17 海の音ラプソディ2
その日海水浴場にいた男はこう証言する。
「いや、マジで意味わかんねぇし。海がどわーってなって、光がビカーッて。死ぬかと思ったッス」
語彙に不自由している類人猿の言葉はさておき、話は成瀬が眠りに落ちた時間にさかのぼる。
成瀬にあしらわれた二人の若者は、すごすごと退散したものの、それで心を折るほどに善良ではなかった。
それもそのはずで、幼い頃よりスクールカーストの頂点に君臨していた二人は、今まで思い通りにならなかったことなどなかったのだ。
目つきの悪い冴えない男に凄まれたからといって、はいそうですか、で終わらせるつもりは毛頭なかった。
「どうする?」
「へっ。どうせおっさんは寝てんだから構いやしねぇよ。あんな可愛い子見たことねぇしな」
「だな。久々の大物だ。腕がなるぜ」
モデル並みのスタイルに、やや危険な香りのするモテ顔は入れ食いである。
この夏も海でナンパすれば即セックス。
居酒屋でナンパすれば秒速でセクース。
まさに先端が乾く暇のない性活を送っていた。
そんな猛獣の前に現れた美少女が悪いのである。
うまそうな餌をぶら下げられ、オアズケできるほど調教はされていなかったのだ。今この時までは。
視線の先では二人の美少女が波と戯れている。
ひとりは濃紺の髪をした少女。
まだ十代なかごろを思わせる未熟な体躯は、細くしなやかでいてどこか艶かしい。
幼さの中に時折光る色気に二人は釘付けとなった。
「俺はあの子な」
「オッケー、好みが分かれたな。じゃあ俺はあの子だ」
もう一人の少女はさらに幼い。
どこからどう見ても小学生だ。
まるで起伏のない躰つきに欲情する者がいるとしたら、変態以外ありえない。
おまわりさん、おさわりさんはここです。
「お前ロリコンだったの?」
「ちげーよ。でも何つうの? 究極の美って感じじゃね? 穢れない真っ白なキャンパスを、無残に切り裂くって興奮しね?」
「引くわー。マジで引くわー」
未踏の新雪を踏み荒す行為と似ているかもしれない。
男たちは下卑た笑みを浮かべながら少女らに近づいた。
美少女を遠巻きにチラチラと視姦行為をする者どもも多い。それらに対して威嚇も忘れない。
小物界の大物なのである。
「ねーねー。君たち高校生? 可愛いね!」
声かけの第一声は陳腐なものだった。
ケツに手を当てて「ぼ、ボラギノール持ってない?」くらいのユーモアは見せてもらいたいものである。
ドン・キホーテに来たギャルの車を勝手に洗車して「おっ! 綺麗にしといたぞ」と笑わせにかかる剛の者もいるのだ。
少女二人ははたと手を止めて二人を見た。
この瞬間男は勝利を確信する。
街中でのナンパならスルーされる確率は高い。
しかし海というクローズドサークルでは異なる。
開放感と密室感。人に嫌われたくないという本能が、わざとらしく逃げることを阻み、夏の浮ついた空気感が「ちょっとくらいなら」という気持ちにさせる。
結果話ができるチャンスが生まれるのだ。
「この子が高校生に見えるの? バカじゃないの」
帰って来た言葉は鋭利な刃物だった。永久凍土のように冷たい。
それもそのはずで、明らかに小学生に向けて高校生はないものである。
どう見ても三十代半ばの女性に「うそっ!? 二十歳くらいかと思った」とのたまうのと同様だ。
あと関係ないのだが、美容師が「今日はお休みですか?」と聞いてくるのは何とかならないものだろうか。仕事中に来るはずねぇだろ。
少女は蔑んだ目をそらすと、金髪ロリっ子と再びキャッキャし始めた。
「あ……ええっと」
差し出していた手が震えていた。
なんとも間抜けな風景である。
意気揚々と声をかけて、歯牙にもかけられなかったのだ。遠巻きに見ていた男たちが失笑するのも無理からぬことだ。
それを片割れが睨みつけて凄む。
「あのさ、俺らジェット乗って来てんだ。良かったら後ろ乗らない?」
いきなりの奥の手である。亜種としてバナナボートという手もある。
手強い女たちが堕ちてきた最終奥義。
大体の女は好奇心が警戒心を駆逐する。
しかもいきなり密着することができる禁じ手なのだ。プライベートゾーンを侵してしまえばあとは楽勝だ。
「ジェットってなに?」
美貌のロリが反応し、男たちはニヤリと笑った。
イケメン+ジェット=セクース
男たちが勝利の方程式だと思っているそれは、ただの足し算だ。
「アレだよ。海の上を走る乗り物なんだ」
ビーチの端に停めてある二人乗りのジェットを指差す。
初めて見るのか妖精のように美しい少女は目を輝かせた。
「サキ姉様! のりたい!」
「アルルーシュカ、ダメよ。成瀬に怒られるわよ。それに、こんな盛りのついたゴブリンみたいな奴に触れると穢れるわ」
「のりたい! のりたい!」
ただをこねる姿に、男たちは内心ガッツポーズをして雄叫びをあげた。
あとひと押しだ。
「ナルセって君らの保護者だろ? ヘーキヘーキ。ちゃんとさっき話したし、今は寝てるぜ」
疑わしげに見つめる少女に、砂浜で寝ている男を指差す。
少女はひとつため息をついて「少しだけよ」とついに折れた。
「でも成瀬が許可したっていうのが嘘なら、多分あなたたち殺されるわよ。あの人身内以外に容赦ないから」
忠告を華麗に受け流しジェットにまたがる。
さてと、アルルーシュカと呼ばれた少女を乗せようとした時、もう一人の少女に髪を掴まれ、ありえない剛力で引き摺り下ろされた。
「ちょっ!? 何を!」
「あなたみたいなのがアルルーシュカに触れられると思ってるの? 安心して。この機械は私が運転するわ」
そんな運転方法も知らないくせに、と思ったが、緊急エンジン停止のコードを手首にはめ、セルを回す。
どうやら男が乗り込むところを観察していたようだ。
「てめ! ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって」
「ダメなの。サキ姉様はナルセいがいには怖いの」
「ちょっ! いらないこと言わないの!」
激昂する男にアルルーシュカが「めっ!」とたしなめる。
あまりの可愛らしさに男たちがメロメロになるなか、ジェットは猛スピードで走り始めた。
◇
軽快に海上を走る。
海風が髪をなびかせ、弾ける水しぶきが気持ちいい。
ちょっとした小波で跳ねる感覚をしばらく二人は楽しんだが、ほどなくして飽きた。単調なのだ。
障害物もなければ、トリックを決めるほど小型ジェットでもない。何が楽しいのかさっぱり理解できないのだ。
「あんまり早くないわね」
「ねーー」
スピードメーターは60キロでストップしていた。日頃スレイプニルで疾走している二人には物足りない。
「ねぇアルルーシュカ、いい事思いついた」
「いいこと?」
「うん。成瀬も寝てるし、ちょっと魔法使って楽しまない?」
サキの案はこうだ。
水の精霊にお願いして巨大な波を作り出し、サーフィンでよく見るチューブ・ライディング(波の中を通る走り)をしようというのである。
サキの言葉にウンウン! と頷くと、アルルーシュカは水の精霊にお願いをした。
碧色の水面がモコモコと盛り上がり人型に変化する。水の精霊の登場だ。
モコモコ、モコモコと筋肉を成形していく。その姿は霊長類最強の姉御に瓜二つだった。
刮目せよ。物語の登場人物が、全員可愛い子やイケメンだと誰が決めつけたのか。
アルルーシュカの願いに、ウンディーネは上腕二頭筋を見せながらニッコリと笑って弾けて消えた。
途端に地鳴りのような響きが辺りを包み込む。
サキが視線を走らせると、沖から巨波が怒涛のように押し寄せていた。
「きたきた!」
弾んだ声でノーズを陸に向けると、サキはスロットルをめいいっぱい握った。
時速60キロだがすぐに波に追いつかれる。ボトムを走るジェットはさながら急滑降の坂道を転がるようだ。
「すごーい」
波のトップが割れて一瞬陽の光を遮る。
次の瞬間には二人は波の中を走っていた。
全てが無音になったようだ。アルルーシュカが耳元で歓喜の声を上げるが、サキの耳には届かない。
それどころではなかった。
波の中は屈折した光が乱反射するトンネルで、息を呑むほど美しい。
思わず見とれていた。
この世界の美しさに。
「こんな体験、絶対あっちじゃできない!!」
抑えきれない感情を爆発させた時、二人を乗せたジェットは波に巻かれた。
すんでのところでジェットを乗り捨て、サキは翼を広げた。
「アルルーシュカ! 掴まって!」
二人は上空に回避すると、波にもみくちゃにされる機体を見つめた。
ポーンと海上を跳ねたと思った次の瞬間には、海底の岩に激突する。
「あらー」
「あー。こわれちゃったね」
しばらくそれを繰り返し、鉄とFRPの塊となった機体は岸へと打ち上げられたのだった。
◇
「どうするよ。帰ってこないぞ」
「ちょっ、まて! アレなんだ!?」
手持ち無沙汰で波打ち際にいた男二人はありえないものを見た。
遠く沖の方で巨波が割れていたのだ。日本海や太平洋ならいざ知らず、瀬戸内のような内海ではありえない。
それ以上にありえない光景に二人は膝を折った。
「……おい。あの宙を舞ってるの、俺たちのジェットじゃね?」
見覚えのある機体が、派手に飛んでいた。見るからに無残な姿で。
ぽかんと阿呆みたいに口を開いたまま、二人は足元の愛機を見つめていた。
もはや元が何であったのか分からないほどに全損している。
「せ、せめてハンドルだけでも……」
「クッ! やめておけ。余計に悲しくなる」
その二人の後ろを「いやー、楽しかったね!」「ねーー!」と、サキとアルルーシュカが歩いているのに気付くと、やり場のない怒りを爆発させた。
「てめ! 俺らのジェットに何しやがった!?」
「もう我慢できねぇ。拉致ってやるからな!」
鬼の形相で詰め寄る男たちの足元が突然揺らぐ。
「な、なんだ!?」
見ると訳のわからない小さなおっさんたちが、せっせと足元を掘っていた。
「土の精霊にお願いしたの」
「おー、いいねアルルーシュカ! そのまま首まで埋めちゃいなさい」
慌てておっさんを掴もうとするが、砂のように指の間からすり抜け、気づくと二人は首まで砂浜に埋まっていたのだった。