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13 毒虫カフカ2

「林檎ッ、買って来たわよッ!」


 管理人室の扉が勢いよく開くと、サキは大量の戦利品を掲げて見せた。


「買ってきたの」


 隣ではアルルーシュカがしゃむしゃむと頬張っている。

 そんなのほほんとした雰囲気とは裏腹に、俺は深い溜息をついた。


「えっ。どうしたの?」

「マオに追い出された」


 サキとアルルーシュカがスーパー盛りに走っている間、俺は聖剣で毒虫カフカを撃退しようとしたのだが。


「地団駄踏みながらマオが断末魔弾を詠唱し始めたから、しかたなく退散した」

「えぇ……。じゃああの毒虫は……」

「自分で育てるんだとさ」


 同じ屋根の下で、あのおぞましい毒虫が這いずり回る。

 想像しただけでキンタマの裏あたりがキューッとする。男にしか分からない感じだろう。


「とりあえずは仕方ない。アルルーシュカ、悪いけどその林檎をあちこちに置いといてくれ。毒虫が部屋から出てきたら投げつけてやるさ」

「はーい。おいてくる」


 アルルーシュカがワンピースの裾をはためかせて駆けていくのを見届けると、俺はサキに座るように促す。

 少し聞きたいことがあったのだ。


「なぁ、マオはなんであぁいう生き物が平気なんだ? いくら子供が虫を平気に触れるっていっても、さすがにアレはねぇだろ?」


 俺だって子供時分は平気だった。トカゲやセミを捕まえては、得意げに施設の先生に見せていたものだ。

 大人たちが決まって苦笑いしていたのを思い出す。

 今の俺たちと同じ思いだったのだろう。


「それねぇ。一応アレでも二代目魔王だったから、あの手の生き物に抵抗ないのかも。私は無理だけどね」


 そう言うとぶるっと身体を震わせる。


「つまり配下にはキモい連中がいたから平気なのか?」

「うーん……。配下かぁ。配下にもならなかったというか。前にも話したじゃない? マオのこと」


 行方不明になった初代魔王の後を継いだのが、その息子だったマオだという話は聞いた。


 しかし前線に立ったこともなく、頭デッカチでそのくせ経験も浅く幼いマオに誰もついてこなかったのだとか。

 先代が偉大なら尚更である。会社経営ではよく聞く話だ。


 前職の経営者の顔が脳裏をよぎり、思わず苦い笑いがこみ上げそうになる。

 注進する部下を遠ざけ、イエスマンで周りを固める辺りが二代目経営者の彼の限界だったのだろう。俺も随分と煙たがられたものだった。


「そんなわけで、マオの周りには信頼できる部下っていなかったのよ。見た目がキモいっていうより、中身がキモかったわね。マオを利用しようとしてる幹部ばっかりで。マオも馬鹿じゃないからそれに気付いてて、見ていてキツかったわ」


 そうして組織が瓦解し、敵に滅ぼされる。

 こちらの歴史とそう大差ない。

 外敵の侵攻のみで滅んだ国は、歴史上存在しないと言われているのを思い出す。

 いつの時代でも、どんな世界においても、内部崩壊と外敵とのセットが亡国の構成要件なのだ。


 討ち倒され、滅びようとしていたマオの側には、誰一人いなかったという。


 業火に焼かれる宮殿の中で、消滅しかけていたマオを救ったのが予備兵だったサキなのだとか。


 かろうじて捕縛を逃れたサキが駆けつけた時、偶然か必然か転移が始まり、そうして気付いたら業弾が目の前にいた。


「もう昔の話だけどね」と笑いがらサキは言った。

 サキはこの世界に溶け込もうと懸命だ。普通の高校に通っているのも、バイトを始めたのもその一環なのだろう。


「マオはまだ元の世界のことを引きずっているんだろうな」

「う……ん。そうかも」


 誰も信用できなかった世界。

 しきりに部下を欲する言動は、つまりはそういうことなのかもしれない。


「とは言ってもなぁ」

「だよね」


「毒虫だもんな」「毒虫だものね」と、異口同音で俺たちは溜息をついた。



 ◇



 その後は食堂に降りてこなかったマオだが、腹が減ったら戦はなんとやら。ムッツリと膨れた面で昼には顔を出した。


「なぁマオ……」

「嫌です」

「ねぇマオ……」

「拒否します」


 なんとか会話の取っ掛かりを探すが、完全拒否の姿勢だ。

 サキが話しかけても終始無言を貫き、勢いよく肉類だけ口に詰め込むと、野菜をむんずと掴んで部屋に戻って行く。毒虫カフカの餌なのだろう。



「ナルセ。笹をとりに、いく?」


 なんとも言えず顔を見合す俺とサキに、アルルーシュカが話しかけた。


「ああ、そうだったな」

「笹って?」

「今日は七夕だからな。願いを書いた短冊を笹に飾る風習があるんだ」


 その辺の事情に疎いサキに簡単に説明する。

 古臭い慣習だ。別にしなくても良いことなのだが、異世界に生きてきた住人に、少しでもこの世界を知ってもらうには良い機会なのだ。

 それに、カビの生えた風習は、美観地区という懐古的な地区によく似合う。


「マオのことはちょっと考えてみるさ」


 ささっと食事の後片付けを終えると、俺とアルルーシュカはスレイプニルにまたがった。



 梅雨の中休みで天気はいいが湿度は高い。

 手早く終えて帰ろうと思ったが、竹林は意外と心地よい風が通って気持ちがいい。

 何より自然に触れられてアルルーシュカの機嫌が良かった。


「ナルセ、マオ兄様とケンカしてる?」


 ひとしきり遊んで満足したのか、アルルーシュカが俺の手を引いた。心配そうに下から俺の顔を覗き込む。


「いや、してないよ。というか、兄様!?」


 アルルーシュカは基本的に無口だ。

 舌足らずな喋り方なので、まだこちらの言葉がすんなりと出てこないのかもしれない。

 だからアルルーシュカが話しかけるのはほとんどが俺で、他の異世界荘の住人と喋っている姿を見ることは無い。


 そのアルルーシュカの口から、兄様というか言葉が出てきたのだ。

 少なからず驚き、そしてなんとも言えず嬉しい気持ちが込み上げる。


「うん。兄様」

「サキは?」

「サキ姉様!」


 嬉しそうに言う。


「俺は?」

「ナルセ!!」

「え?」


 なぜ兄様でも父様でもないのか腑に落ちない。


「えぇと、じゃあトンさんは?」

「トンおじ様?」


 首を傾げながら確認するように呟く。

 クッ。なぜ骸骨に肩書きが付いて俺には無いのか。


「もう一度聞くぞ? 俺は……」

「ナルセッ!」


 食い気味だ。

 これは少々ヘコむ。俺はアルルーシュカに家族だと言ったが、まだまだ兄様にも、ましてや父様にも相応しくないのだろうか。


 しかしアルルーシュカが俺の周りを楽しそうに走りながら「ナルセ」を連呼する姿を見ると、「……まぁ良いけどぉ」と思うしかなかった。




 ◇



 事件は異世界荘に戻った時に起きた。


「ただいまぁ」


 引き戸を開けて土間に入る。

 二階からサキの返事が返ってきたような気がするが、俺の耳を違う物音が支配した。


 ぞわりと嫌な感覚が肌を舐め回し、俺は玄関を見渡す。


 異世界荘の軒は深く直射日光は当たらない。その上、土間の土は黒砂で踏み固められているため、日中でも薄暗く照明が必要だ。

 目が慣れないうちはほとんど何も見えないと言っていい。


 しばらく立ち尽くし目が慣れてると、下駄箱の上に林檎が乗っているのが見えた。

 こんな所にまで置いたのかと笑いそうになった瞬間だった。


 天井の隅にぞわぞわと動く気配を感じる。

 それを視界に入れた瞬間、一挙に体温を奪われた気がした。


 背中に冷たい汗が伝う。


 毒虫カフカが壁に張り付いていたのだ。


「こ、この野郎!」


 目の前に置かれた林檎を掴むと、俺は力の限りで投げつけた。

 しかし毒虫からは少し離れた土壁でグシャリと果肉が弾け、同時に巨体からは想像できない速度でカフカは逃げ出した。

 まさにゴキブリ並みの反射速度だった。


「待てコラァッ!」


 二階に向かって這うカフカに、あちこちに置いてあった林檎を投げつける。

 しかし全てをスルリと避ける様が、馬鹿にされているようで腹が立つ。


 俺の怒号に驚いたのか、二階に上がるとサキとマオが慌てて部屋から出てきていた。

 毒虫カフカは安全場所が分かっているのか、マオの腕の中に逃げ込む。それを抱きしめてマオが俺を睨んだ。


「もう生理的に我慢できねぇ。マオ、その毒虫を殺すか、それとも地獄に戻すか選べ!」

「できませんよ! どっちもまっぴら御免なのです!」


 俺は林檎を握りしめ、マオはカフカを抱きしめて対峙する。


「カフカは余が育てるのですよ! 誰にも迷惑かけるつもりはないのです」

「あぁ!? 部屋からチョロチョロ出てきてるだけで迷惑だろうが。できもしねぇ事を言うんじゃねぇよ」

「ちょ、ちょっと成瀬……」

「サキは黙ってろ」


 あたふたとするサキを制しマオに近づく。

 いきなり攻撃魔法でも使われるかと身構えるが、さすがにそれはなかった。

 ただ、見下ろす俺の目を、金色の瞳がまっすぐに、突き刺すように見上げる。


「そもそも気にいらねぇ。その蟲を部下にしようってんだろ? 元の世界のことを引きずってんのか知らんけどな、信頼できる部下なんてのは、求めてできるもんじゃねぇんだよ。マオ、手前ぇが信頼できる上司にならねぇと無理ってもんだ」

「違う! 余はそんなこと……」

「何が違う? 意思を持たねぇ蟲なんかを一方的に部下認定して、お前はそれで満足なのか?」


 何か言い掛けようとしたが、マオは俯いてカフカを抱きしめた。まるで野良猫を拾ってきた子供だ。


「だいいち、お前は自分の事すらまともにできねぇじゃねぇか。朝だって俺かサキにいつも起こされて。自分の事すらできねぇ奴に、生き物を育てられるとは思えん。もう諦めろ。意地を張らずに地獄に戻せよ」

「……ったじゃないですか」

「あぁ?」

「同じ屋根の下で暮らすなら、家族だって言ったのはナルセじゃないですかッ! カフカだって家族じゃないのですか!? アレは嘘なのですかッ!?」


 マオの声は涙で震えていた。マオの大きな声は初めて聞く。しかし大きいけれど、むしろ裏返って弱々しかった。


「部下の次は家族か。屁理屈こねやがって」

「嘘なのですかッ!?」


 火花を散らし対峙する俺たちの間に、不穏な沈黙が横たわった。

 その沈黙を蹴飛ばしたのは、俺ではなく、マオでもなく、サキですらなかった。


「ふ、ふ、ふぇぇぇん。ナルセぇ、マオ兄様ぁぁ。ケンカは、や、や、やめてぇぇぇ……」


 アルルーシュカの泣き声だった。

 いつの間に二階に上がってきたのか、大きな笹を両手で握ったまま、アルルーシュカは大粒の涙を流していた。

 サキが慌てて駆け寄って肩を抱く。


「大丈夫。大丈夫よ、アルルーシュカ」

「だってぇ……。だってぇ……」


 しまったと思った。

 いつになく大きな声を張り上げてしまっていた。


「ちっ」


 舌打ちは自分に向けられた。罪悪感が半端ない。

 ふと、おし黙ったままのマオを見る。

 マオは呆けたように口を開いて、声をあげて泣き続けるアルルーシュカを見ていた。

 意外なものでも見たような顔だった。


 ただ一言だけ「妹……なのですか」と言い残し、マオは部屋に引きこもった。



 ◇



 晩飯にマオは姿を現さなかったし、俺も部屋には行かなかった。

 どんな顔をして会えばいいのか分からなかったし、間違ったことは言っていないつもりだった。


 黙々と後片付けを終わらせると、俺は縁側で笹を飾った。何かしていないと落ち着かなかったのだ。


 サキはそんな俺を黙って心配そうに見ていたが、俺も何も言わなかった。何を言っても言い訳がましく響きそうだったからだ。


 泣き疲れたのか、サキに膝枕されてアルルーシュカが眠っている。

 大事そうに短冊を握りしめていた。


「よし。笹はオッケーだ。後は短冊を吊るすぞ」


 俺の声を受けて、サキがアルルーシュカの短冊を手渡す。

 大切に握っていたせいだろう。汗で濡れている短冊に書かれているのは異世界の言語だった。

 ミミズがのたくったような文字は、俺には読めない。


「なぁ、これ、なんて書いてんだ?」

「さあ? エルフ語は読めないのよ。でも何となく想像できるわよね」


 アルルーシュカは俺たち三人の名前を寝言で言っていた。

 心配させてしまったようだ。


「そうだな」

「でもこれは読めるわよ」


 そう言って一枚の短冊が渡される。

 もちろん違う世界の文字だが、馬鹿丁寧に書かれているのはわかった。


「何て書いてる?」


 尋ねる俺に、サキは何とも言えない笑顔を見せた。


「『兄と姉はお腹いっぱいなので、妹か弟が欲しいのです』ってさ」

「……マオか?」

「そうよ。成瀬とアルルーシュカが笹をとりに行ってる間に書いたの」

「……そうか」


 夜の風は湿気を含んで重かった。

 俺とサキは無言で、しばらく笹の葉がすれる音を聞き入った。


 どれだけ経った頃だろうか、気付くとトンさんも顔を見せて俺の隣に腰かけた。


 トンさんは何も言わず、グイッとグラスを俺に押し付ける。俺のお気に入りのバカラのグラスだ。

 その透き通る水晶のグラスに、サキが琥珀色の酒を注ぐと、トンさんと俺は無言でグラスを合わせた。


 夜風が強くなり月が雲に覆われ始めた頃、俺は重い腰を上げた。少し飲みすぎたのだろう、足元がおぼつかない。

 情けない話だ。


「ちょっと行ってくる」

「大丈夫?」


 心配そうに見上げるサキに黙って頷いた。


「あ、そうだ。サキ」

「ん? なあに?」


 俺は背中を見せたままサキに話しかけた。

 情けなくって顔なんて見せられない。


「あちこちに置いてる林檎だが、むいておいてくれ。後でみんなで食べよう」

「うん。わかったわ」


 微笑むような優しい声だった。





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