15 魔法少女になりたい
寝起きのアルルーシュカはいつも眠そうだ。
マオと違ってだいたい決まった時間に一人で起床するのだが、ぺたりと布団の上に座ったまま10分はぼうっとしている。
夢と現の間を彷徨っているのか、はたまたこちらとあちらの世界を行き来しているのか。
宝石のように輝く翠色の瞳が、いったい何を映しているのかは知れない。
目を離した隙に、幻想の彼方へ消えてしまうのではないか。
そんな気すらして、俺は目を離すことができなかったりもする。
半分閉じた目で何かを探すように首を振る。
俺の姿が隣にいないことに気づくと、とたんにビクッと体を震わせて口が三角形になる。三角形。△
だいたいは隣のキッチンで見守る俺の隣にトコトコとやってきて、服をつかむことで朝のルーティンは終わるのだ。
アルルーシュカの過去を考えると、甘えん坊の一言で片付けてしまって良いのかは悩みどころだ。
あまり手のかからないアルルーシュカだが、仔犬のようにべったりだったり、感情を抑えきれずにわがままを言うことも稀ではない。
欲しいものは欲しいと駄々をこねるし、嫌いな物は食べようとしない。人参はだいたい俺の隙を突いて窓の外へ吹き飛んでいる。
本人は気づかれていないと思っているのだろが、精霊に頼んでいるのはバレバレだ。
すべての子供がそうなのかは俺は知らないが、それでも彼女の傷を想うと居た堪れず、わがままを聞いてしまうのはあまり良くないこととは分かっている。
だがしかし……
「あれ。ほしいの」
ショッピングモールの一角でアルルーシュカは足を止めた。
外資系おもちゃ屋トイざらしの女児用玩具コーナーだ。
「まほうしょうじょキラプリの」
アルルーシュカが物欲しそうな目で眺めているのは、人気アニメ『魔法少女キラ☆プリ』の衣装だった。
ピンクと白を基調としたフリッフリのコスプレ衣装を見て、キラキラと目を輝かせている。
週末の午前に放映しているそのアニメを、アルルーシュカと、実はサキも食い入るように見ているのだ。
内容は幼稚なもので、魔法を使える美少女プリンセスが悪を退治するという勧善懲悪モノである。
ただしその退治の方法が、問答無用でぶち殺すというのが売りなのだとか。
だいたい悪役が過去をベラベラと話し始めて、悪に染まった悲しい過去を吐露するのだが、それをおきまりのセリフで一蹴して倒す。
悪即斬というわけだ。見てないから知らんけど。
つまりキラッキラのプリンセスではなく、キラープリンセスの略。
いかにもなファンシー絵と血なまぐさい描写に、『どや!』という製作者の思惑が透けて萎える。
「えぇ……。アルルーシュカは今のワンピースの方が似合ってるよ」
俺は値段を確認して逃げを選択した。
なかなかにお高いのだ。
「やだぁ。アルルもまほうしょうじょになりたいの!」
「アルルも?」
コクリと勢いよくうなずく。
公園で仲良くなった友達のことらしい。
その中の一人に、キラプリの衣装を着てくる女の子がいる。
そうなると当然のようにごっこ遊びが始まるのだが、いつもプリンセス役は衣装持ちの子で、アルルーシュカは悪役にさらわれる女の子役を拝命している。
自分もプリンセス役をやりたい。そうアルルーシュカは拙い言葉で主張したのだ。
そうは言ってもだ。
だいたい想像がつく。
仮にアルルーシュカが衣装を着て公園に行ったとする。つまりキラプリが二人だ。
そうなると男の子たちは間違いなくアルルーシュカをプリンセス役にするだろう。
これは男のサガだ。間違いない。プリンセス役の女の子も可愛らしい見た目だが、アルルーシュカとは比べるべくもない。
人間と妖精なのだから仕方ないのだ。
となるとその女の子の心情は穏やかではなくなるだろう。
もしかしたらアルルーシュカを妬み、嫉み、排除する可能性だって否定できない。
そういう女性の社会性は前の職場で嫌というほど見てきた。これも女性のサガなのだ。
そしてもうひとつ。
きっと調子に乗ったアルルーシュカは、本当の魔法少女になるだろう。使えるのだから仕方ない。
怪我人が出るのは火を見るよりも明らかだ。そしてその怪我人が誰なのかも想像に難くない。
「アルルーシュカは魔法が使えるでしょ?」
「うん。つかえる」
俺は片膝をついてアルルーシュカと視線を合わせる。
「お友達は使えないんだよ。こんな服を着なくても、アルルーシュカはもう魔法少女なんだ」
もう魔法少女なんだ。その言葉にアルルーシュカは目を見開いてぽうっとした表情を浮かべた。
もう魔法少女なんだ
魔法少女なんだ
少女なんだ
なんだ
んだ
と反芻しているのがわかりやすく見て取れる。チャンスだ。
「だから、そろそろ帰るか」
「やっ!」
背を向ける俺の裾をがしりと掴む。
ダメか……。
こういう時は逃げの一手。
「……帰ったらサキに相談しよう」
そう言って俺は駄々をこねるアルルーシュカを抱きかかえ、駐輪場へと猛ダッシュした。腕の中で暴れるアルルーシュカは、捕まえたウナギのようだった。
◇
夕食時にサキは部屋へ入るなり体を硬くした。
「どうしたの? あれ」
あれ、と言うのはアルルーシュカのことだろう。
ダイニングの片隅で甲冑を身にまとって膝を抱えている。ほとんど置物だ。
「拗ねてんだよ。魔法少女のコスプレ衣装が欲しいんだとよ」
トイざらしから帰ってくるなりずっとそんな調子だ。
子供が拗ねて部屋に閉じこもる。そんな感じだろう。
「ふぅぅん。あっ、アルルーシュカが大好きな苺タルト買ってきたよ」
サキが有名パティスリーの箱をちゃぶ台に置くと、アルルーシュカはぐびっと身を乗り出しかける。しかしそれも一瞬で、逆再生のようにまたも膝を抱えた。
「い、いらないもん」
絞り出すよな声だ。
「無理してるわね」
「ああ。無理してるな」
チラチラとこちらの様子を伺っているのが丸わかりで面白い。
「そっか。アルルーシュカがいらないんなら、俺が二つ食べるか」
「……!?」
アルルーシュカは膝を抱えたままビクッと宙へ跳ねる。
驚愕を全身で表わしているのだろうが、逆にこちらが驚く番だった。
少々蒸し暑い室内に、冷凍庫のような空気が漂いはじめたのだ。
「……やだ嘘でしょ?」
サキは虚空に視線を漂わせた。
つられて見てみると、目を凝らさないと知覚できないほど透き通った氷の狼が、部屋の上空を盛大に走り回ってる。
「氷の上位精霊フェンリルよ。どんなスペックしてんのよあの子」
それがどれほどのものかは知らない。サキが口を開けて呆れているところを見ると、なかなか大したものなのだろう。
サキの感嘆を尻目に、部屋が良い感じに冷えた頃合で氷の狼は苺タルトに喰らい付いた。
ビキビキと音を立ててタルトが氷漬けになる。
「いまはいらないの。……あとでたべるもん」
アルルーシュカなりの精一杯の反抗なのだろう。
「でもな、五つ全て凍らせるのはやめろ」
全部食べたいらしい。
俺とサキは柔らかい苦笑いを堪えながら肩をすくめた。
「でもさ別に買ってあげても良いんじゃない? キラプリ可愛いし!」
「駄目だ。そんな事したらここぞとばかりに魔法使うだろ? ガチの魔法少女爆誕だ」
乗り気のサキに釘をさす。
この世界とあちら側では違うのだ。
むやみやたらに魔法を使っていては悪目立ちもはなはだしい。そうなると業弾あたりが黙ってはいないだろう。
「ガチの魔法少女……。いいわねっ」
サキは顎に手を当ててニマリと笑った。
「……その『閃いた!』って顔はなんですかバカヤロー。ダメだからな。いいか、もう一度言うがダメだからな!」
「はいはい。ダッチョウ倶楽部ですね。わかります」
「何その尻がいたそうな名前!? フラグじゃねぇからな。絶対だぞコノヤロー!」
しかし俺の言葉はフラグとして回収される。
ある日買い出しを終えて異世界荘の扉を開くと、土間にアルルーシュカとトンさんが対峙していた。
いままさに寸劇が繰り広げられる瞬間だったようだ。
「悪はこのキラプリがゆるさないの!」
決めポーズで声を上げているのは、フリフリの衣装に身を包んだアルルーシュカだ。
側では愛でるように暖かく見守るサキの姿もある。恐らくはサキが買い与えてしまったのだろう。
いや、まぁ可愛いのは可愛いんだけどさ。
「小生を許さないとな!? 片腹痛し。キョーッキョッキョッ……ゲフォ」
トンさんは慣れない奇声にむせて咳き込む。
黒い布を肩にかけて、悪役の衣装である漆黒のローブのつもりらしい。
顔面が骸骨なのでなかなかハマり役だ。
というかさ、それ俺の部屋のカーテンやんけ。
「あの……お前ら……」
「黙ってて成瀬は! 女の子の憧れ、魔法少女がこの世界に降臨したのよ!」
呆れて硬直してしまった顎を無理やり動かす俺に、サキが一喝する。
その側で、キメ顔をしたアルルーシュカが鉄バットを振り上げる。
「あくそくざん! すべての悪は私がSATSUGAIするの!」
「いや、ちょっと待てよ! ヒロインが殺害って言っちゃダメだろ!?」
「うるさい成瀬! キラプリは悪を虐殺する撲殺ヒロインなのよ!」
「斬って言ってるのに撲殺なの!?」
俺のツッコミをよそに、アルルーシュカは不敵に笑うと精霊の力でひとっ飛び。
「しねえー!」
トンさんとの間合いを詰めて、その頭蓋の頭頂に凶器を振り下ろす。
「待て待てッ! 魔法少女なのに魔法を使わないの!? それ普通に殴り殺しだよね!? しかも死ねぇぇとか言ってるし!」
ゴキィンと響く破壊音。
トンさんはモロに攻撃の直撃を受けると、「フヌッ!」と声を漏らしてあえなく土間に倒れた。
めでたしめでたし。悪はついえた。
「ってなるかーーアホーー! 見ろ。トンさんの頭蓋骨が割れて脳髄飛び出てるやんけ!」
字面を見ると凄惨な殺害現場だが、実際は頭蓋骨が半分に割れてアボカドの種が転がり落ちただけだ。
「大丈夫か!? トンさん。死ぬな……あ、もう死んでんだっけ?」
「ナ、ナルセ殿……頭が痛いでござる……」
「そりゃそうだろうね。ガッツリ割れてるもん。あー、これどうすっかな」
カケラを拾い集めていると、サキとアルルーシュカが申し訳なさそうに手伝い始める。
「成瀬ごめん。調子に乗りすぎた。トンさん本当ごめんなさい」
「ごめんなさい」
愁傷な表情で二人は頭を下げた。
「あのなぁ、トンさんだから良かったものの」
「ナヌッ!?」
トンさんが咎めるように声を上げるが無視。
「トンさんだから良かったものの、これが人だったらガチでSATSUGAIしてるぞ」
「ごめん。治るかな?」
「まぁ直すさ。接着剤とかないから、とりあえず米持ってこい。冷蔵庫に冷や飯あったはずだから」
「サキ殿、大丈夫でござるよ。なぜかサキ殿とナルセ殿の『なおす』という言葉の違いには、どうにも怒りを禁じ得ないのではござるが……」
まあトンさんが言いたいこともわかるが、実際死んでいるトンさんの頭蓋骨を接着するのだから、あながち間違ってはいないはず。
米で作った糊でくっつくかは微妙なところではあるが。
しかし今はそんなことは問題ではないのだ。
「ごめん。私たちの世界では、悪って決めつけられると容赦のない世界だったから」
なるほどそう言うことかと納得する。
だからトンさんも大して怒っていないのだろう。俺以外には。
「ここは悪人でも殺しちゃあダメなんだ。いきなり殴りつけるとかもってのほかだ。正義とか悪とか、主観の問題だからな」
「……それ、成瀬が言う?」
「フヌッ!」
思わずトンさんみたいな声が漏れた。
それでこの場はなんとなく笑い話になったのだが、この時の俺はまだ知らない。
この件が、後々二つの事件を招くことを。
とか言ってみる!