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12 毒虫カフカ1

 あの夜の事件から数日が経過したが、業弾は異世界荘に現れていない。


 聞きたいことは山ほどあったが、詰め寄ったとしても無駄だろう。のらりくらりとうすら笑みを浮かべ、煙に巻くことは想像に難くない。


「傾く。軽いもの。ねぇ」


 これは考えても仕方ない。手持ちの情報ピースが圧倒的に足りてないのだ。それよりも。


 強制送還。


 なるほど。ああ言う処置、いや処理が業弾にできるなら、この世界に溶け込もうとしているサキが、サキュバスとしての能力行使をためらう理由としては納得できる。


 もしかしたならば、サキは強制送還を目の当たりにしたことがあるのかもしれない。


 元の世界に帰還したい者ならば、あえて禁忌を犯すかもしれない。

 しかしこの世界に止まりたいと思うのなら、それは警告だ。残りたいなら自重しろ。

 つまりはそういうことだ。


 そう考えると、異世界荘に住まう住人たちに偏りがある事も頷ける。


 マオが消極的にだがこの世界のルールに従っていることを除けば、他の住人は積極的に世界に止まろうとする者か、もしくは何も考えていなさそうな意思のない生物ばかりだ。


「あえてそういう思考の者が呼ばれてきたのか、はたまたそれ以外は業弾によって強制送還されたのか」


 そうなると俺の仕事、『帰還のお手伝い』とは意味のないものになる。


 そこまで考えて、俺は思考を止めた。

 考えても仕方ないし、だいいち面倒臭い。

 人生において、『生きる意味』など無い。

 人生とは、ただ死ぬまで生きるだけだ。

 何でもかんでも理屈をつけたがるのは人間の悪い一面だと思う。


 目の前には共に暮らす仲間がいる。

 悩んでいたら一助になるよう動く。

 困ったら助けてもらう。

 共に笑って、時には一緒に泣くのもいい。

 喧嘩だってたまにはするだろう。


 それでいいじゃないか。

 ちょっと自分の仕事テリトリーを奪われた気がして、ナーバスになっているだけだ。

 自分の仕事は意味のないものかもしれない、なんて、しょうもないプライドは捨てればいい。


 自重気味に笑うと、俺は冷蔵庫を開いた。そろそろ朝食の支度をする時間だ。


「……あれ? また食材が減っている」


 前日にスーパー盛りで獲得した戦利品がごっそり無くなっていた。こんなことをする輩はあいつしか想像できない。


「あのヤロー」


 俺は部屋の片隅に転がしていた聖剣を握りしめた。



 ◇



 二階に上がるとサキが扉から顔を出し手招きする。

「あ? なんだ? 飯はまだだぞ」と言うと、唇に指を当てる。


「どうした?」


 声のトーンを落とす。

 サキはチラリとマオの部屋を一瞥すると、眉間にしわを寄せた。


「最近ね、マオの部屋から変な音が聞こえるのよ」


 異世界荘の壁は厚くはない。

 隣人のティッシュを取る音すら聞こえる某賃貸住宅よりはマシだが、昔ながらの木造だ。

 現代住宅のように防音なんて気の利いた処理はされていない。


「なんかね、ずりずりって何かが這っているような。もしかしたらマオの奴、地獄から変なものでも召喚したんじゃ……」


 あり得そうで怖い。

 阿鼻叫喚の部屋の中を想像すると、プツプツと肌が粟立つ。

 動物や怪物モンスターならある程度の耐性はできている。

 しかし一番悪い想像をすると、それは蟲だらけの空間だ。


 蟲は駄目だ。あの冷たい目を想像するだけで血の気が引く。


「うぇ。気が重いな」

「私も……」


 サキが両手で二の腕をこすった。

 同じ想像をしているに違いない。


 しばらくサキと一緒にマオの部屋の前で躊躇していると、隣部屋からトンさんが出てきた。


「何事か?」


 ゴトリと音を立てて頭を傾ける。

 事情を説明すると、「蟲なら小生は平気である。喰われるような肉はないでな」とカタカタと笑ったが、愛想笑いしていいものだろうか。

 仕方なく「もう蛆虫に喰われた後だもんな!」と言うと、「フヌッ!」と変な声をあげた。

 気を悪くしたのだろうか。

 まぁ、ドウデモイイ。


 そうして、やっと俺たち三人は魔境へと足を踏み入れた。



 ◇



 静かに扉を開く。

 鍵はかかっていない。かけても俺がぶっ壊すから、ついに諦めたのだろう。


 そっと中を覗くと、そこはいつものように雑然とした所謂『引きこもりの部屋』だ。


 付けっ放しのモニター。地面でゴミに半分埋まるキーボードとPC。何かの資料なのだろうか、見たこともない言語で書かれた書類も散らかる。


 割と現代的だ。

 異世界荘の住人は、だいたい何かしらの手段で金銭を手に入れている。

 例えばサキは放課後にファミレスでバイトしているし、トンさんはお化け屋敷のスタッフをしながらワナビをしてる。


 どうやって骸骨が面接に受かったのかは謎だが、そうやって生活の糧をそれぞれが稼いでいる。


 マオの手段は転売屋だ。

 金になりそうな物を格安で購入して高値で転売する。

 他人の褌で相撲を取っているようで俺は嫌いだが、合法的な手段でもある。


 そうやってマオは日がな一日、モニターの前で引きこもっているのだ。

 散らかるゴミの山も、マオからしたら金になる飯の種なのかもしれない。



 それらのゴミにくるまるようにマオは寝息を立てていた。

 寝顔だけ見れば可愛らしい。

 男の子なのか、それとも女の子なのか判断つけづらい容姿に、金髪金眼。

 黙ってさえいれば、なかなか見目麗しい。


「おい起きろコノヤロー」


 聖剣で頬をこづく。

 この勇者の残した剣に触れると、少しピリッとするらしい。いわゆる聖なる力らしいが、面倒なことにその力は充電式だ。

 聖剣には一定の力しか蓄えることができない。

 力が尽きるとただのデカイ刃物になる。

 再度充電するには、管理人室に保管してある岩に刺さなければならない。


 物語では聖剣エクスカリバーが度々岩に刺さっているが、アレはきっと充電中なのだろう。


 初めて知った時は「携帯電話ですかバカヤロー」と呆れたものだが、岩を担いで冒険する勇者を想像すると哀れになったものだ。


「えっ!? 何ですか!? 不法侵入ですか!? 余にプライバシーはないのですか!?」


 飛び起きたマオは唾を飛ばしながら抗議したが、一同に見下ろされて小さくなる。


「食材をどこにやった?」

「毎晩変な物音が聞こえるんだけど?」

奉公先(バイト先)で今度飲み会があるのでござるが、どのようにお断りするべきであろうか?」


 一度に問いかけられて、マオは目を泳がせた。


「いや、トンさん。それ今関係あるかしら?」

「普通に、肋骨からダダ漏れするから飲めないって言ったらいいんじゃね? 知らんけど」

「ムヌッ!?」

「いやいや、ちょっと待ってください! この場は余が主役ではないのですか!?」


 いい頃合いだとばかりに、俺がトンさんに日頃不思議に思っていることを聞き出そうとしたのだが、マオが遮る。


「あー、そうだったな。で、食材はどこだ?」

「物音は何よ?」

「肋骨に桶を入れれば飲めぬことはない」

「だーかーらーッ!」


 場面が堂々巡りのドグラ・マグラになりそうだったが、ゾロリという物音に一同が静まる。

 俺たちはお互いの顔を見渡し、周囲に耳をそばだてた。


 ゾロリ……


 ゾロリ……


 室内の灯りはモニターの画面だけ。

 部屋の四隅は不気味に闇が巣食っていた。

 その暗がりから確かに聞こえる。

 何かの這う気配が。


「お、おい。マオ、これ何の音ですかコノヤロー」

「さ、さぁ? 余はお子ちゃまなので知りません。ええ、知りませんとも」

「ちょっと成瀬見て。これ、何?」


 しらばっくれるマオだったが、サキの声に肩をすぼめた。

 俺はサキの指し示すものを見て絶句する。

 卵の殻だ。

 毒々しい色をした、子供の頭ほどの大きさの卵。

 初見ではない。見るのは二度目だ。


「おま……これ以前お前が地獄からお取り寄せした卵じゃねぇか」

「すひーすひー。し、知りませんね」


 鳴らない口笛を吹きながらそっぽを向く。


「フヌ。これはすでに孵っておりますな」


 トンさんの指摘通り、デカイ卵は綺麗に半分に割れ、中身は無い。

 とすると……。


「あ。僕、朝食の用意があった! それに今日は七夕だし、食ったら速攻アルルーシュカと笹をゲットしに行かないちゃいけなかったんだ」


 我ながら棒読みだ。

 しかし関係ない。ここは一目散に退却あるのみだ。

 くるりと踵を返し出口に向かう。

 しかし俺の襟首をサキが掴んだ。


「な、な、な、成瀬ぇぇ。アレ……」

「見えないっす。マジ見えないっす」


 全身で拒否するが、サキのくそ力からは逃れられなかった。


 毒虫だ。

 毒虫という形容以外に俺は言い表す言葉を知らない。

 描写もしたくない。勝手に想像してくれ。

 とにかく、ラグビーボールよりデカイ毒虫が壁を這っていた。


「マオ。何だアレは?」

「知りませんよ。卵を放置していたら孵りまして、腹を空かしてはいけないので、食材は勝手に拝借したのです」


 もうどうとでもなれ。そんな風に開き直った様子で胸をそらす。


「フヌ。あれは毒虫でござるな。昔ダンジョンの奥深くで、似たような毒虫が冒険者の脳を喰らっていたのを思い出すでござるな」


 トンさんの言葉に俺とサキは情けない悲鳴をあげる。


「して、あの毒虫をマオ殿は飼うおつもりですかな?」

「もちろんですよ。名前をつけて可愛がってますよ。余の部下一号なのです!」


 嬉しそうに話すマオが名前を告げると、トンさんは愉快そうに膝を打った。


「なるほどでござるな。カフカとは良き名なり。フランツ・カフカが由来でござるな」


 フランツ・カフカとは俺でも知っている文学作家の名だ。おそらく有名な『変身』という作品をオマージュしての命名だろう。


 簡単に要約する。

 主人公グレゴールは両親と妹を支えて働く社畜だったが、朝目覚めると毒虫になっていた。

 妹が嫌々ながらグレゴールの世話をしていたのだが、その醜悪な見た目が原因で、父親が投げつけた林檎がクリティカルヒットして重傷を負う。

 次第に家族は疎遠となり、しまいにはそれまで家庭を支えていたグレゴールを見放してしまう。

 一人寂しく死んでいったグレゴールをよそに、両親と妹は幸せに暮らしたとさ。


 胸糞である。


「……林檎だ。サキ、林檎をここに持って参れ!」

「らぢゃ!」


 テンパってしまっているのか口調が怪しい。そしてサキも頭を両手で抱えてクルクルと回っていたが、これまた怪しい言葉遣いで部屋を飛び出していったのだった。



 後半につづく。





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