




 スケキヨマスク装着のトンさんも加わり、結局四人で夜店を回った。マオは安定の引きこもりだ。

 死者が集う場所には行かない方がいいと、業弾の注意もあったからだ。マオは死を司る魔人の側面もあるらしい。意図せずそういった類のものを手繰り寄せる性質があるのだとか。


「盆踊りってそういうものだろ?」


 と業弾は言った。


 散々屋台で飲み食いをし、まだ人が多い時間に異世界荘に帰った。祭りの後の閑散とした寂寥感を感じたくなかったのだ。どうしようもなく終わってしまった跡が、妙に寂しい気持ちになる。


 帰り着くとしばらくは各自自由な時間をとったが、気づくと誰ともなくダイニングに集まっていた。


 そろそろ迎え火の時間だ。


 おがらを焚くと煙が細く立ち上がった。これが死者にとって目印になるらしい。

 続けざまに業弾に手渡された線香を灯す。来てくれたご先祖様に成仏してもらうためのものだ。


 まるで神事だ。

 ピリッととした空気感が漂う。

 誰も何も口を開かなかった。あるいは各々が何かを期待しているのかもしれない。


 そうして登る煙をどれだけ見ていただろうか。俺の目には何の変化も見られなかった。

 アルルーシュカならあるいは。そう思って見たが、ほうっとした表情で眠そうだ。


「……業弾」


 しびれを切らして声をかける。

 俺の声に業弾は片方の眉を上げると、「そろそろいいかな」と口を開いた。


「はじめに言っておくよ。そこのエルフの娘の父親は来ない」


 隣でアルルーシュカの息を飲む音が聞こえた。


「どういうこと……だ? つまり異世界で亡くなった人は……」

「いや、違うよ違う。そういう問題じゃないんだ」


 業弾の声をアルルーシュカの泣き声がかき消した。座ったままポロポロと涙を零すアルルーシュカを、サキが優しく抱きしめる。

 胸がキュッと締め付けられた気がした。


 しばらくアルルーシュカの泣き声がおさまるのを待ち、業弾は続ける。


「そういう問題じゃないんだよ。他の世界線であろうと、なかろうと、あの子の父親は来れないんだ」

「どいうことだよ。お前の悪い癖だ」

「あぁ、そうだったね。じゃあ端的にいこう。この、いまここにいる時間軸では、あの子の父親は死んでいない。ということさ」


 ますます意味がわからない。

 マオやトンさんを振り返っても、同じような顔をしていた。


「ちょっといいですか? 前提として聞かせてください。世界間の転移は、同じ時間軸以外でも起こる。つまりこういうことですか?」

「そうだね。さすが魔王の坊ちゃんだ。飲み込みがいい。僥倖僥倖」


 俺の頭の上にクエスチョンマークでも付いているのだろうか。マオが補足する。


「こういうことですよナルセ。アルルーシュカがいた世界は、この世界よりも未来の時間軸だった、ということです」

「そうだね。つまり死んでいない人の魂なんて来るはずもない。そういうことだね」


 そして付け加える。


「それどころか、彼はまだ生まれてもいないよ」


 しんみりと懐かしそうに虚空を見つめる。

 そういえば昔馴染みやら、昔世話になった人、とか言っていた気がする。


「アルルーシュカが未来から……」

「と言ってもねぇ。違う世界線だからあまり意味を持たないよ。そこらへんはね。例えば生まれて来た子が未来のことを話したり、そんな都市伝説もあるじゃない? つまりはそういうことさ。僕たちにとって大切なのは、時間軸ではなくって、魂の総量だからさ」


 正直よくわからない。ケムに巻かれた気がしないでもない。


「そ、それじゃあ! 俺の両親や沢木琴音は!?」


 斜め向かいに座るサキが肩が震えた気がした。

 食ってかかる言葉に、業弾は唇を結ぶ。


 少しの気まずい沈黙の後、業弾は重い溜息をついて話してくれた。


「まずひとつ。君のご両親はご健在だ。死んではいないよ」

「……え? じょ、冗談はよせよ」

「冗談でこんなことが言えるかい? 君は、ただ単に、ゴミのように、チリや芥と等しく捨てられたんだ。それ以上でも、それ以下でもない」


 言葉が出なかった。

 俺は今どんな顔をしているだろうか。

 鏡があったら見てみたいものだ。きっと笑ってしまうほど情けない顔をしてるだろう。

 しかし不思議と涙は零れなかった。

 心の片隅に、もしかしたら、なんてそんな思いが巣食っていたのかもしれない。

 それよりも業弾の淡々と告げる口調が、とても優しくて、酷く痛かった。


「それと、沢木琴音さんだけどねぇ」


 彼女の名前に俺は顔を上げた。


「彼女の御霊は、君じゃない、他の大切な人のところへ帰っているよ」


 その言葉はまるで、アスファルトに沁み入る雨のように俺のなかに広がった。そして俺の細胞ひとつひとつを満たしてゆく。


「……よかった」


 やっと絞り出した言葉とともに、俺のひざを雫がうった。

 生ぬるく気持ち悪い。


「よかったのかい?」

「ああ。よかった。よかったよ。やっと好きな人の元に行けたんだな」


 限界だった。

 止めようにも止まない泪が、後から後から溢れてくる。

 歯を噛み締めて堪えたが、頬が震えておかしな音が口から漏れた。


 そんな濡れそぼった頬を少しひやりとしたものが覆った。


 サキの手のひらだった。


 彼女はアルルーシュカを抱いたまま、俺の顔を優しく包み込み、自分の肩へと導いた。


「ほら。我慢しないで。男なんて泣き虫な生き物なんだから」


 情けないことに、俺は初めて声をあげて泣いた。

 自分のことじゃ泣けないくせに。



 ◇



 どれだけ時間が経ったかわからない。

 五分かもしれないし、数時間かもしれない。

 サキは変わらず俺たちを抱きしめてくれていた。

 見るとアルルーシュカは寝息を立てている。涙の跡が痛々しい。


「さて、そうは言ってもね。救われる魂はどこにでもあるものさ」


 薄暗い部屋に蝋燭がともる。揺れる炎が柔らかな陰影をつくりだすなか、業弾の読経が響いた。


 唄うように。

 詠うように。


 言葉の塊は奏となる


 奏となった言霊は魂を癒す


 そうやって幾星霜も御霊は救われるのだろう





「オロ……」


 厳粛な空気をおかしな声が遮った。


「オロロ……オロ」


 どこから聞こえるのか。薄暗くてよく見えない。


「あっ!? 成瀬トンさんが!」


 サキの叫びで気づく。


「オロロロロロロロロロロロ……オロッ!」


 トンさんはビッタンバッタンと打ち上げられた魚のように畳の上を跳ねていた。

 読経で成仏しかけていたのだ。何だか口元からエクトプラズムさえ出ているようにも見える。


「ご、ご、業弾! 読経やめろってーッ! このアホーーッ!」



 そんなこんなあっても、本日も異世界荘は喧騒なり




来週は更新できるかあやしいです


残りストック4話

完結まで残り14話くらいだと思います

あと少しだけお付き合いください

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