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14 ルーズコントロール

「でぇ? 朝っぱらから何の用ですかぁ?」

「成瀬くん。君は僕のことを何だと思ってるのかなぁ?」


 異世界荘のオーナー業弾のツルンとしたこめかみに血管が浮くが、むしろキレたいのは俺の方である。


 サキたちを送り出し、マオの喉に野菜を詰め込み終わって、さぁ朝寝の時間という時なのだ。

 やっと訪れた至福の時間を、見たくもない上司の顔で塗りつぶされるのは真っ平御免なのである。


「あれれぇ? おかしいよー。仏の顔は三度までじゃないんですかねぇ? やっぱ老害上司って糞だわぁ」

「そんな某コナンくんみたいに言ってもねぇ。それに、僕は元来適当なんだ。昔の設定とかとっくに忘れてしまったね」


 そりゃそうだろうよ。ドレッドヘアに短パンのお釈迦様ゴータマ・シッダールタなんて聞いたこともない。


「はいはい。朝の挨拶終わり。で、何の用ですかぁコノヤロー。仕事ならそれなりにやってるぞ」

「なーに、別に君の仕事にクレーム付けようってんじゃないよ。むしろ上手くやってると、僕は思ってるくらいさぁ」


『僕は』とことさら強調するのが気になるところだが、下手につつけば藪から蛇が現れそうだ。

 いや、蛇ならまだ可愛げがあるというものだ。

 どこの神様だかが出てきても不思議ではない。


 むっつりと黙っていると、業弾はポイっとビルケンのサンダルを脱ぎ散らかし、当たり前の顔をして管理人室の扉を開く。


「うん。エルフちゃんも元気そうだ」

「朝寝の最中なんだ。起こすなよ。寝ぼけて雷の精霊(ヴォルト)でも呼び出されちゃかなわんからな」

「いやいや、丁度いい。むしろ絶好の機会だよ。僕はね、成瀬くんの仕事のお手伝いに参上したという訳さ」


 俺の仕事は管理人としてこの異世界荘を維持管理することだ。

 しかしそれは表面的な事柄に過ぎず、全てを表してはいない。


【この世界に紛れ込んだ異邦人を監視・管理し、可能な限り元の世界へ帰還させる】


 それが当初から俺に課せられた仕事だ。

 しかしそれもあまり意味のないことなのだと、今の俺は気づいてしまっている。


 どうせ突っ込んだところではぐらかされるのだから、あまり意味深に匂わせないでもらいたい。


「また帰還の話か? そんなのは気が向いたらだ」

「まあまぁ、そう目くじら立てなさんな。僕は苦行とかマジファック派だからね。異世界人にとっては苦行と言えるこの世界での生活は、どうかと思うけれどねぇ。まぁそれはね、今はいいんだよ」


 違和感てんこ盛りだ。サキやマオ、アルルーシュカにとって、ここでの生活が苦行だとは俺には思えない。


「あいつらが窮屈な思いをしてるとでも言うのか? 説教ならな、端的に言いやがれ。あまり回りくどいと、核心まで辿り着けねぇよ」

「あぁ。まぁ確かにね。これは僕の悪い癖だ。悪いが慣れてくれよ」


 酔っているように千鳥足でダイニングまで行くと、無作法に畳の上に転がり頬杖をつく。


「例えばサキュバスの娘の話をしようよ。彼女はサキュバスだ。そこに異論はないね?」

「まぁ。そこは」


 むしろ異論だらけなのである。


 調べて知ったことがある。

 サキュバスとは淫夢と呼ばれる悪魔なのだとか。

 異性の生気を吸い取って衰弱死させる、ファンタジー定番のお色気要員。


 その姿はセクシャルダイナマイツであるべきだ。むしろそうあってほしい。

 そして濡れた瞳と唇で俺を優しく愛撫する。


 しかしサキという小娘。まさに小娘。田舎のおぼこい生娘にしか見えない。


 ちょーっとセクハラしようものなら、顔面から火を噴き出しそうにしながら、拳が火を噴く。

 俺は鼻血を噴く。妄想のためではない、打撃のためだ。


 ある意味生気を吸われていると言えなくもないが、男の求めるアレとはまるで違う。俺にMの気はないのだ。


「その姿が偽りの仮面だとすれば、僕の話も分かると思うんだけどねぇ」

「猿でも分かるように言えとあれほど……」

「あぁあぁ。分かったよ。つまりだね、サキュバスの本能を理性で押さえつけているとしたら、それはある意味苦行たり得ないかな、と僕は思うわけさ」


 したり顔でよく言う。クソッタレめ。そう仕向けているのはお前だろうがと言いたいが、グッと堪える。


「何のためにだよ」

「この世界で生きるためにさ」


 郷に入っては郷に従え。つまりそういう事だ。

 強制送還をチラつかされたなら、やむを得ないのだろう。しかしサキの場合は、むしろサキ個人の性格によるもののような気がする。


「さて僕は何をしにきたと言ったかな?」

「俺の仕事の手伝いだろ? ボケるなら俺の知らない場所でボケてくれ。お前の介護なぞせんからな」

「なぁに、今にその減らず口も、『ありがとう業弾様! 一生ついて行きます』って変わると僕は確信するね」


 そう言って短パンのポケットを弄ると、何かを掴んだ拳を俺の眼前に差し出す。


「その(小声)娘の(超小声)本能を(囁き)満たしておやり(ウィスパーボイス)」


 ニタリと笑う業弾は、そっと手のひらを広げる。


 そこには


 ラッピングされた小箱が握り締められていた。


 こ、これは、もしや!?


「ラバーヘルメッツだぁ(モスキートボイス)。防御力が上がるゴムのヘルム。オトコの嗜みだ。装ぉ備ぃ、して逝け(空気の振動)」

「こ、こ、こ、コンドーむ!?」

「ラバーはゴムのラバーと、愛のラヴァーとのダブルミーニングだぁ!!」

「いや、それは知らん」


 し、しかしだ!

 ふと我にかえる。


「相手は妹みたいな存在だぞ。いくら何でも、そんな不埒なマネ……」

「みたい、だよねぇ。みたいみたい。みたいであって、妹じゃぁないさ。よしんば妹だとして、何か問題でも? 妹でそれも人間とサキュバスという異種間。禁断の恋。禁じられた遊び。これで心躍らないとなどと、どの口が言えよう(いや、言えない)」

「うぐっ! だ、ダメだ。サキはやっと心を開いてくれるようになったばかり。そんな事で信頼を裏切れない」


 彼女の笑顔を思い出し、良心がザックリとえぐられる。

 危うく致命傷だ。理性が。


「なぁに、それを、彼女も、本能では、望んでいるのさ! これも異世界荘管理人の大事な仕事。お逝きなさい」


 テンションが上がったのか、立ち上がって両手を広げる。まさにお釈迦様の慈愛を、俺は都合よく感じることにした。


「ちょっと成瀬いるー?」


 噂をすれば何とやら。運命の女神のレスポンスは、JKのLINE返信よりも早かった。

 ノックとともに顔を出したのはくだんのサキだった。


「ちょっ、おま。ノックくらい」

「したわよ。すると同時に開けただけじゃない。あ、業弾さんこんにちは」


 背筋を伸ばして両手を広げる業弾の姿に、怪訝そうな視線を送りながらもキチンと挨拶をする。

 いかな理由があろうとも、挨拶のできねぇ奴は屑だと教え込んだ甲斐があった。


「ちょっと成瀬」


 入り口で手招きをする。


「な、なんだよ?」


 近寄るとサキは俺の耳に口元を寄せる。

 吐息が熱く、くすぐったい。


「あの、そのぉ。ちょっとね、少し話があるの。ここじゃ恥ずかしいから、今晩、あのぉ……夢で会えるかな?」


 驚きとともにサキを見る。

 驚きとともにサキを見る。


 二度見だ!


 もじもじと恥ずかしそうに両手を擦る姿は、まさに田舎の小娘。

 嗚呼、ビバ小娘。


 紅潮する顔で、伏し目がちにチラチラと俺を見る。

 あれ?

 こいつ、こんなに可愛かったっけ?

 いやいや、待てい。可愛いとは言えどまだお子様に毛が生えた程度。俺の好みはセクシャルダイナマイツなわがままボディなのだ。


 それに比べてサキはといえば、制服の上からでは何とか『あー、そこに胸あるよねー(棒)』程度の発展途上なのである。サキュバスとしては由々しきことなのである。

 なので……ある。

 が、まぁ手のひらサイズも嫌いではない。


「あ、あぁ。いい……ぞ」

「本当! ありがとう!」


 パッと輝くように歯を見せて笑うと、嬉しそうに階段を駆け上がっていった。


「ご、業弾……」


 業弾を振り返る。親指を立てた彼は、すっごくいい顔をしていた。


「そいつぁ、夢にも持ち込める逸品だぁ。もって、逝け」

「ありがとう業弾様! 一生ついていきますッ!」


 俺の手のひらは、高速でひるがえるのだ。


 ◇


  そして夜の帳が下りる頃。


 俺は悶々としていた。


 悶々としながら歯を磨いていた。

 エチケット的なアレだが、気が付けば歯茎から大量に出血している。イソジンでうがいしたくらいに赤い。


 もうね、それどころではないのである。


 俺は天使と悪魔との狭間で壮絶なバトルを繰り広げていた。

 血で血を洗うような死闘と言っても過言ではない。


 悪魔『我慢は良くねぇ。相手が望んでんだろ? それならイキあげたらぁええやないかぁ?」


 一理ある。


 天使『待って! 相手は妹分よ。そんな穢らわしい事ダメ。絶対ダメ。でも! どーしてもって言うなら、ちゃんとヘルメットかぶるのよ」


 一理ある。


「いやっ、つーか、お前ら全肯定なのかよ! 誰か止めろよ!」


 そう言いながらも、俺はコンドーさんを握りしめて夢の中へレッツダイブしたのだった。




 気がつくと俺は草原にいた。

 地平線を見渡せる小高い丘の上で寝転がり、透き通るような青い空を見上げている。時折吹く風が、優しく頬を撫でて花の香りを届けてくれる。


 心が洗われるような、どこか懐かしい原風景。


「マジかぁ。いきなり青姦とかレベル高すぎぃ」


 俺は景色なんぞに心洗われるほどヤワな男ではなかった。


「ま、待った?」


 声のする方を見るまでもなくサキだ。

 恥ずかしそうに微笑むと、彼女は俺の隣に腰を下ろした。


 俺も座り直すと、ほとんど肩が触れそうなほど近い。

 風に踊るサキの濃紺の髪の音まで聞こえてきそうだ。


「あっと、今日はね、日頃言えない事をね、言いたいなって」

「言いたい事?」


 俺の声は思いがけず上ずっていた。上ずって滑っている。それはもう表層雪崩もかくやと言わんばかりだ。


 どうやら自分で思っている以上に緊張しているらしい。

 心臓が忙しく働いて、勢い余って口から飛び出しそうだ。


 動揺を鎮めようと、俺はポケットの中でコンドーさんを握りしめる。


「うん。ええっとね。成瀬、いつもありがとうね」

「へ?」

「私もマオーもね、この世界に来たとき、訳も分からなくって居場所がなかったの。異世界荘でもそう。皆んなバラバラで思い思いに生活してて、他の人と交流とか考えてもいなかった」


 アレー? なんか違う。

 期待感マックスのリビドーと、サキの何だかちょっといい話系との落差で、俺は前後不覚に陥っていた。


「でもね、それで良いと思っていたの。正直言って人間とかどうでも良かったし、元いた世界の役割から逃げ出せればそれで満足だった。きっと多分マオーも同じだったと思う」

「えーと……はい」


 男を催淫して人間の戦力を削ぐ。そんな役割を、どうしても受け入れられなかった。

「サキュバス失格だよね」とサキは自嘲した。


「だから欠陥品の私たちは居場所がなかったの。だからなんとかここに、異世界荘に残るしかないって。そんなだからね、初めはね、『家族ごっこだ』なんて言う成瀬を、何だこいつって思ったの。欠陥品だとしても私はどうしようもなくサキュバスだし、成瀬は人間だもの」

「サキュバスとか、俺は知らなかったしな」


 しかし知ったところで、サキはサキだ。

 恥ずかしそうに照れながら隣に座る彼女は、年頃の可愛らしい女の子でしかない。

 夢の中でしか感謝の言葉を伝えられない、多感なお年頃の少女なのだ。


「サキュバスを知らなかったとかウケる。でも、だからこそ居場所ができたのかもしれないね」

「偽物の家族でもか?」

「今は偽物でも……ね」


 サキは俺の服の裾をつまむと、はにかんだ笑顔を向けた。


「トンさんとも仲良くなれたし、それにアルルーシュカって可愛い妹もできた。元いた世界ではただの下っ端魔族だった私に、偽物だとしても家族ができたの。それは、きっと、ううん。全部成瀬のおかげ。本当にありがとう。こんな事現実では恥ずかしくって言えないからね」


 そう言うと照れたように微笑んで、サキは右手を差し出した。


「夢なら大丈夫だから。握手。これからもよろしくね」

「あ、ああ」


 慌ててポケットから手を出してサキの手を握る。

 俺はなんて事を考えていたのだろうか。

 こんなにもサキは色々と考えて、感謝の気持ちを素直に伝えてくれたのに。

 自己嫌悪で目の前が暗転するようだった。


 その視界の片隅で小箱が落ちて音を立てた。


 しまった!


「あれ? 何か落ちたわよ」

「あっ! ちょっ待ってそれは……」

「プレゼント? え? 私に!?」


 眩しく、そして弾けたように笑うサキを俺には止められなかった。

 キラキラと煌めく瞳で、汚れた俺を見ないでほしい。


「え、何これ? 指サック?」


 目を瞑って最悪の事態に備える俺に、意外な反応が返って来た。

 恐る恐る目を開くと、確かにサキが手にしているのは、お札や書類をめくるためのゴム製指サック。せいぜい親指くらいしか入らないようなサイズのものだ。


「ご、業弾ぁぁ……」


 全て読めた。

 これは奴のタチの悪い悪戯だったのだ。


「ちっくしょーーッ! 業弾ぁぁ、出てこい! そして土下座しろ。俺の純情を弄びやがって!」


 立ち上がって叫ぶ。

 奴のことだ、どこかで見ているに違いない。


「てっめぇぇぇ。なーにが『ラバーヘルムだよ』だ。コンドームじゃねぇじゃねーーかッ! 俺の息子はこんなもんに収まるような代物じゃねぇぞぉぉぉぉッ!」


 ブチギレだ。

 俺はいわゆるキレやすい世代なのだ。


「成瀬……」

「見てるんだろうが? ほくそ笑んでるんだろうが。隠れてないで姿を見せろやクソボケがーーッ!」

「成瀬。コンドー……むって、どう言うことか説明してくれるわよね?」


 大地が震えている。

 背後でサキの目が殺意で光っているのが、手に取るように分かる。

 目を合わせちゃダメだ。

 殺される。


「あんたぁ、私に何をするつもりだったのかなぁ。キチッと納得いくまで聞かせてもらうわよ」


 指を鳴らす音が、死神の近く足音に聞こえる。


「あ、あのぉ。サキさん? ほら、僕はひ弱な人間ですから。殴られたら死にますから」

「ヘーキヘーキ。これは夢だから。痛みはあるけど、死にはしないわよ、安心なさい」


 心洗われる原風景は、程なくして凄惨な地獄絵図となったのだった。




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