表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/32

1 めぐる物語

 始まりは終わりのたもと


 終わりは始まりの軌跡


 輪廻は巡り


 また繰り返す



 どこかで聞いたような唄に、俺は顔を上げた。


 地方都市とはいえ、週末の駅構内は人でごった返している。家族連れは子供の手を引き、学生たちは立ち止まって談笑する。どこにでもあるありふれた光景だ。


 笑い声と話し声がひとつの塊となり、意味を持たない喧騒として耳に届く。そんな中で唄が聞こえるはずもなかった。

 しかしまるで読経のように通る男の唄声が、不思議と鼓膜を刺激した。


 見るともなく辺りを見回すが、声の主を特定はできない。俺はすぐに諦めて溜息をついた。


「終わりと始まりねぇ。やけに印象的じゃねぇか。俺にとって今日は始まりになるのか、はたまた終わりになるのか」


 俺の都会的アーバンな生活は終わりを告げ、職業宿無し(ホームレス)が幕を開ける。


 オワタ……。俺の人生オワタ。


 怒りに任せて糞上司を殴りつけたのが先日の事。突きつけた拳は、解雇通知の姿を借りて俺に返ってきた。


 独身寮から追い出され、生まれ育った故郷に自然と帰り着く。

 帰巣本能がそうさせたのだろうかは知らないが、数年離れていた故郷はなかなかに俺に冷たい。


 施設育ちの俺に、世話になれる両親はいない。

 どこかアパートでも探さないといけないのだが、定職につかない根無し草と契約するような阿呆はいなかった。


 それではと職業安定所ハローワークに向かうも、所在地のはっきりしない男に仕事などない。以下無限ループだ。


 蝸牛から殻を取り上げれば、ただのナメクジだ。人間から住まいを取っ払えば、見事人間以下が出来上がって干上がってしまう。


「やらずに後悔するなら、やって後悔しろ……か」


 猛烈に後悔していた。


 忌々しい上司を張り倒し、足首を紐で縛り上げて本社の四階からバンジーさせたが、こんな事になるのならもっと手酷く追撃していればよかった。


 やってみたものの、もうちっとやっておけばよかったと後悔。

 拳を降り下ろさなければよかったとの後悔は、毛ほども無い。

 もし再会することがあれば、生まれてきたことを後悔させてやる。


「とはいえ、こりゃ参ったね。どこか住み込みの仕事でも探さないと」


 おもむろに煙草を咥えるが、駅員の咎めるような視線に気づく。火を付けたら、速攻で声がかかるだろう。昔と違い構内は禁煙なのだ。

 仕方なく俺はくわえ煙草で最寄りの喫煙所へと退避した。


 商店街の入り口に設置された灰皿に灰を落としながら、変わってしまった故郷を眺める。

 昔ながらの街並みは姿を消してしまっている。都市再開発は地方の特色を抉り取り、どこにでもある都会の顔にしてしまっているのだ。


 あたりは極彩色の看板が立ち並び、数十メートル置きにコンビニが覇権争いしている。

 その店頭では、どこかの客引きだろうか、小悪魔だか何だか分からないが、派手に露出したコスプレ衣装で女性がチラシを配っていた。

 世も末である。


 女は胸元の開いた黒いワンピース水着の様な出で立ちで、背中には大きな翼を背負っている。

 蝙蝠の様な、それでいて鷲の翼の様にもふもふの羽が痛すぎる。


 それだけ目に付く格好をしているにもかかわらず、彼女の手からチラシを受け取る者はいない。

ガンスルーだ。

 懸命に愛想を振りまいている様だが、見ているとこちらが恥ずかしくなってくる。


 イメクラだかコスプレ喫茶あたりの店員だろうか。オーナーも無茶をさせるものだ。

 誰でも目が止まる格好なのに、誰にも相手にされない姿を見ると、少し不憫になってくるというもの。


「あのさ、チラシ貰える?」


 上司に恵まれなかった同志としての情けだった。配り終えないと帰れないのだろう。

 なんなら全て貰って俺がゴミ箱に投げ入れたらいい。

 そう思って彼女の肩越しに声をかけた。


 コスプレ女は俺の声に飛び上がるほど驚くと、背中を見せたまま硬直する。


「聞こえてる? 貰ってやるからさ、まるっと全部寄越せ」

「き、聞こえてるの? 私が見えるの? 嘘……認識阻害かけてるのに」

「はぁ? 何言ってんの。そんなエロい格好してたら嫌でも目につくだろうが」


 女がゆっくりと振り返る。


 肩にかかる黒髪がふわりと舞うと、早朝の光を受けて濃紺に煌いた。眉で揃えられた前髪の下で、少し垂れた瞳に驚きの色が広がる。


 タヌキ顔とでも言うのだろうか、女性というよりはまだまだ少女といった方が適していた。


 しかし、それでいて不思議な色香を漂わせている。開いた胸元からは、男の夢とロマンが溢れそうだ。


 まさに、幼い可憐な少女と、妖しいほど艶いて美しい女が同居しているようだった。


 若い女性の多い職場だったが、これほど魅力的に見えた人はいない。

 今の俺ははたから見たら、呆けたように口を開いた変質者に見えるかもしれない。


「あ、すまん。言いすぎた。とりあえず一枚もらうよ」


 困惑する少女の手からチラシを取ろうとする。

 しかし彼女の手に一瞬触れた指先に、火傷のような痛みが走る。それと同時に甘い芳香が鼻孔をくすぐった。


「け、結婚してくださいッ!」


 誰が阿呆なことを言っているのか。

 思わず眉を寄せたが、なんと俺の口からほとばしっていた。

 あまりの唐突さに、自分自身で驚く。


「え、えぇッ!?」


「いやぁ、マジ美しいっス! こんな綺麗なひと生まれて初めて見たっス! だから結婚してください! 子供は多いほど嬉しいっス!」


 冷静に考えるまでもなく変質者だ。

 不躾な言動を詫びようとするが、出てくる言葉はゴリ押しの求婚。


 しかし『自分の気持ちにダイレクトに生きていく』をモットーとする俺には、とても自然な成り行き……なのだろうか。

 自分の良識と常識を疑わざるを得ないが、今ならイタリア人といい酒が飲める気がする。


 それになんだかもう引けない。


「嘘……オーナーの言った通りなの? 認識阻害しても見える人がいるなんて」

「大丈夫。俺たちの結婚を阻害する輩は俺が殴り倒す」


 キリっとキメ顔をしたが、俺の声は耳に入らないようだった。

 少女は俺の差し出した手から逃げるように後退りする。


「あなたが異世界荘の管理人になるの? やだ。全然イケメンじゃないし、なんか目つきも悪いし。問答無用で人を殴り倒しそうな顔してる人と同居とか、マジ無理」

「あぁ? 人を見た目で判断するレイシストですかコノヤロー」


 見た目で判断されて、しかも大正解しているわけだが、初見での暴言には流石にカチンとくる。

 おかげでいくらか冷静さを取り戻す。


「うわっ。口悪ッ。こんな男にプロポーズ初体験を奪われたとか、黒歴史確定だわ。返してよ私のプロポーズ処女!」

「ちっ。どっちがだよ。どこの店の従業員だ? 元小売業のプロとしてオーナーに抗議したる。そのチラシ寄越せ」


 汚物でも見るような目で俺の手を避けるが、背負っている大きな翼が街灯に当たり、バランスを崩した少女は派手にすっ転んだ。


 手に持っていたチラシが宙を舞い大惨事だ。しかし周囲を見渡しても、通行人は怪訝そうに俺に視線をくれるだけだった。


「大丈夫かよ。んなコスプレしてっからだ。ホラ」


 尻餅をつく少女に手を差し出すが、彼女は半分泣きそうに、それでいて悔しそうに俺を睨みつける。


「コスプレじゃないから。オーナーに言われて元の姿になってるだけだから!」

「はぁ? 元の姿って……」


 一瞬呼吸が止まった。


 少女はすっと立ち上がると、背中の翼が大きく羽ばたく。


 まるでCGの様にヌルヌル動く。


 滑らかに、まるで本当に存在しているように。


 黒い翼の羽ばたきは、周囲に風の渦をつくって俺の前髪を巻き上げる。


「な、何だ!?」


 砂塵を伴った風の中で、少女の足は浮いていた(・・・・・)


「お、おい。よくできたコスプレだな? ちょっと落ち着こうか。お互いの常識を摺り合わす時間が必要だからな」

「コスプレじゃないし。それにサキュバスの催淫にかかってるマヌケと話すことなんかない」


 俺の言葉を首を捻って受け流す。


「そもそも異世界荘に管理人とか要らないから。どうせいつかは元の世界に帰るんだし。人間と一緒に暮らすとかホント無理」


 そう言い残し、俺の目の前で少女の体はぐんぐん上昇すると、東の空を埋めるビル群の影へと消えていった。


 声も出ず立ち尽くす俺の顔面にチラシが張り付く。

 彼女がたてた風の残り香だ。


 とりあえずタバコに火をつけて大きく吸い込む。

 そして紫煙を吐き出しながらチラシに視線を落とした。



【急募!】


『めぞん異世界荘』の管理人募集


 給与 応相談


 勤務時間 起きてから寝るまで


 仕事内容 住み込みでアパートと住人の維持・監視・管理をしていただきます。猿でもできる簡単なお仕事。


 資格 このチラシが見える方 肝が座った方 生きている人間優遇


 勤務場所 岡山県倉敷市美観地区内(びかんちくない)『めぞん異世界荘』


 担当 業弾ゴータマ(オーナー)まで



 突っ込みどころ多すぎだろ。


「しかし、住み込みか。こりゃ渡りに船ってやつかぁ?」


 他に選択肢は今の所ない。そして俺は目の前にある可能性は全て掴んで、後で後悔するタイプだ。

 それにあの少女にはもう一度会う必要がありそうだ。


 彼女が尻餅をついていた場所に落ちていたものを拾う。

 彼女の落し物だ。


「ちっ。あの胸、上げ底かよ」


 やたら大きめのパットを鞄にねじ込むと、郊外にある美観地区を目指して俺は踏み出した。


 これが始まりなのか、それとも終わりなのかなんて俺には分からない。


 しかし、翼の少女、サキュバスのサキとの始まりは、きっとこの場所なのだろうと、後々になって俺は振り返ることになる。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ