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16 海の音ラプソディ1

 夏だ。


 薄暗い日本家屋である異世界荘から一歩踏み出せば、攻撃的な日射が容赦なく肌を焼く。

 年々暑くなっている気がする。地球温暖化というが、もはや太陽に刻々と近づいている気しかしない。


 外出とか無理だろ、これ。


「これでまだ朝の7時ってんだから、ほんと嫌になるな。俺ムリ。やっぱ寝るわ」


 くるりと踵を返す俺の襟首をサキが掴んだ。


「何言ってんのよ。海に行くんだから、これくらい晴天の方がいいに決まってるじゃない」


 白いワンピースに麦わら帽子という、いかにも清楚系お嬢様のなりをしたサキは上機嫌で笑った。


「おま、その服……」

「いいでしょッ! バイトのお給料で買ったの。ほらほら、何か言うことあるんじゃない?」


 裾をつまんでヒラヒラさせながらクルリと回る。


「お前さ、サキュバスという個性に真っ向勝負してるよな」

「何よ、文句でもあんの? サキュバスなら黒を着ろとか言っちゃう老害?」

「いや、でも。アルルーシュカには若草色のワンピ買ってあげたんだろ?」


 半分以上眠気まなこで俺の手を握るアルルーシュカは、粒子が飛ぶような金髪と陶磁器よりも白い肌に映える、黄緑のふわりとしたワンピースを着ている。

 サキからのプレゼントらしい。

 昨晩は着たまま寝ると駄々をこねて大変だったのだ。


「エルフに若草ってのは、まぁ分かる。うん。似合っている。可愛い」

「うるさいわね。向こうの世界の役割から解放されてんだから、何着たっていいじゃない。私だって、ほら、少しは……」

「いや、まぁ可愛いは、可愛いけどよ」


 不意に言った後でハッとする。

 見るとサキも頬を染めてあたふたしていた。

 お互い視線を不自然に外しながら、俺は頭を掻き、サキは「あ、暑いわね」と言いながらうつむいた。


 どうもいつもの調子が出ない。

 あの夢の一件以来、なぜか妙に意識してしまう。それはきっとサキも同じだ。


 しかしアレは引き金のひとつであって、実は少し前からどうにももどかしい感じが付き纏う。

 嫌な感じではない胸のつかえが、一体何なのかはよく分からない。

 だだ七夕の夜、アルルーシュカを膝枕していたサキの姿をたまに思い出すのだ。


「あ、あのさぁ」


 とりあえず話題をそらそう。

 ひとまず結論づけて、俺は視界の端でチョロチョロと動く影に向き合った。


「……トンさんも海行くの?」

「勘違いされては甚だ心外なり。遊戯に耽るのではなく、次回作の取材でござるよ」

「その割に、その格好……」


 どこで買ったのだろうか。珍妙な虹色の全身タイツを着用し、すでに腰には浮き輪が装備されている。

 泳ぐ気満々でウッキウキじゃねぇか。


「バイトの飲み会での、ビンゴなるゲームの景品である。これならば衆人環視の中でも、よもや小生がスケルトンであるとは思いもよらぬでござろうよ」

「あのさぁ……。そういう意味ではなくって。いや、そもそも頭蓋骨がコンニチハしてる時点でダメでしょ」


 こんな事もあろうかと、一応の対応策は考えている。

 俺は自分のバックの中を漁り、ゴム臭くなった紙袋をトンさんに手渡した。


「これは?」

「スケキヨマスクだよ」


 紙袋から取り出したゴム製のマスクを手に、首をかしげるトンさんに説明する。


 かの文豪、横溝正史の有名作に登場する著名なマスクである。


 のっぺりとした白いラバー製のマスクは、気味が悪いほどリアルな造形をしている。

 横溝作品に見られがちな、怪奇趣味を存分に体現した一品だ。

 なかなか悪趣味ではあるが、骸骨を露出しているよりはマシだろう。


「なるほどでござるな。横溝正史と言えば、ここ岡山に縁の深い文豪。ナルセの癖に……げふん、猿並みの頭の割に……げふん、ナルセ殿らしき心配り痛み入る」


 そこはかとなくどころか、言葉の端からdisりが垣間見えるが、ここで喧嘩をしても仕方ない。

 梅干しの種の件をまだ恨んでいるのだろうか。

 海についたら酒でも呑みながら話すとしよう。


「さて、行くとするか」


 飲み物を大量に詰め込んだクーラーボックスを肩にかける。

 50リットル級のデカさなのでかなり重い。

 しかも自家用車はないのでバスでの移動だ。

 いささか気が滅入るが、浴びるほど酒を呑むための試練だと思えば幾らか気が紛れた。


「マオ兄様は?」


 眠たそうに眼をこすりながらアルルーシュカが俺を見上げる。


「奴は来ないぞ。『暑い時に、さらに暑い場所に出かけるとはバカなのですか? 死にたいのですか?』って言ってたぞ」

「そうなの? アルルはマオ兄様とも遊びたかったの」

「あのバカのことはいいから、早く行こ! バスに乗り遅れちゃう」


 シュンとするアルルーシュカと手を繋ぎ、俺たちは並んで歩き出した。





 児島港からバスフェリーで30分。瀬戸内海に浮かぶ小島は、香川県に属する。


 近隣のビーチは人も多く、この面子で遊ぶには向かない。何かトラブルになることは必至だ。

 だからわざわざ交通の便の悪い場所を選んだ。


 広いビーチに家族連れやカップル、ウェーイ系の学生たちがいるにはいるが、混雑とは言えない程度だ。

 しかし油断は禁物なのである。


「いいかお前ら。ここは地球で、しかも平和な日本だ。飛んだり跳ねたりしてもいいが、くれぐれも本当に浮遊したり飛行したりしないでくれ。あと魔法も……あ、おい! ちょっと待てバカヤロー!」


 俺の言葉も虚しく、サキとアルルーシュカは熱された砂浜を跳ねるように駆けると、そのまま海へと飛び込んだ。


「まったく。若いモンは元気だなぁ」


 うだるような炎天下の中、さすがにはしゃぐ気にもならない。

 二人が脱ぎ散らかした服とサンダルを回収すると、俺は借りてきたパラソルの下で、早速一杯やろうとクーラーボックスを開いた。


 マオがいた。


「……おい。お前何してんだコノヤロー」

「んあっ……暑い。そこ、閉めてくれませんかね?」


 ドライアイスを抱きしめて寝ていたマオが眉を寄せる。

 ちなみに飲料の姿はない。


「飲み物はどうした?」

「出しましたよ。余が入るのに邪魔じゃないですか?」


 何を当たり前のことを言っているのですか、と涼しい顔で言うマオの顔面に熱砂をぶっかける。


「ちょっ!? 耳に入りましたよ! ズゾゾーって入りましたよ!」

「うるせぇ! 引きこもりたいなら引きこもれ! 一緒に来たいなら素直にしろ」

「引きこもってますよ!? この楽園ボックスに引きこもってますよ! それに、一緒に来たいとか、そんな、そんなわけ、ないじゃないですか。ナルセたちが余から孤立するのを阻止しているだけではないですか!」


 うわぁ。なんてわがまま奴だ。ついあいきれん。


「そもそも魔王にかんかん照りの太陽の元など似合わな……」


 飲料の入っていないクーラーボックスなぞに用はない。

 抗議なのか自己弁護なのか、理解不能の屁理屈を言うマオの言葉をボックスを閉めて遮断する。

 ひとしきり中で唸っていたが、程なく静かになる。多分また寝たのだろう。


「もう疲れた。もう帰りたい……」


 考えてみれば俺に休日はない。起きてから寝るまでがお仕事だ。

 たまには一人でのんびりしたいものである。


 しかし波打ち際で水をかけあっているサキとアルルーシュカを眺めていると、まぁ来てよかったかな、と思ったりもする。


「それにしてもさすがに目立つな」


 サキはあれで目を引くほどの美少女だし、アルルーシュカに至っては芸術として完成された美しさだ。

 本人たちは気づいていないが、老若男女の視線を一斉に集めているようだ。


 ナンパとかされなければいいのだが。

 声をかける男の哀れな未来が予想できそうである。


 海の家で買ったビールを片手に眺めていると、アルルーシュカが俺に手を振った。

 俺も小さく振り返すが、サキが違う違うとジェスチャーする。


「なんだぁ?」


 サキが口元に手を当てて何か叫んでいるが聞こえない。

 身振りで聞こえないぞとアピールすると、サキは何かを指差しながら叫んだ。


 《成瀬! アレ!》


 サキの声が風にのって届く。アルルーシュカの精霊魔法だろう。

 剣呑にサキの指差す方向を見る。



 海面から虹色の両足が突き出ていた。

 まるで頭から突き刺さって、太ももから下が見えている感じだ。


 《トンさんだろ? 気にするな。スケキヨマスク被ってるから、作中の死に様を完コピしてんだろうよ》


 スケキヨマスクを被った登場人物の死に様は有名だ。池で両足を突き出して絶命しているシーンである。

 さすがワナビのトンさん、よく分かっている。次回作はミステリなのだろう。


 《えぇ……。あれ溺れてない?》

 《ヘーキヘーキ。そもそも息してねぇんだから、溺れ死ぬこともないだろ

 》


 言ってみたものの、見ていると微塵も動いてない。もはや前衛芸術のオブジェと化しているようだ。

 しだいに周囲から「おい、あれ大丈夫かよ」と声が上がり始める。


「あっ、気にしないでください。これはスケキヨのコスプレですので」


 慌てて駆け寄り、トンさんをすっぽ抜くと小脇に抱えて退散する。


「あのさぁ、勘弁してよトンさん」


 ぐったりした体を波打ち際に投げると、俺は文句を言うためにマスクに手をかけた。


 両目から魚が顔を出してビッチビッチしていた。


 俺はそっとマスクを下ろし、静かにパラソルまで戻る。

 ホラーだ。完全に死体だ。

 まあ放っておいても、虹色全身タイツをまとったスケキヨに声をかけるものなどいないだろう。



 本当に疲れた。

 レジャーシートに横になると、まるで砂時計の砂になったように意識が落ちていく。


 ああ、やっと寝れる。

 そう思った瞬間、「おにーさん、おにーさん」と無遠慮に声をかけられる。


「あ?」


 重いまぶたを開くと、二人の若い男が俺の顔を覗き込んでいる。

 どこかの歌って踊れる三代目にいそうな、タトゥー入りのいかにもなDQNだ。軽薄そうに動く口元にイラつく。


「なんだ? せっかく寝かけてたのに」

「いやいや、保護者のおっさんかよ。んなことより、おにーさんの連れの女の子たち、おにーさんの何よ?」

「クッソ可愛いじゃん。紹介してよ」


 なるほどそういうことか。

 勝手に声をかければいいのに、なんと律儀な。一応彼氏じゃないことを確認しているのだろう。


「何? お前らロリコン?」

「は? ちげーし。でも可愛けりゃなんでもええかな」

「マジ言える! おにーさんにはもったいないじゃん? 俺らなら楽しませられるし」

「やめとけ。死ぬぞ」


 大袈裟ではない。下手したら死人が出ても不思議ではないのだ。

 しかし俺の言葉を曲解したのか、二人は途端に眉間にしわを寄せて凄み始める。


「あ? おっさん喧嘩売ってる?」

「マジでウケるしーー


 馬鹿にしたような笑みを見せる男の頭を掴むと、俺は無言で頭突きをお見舞いした。

 げひっと声をあげて後ろに倒れる。


「こっちは疲れてイラついてんだ。次にしょうもないことで声をかけたら首まで砂に埋めるぞ」


 片割れの男は分かりやすい捨て台詞を吐きながら、仲間を引きずって行った。


 一色兄さんに見られたら「昔に戻っているぞ」と言われそうだ。

 しかしこの程度で済めば、彼らにとっても幸運でしかない。

 もし不用意に異世界人に関わったら、目の当てられない惨劇が繰り広げられるだろう。


 なんとなくサキとアルルーシュカを見ると、水中に潜ってはヒトデやら何やらを掴んで来て笑いあっている。


 トンさんは相変わらず物言わぬオブジェとなっているし、マオはクーラーボックスで寝息を立てているだろう。


「まぁ、大丈夫……かな?」


 当たり前の日常の風景。

 のどかで、ゆるくって、退屈だけれど大切な時間に酔いながら、俺はまどろみの中へ堕ちていった。







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