後編
昼ごはんは何と豚の生姜焼きだった。
メニューを見た瞬間、室長は少し嬉しそうな顔をする。
「……豚の生姜焼きお好きなんですね?」
「そうだ。よく分かったな」
そう言って室長は美味しそうに昼ごはんを頬張っていく。
僕も口に入れてみる。美味しくて頬が落ちそうになる。
そんな昼ごはんを堪能している最中、僕の研究所内のみで使える内線携帯がピリリと音を響かせた。
TNS入りした僕に何か用事がある人がいるのだろうかと携帯を取り出すと、画面に表示されていたのは、僕が今一番殴りこみにいきたい相手である、天満リーダーだった。
もしかして、自慢話でもされるのだろうかと恐る恐る出てみることにした。
「……もしもし、天満リーダー。僕は貴方に……」
「あっ、てん……ザッザザ……た……」
どうやら電波の状況が悪いらしく、向こうの音声が聞き取れない。
「すいません、聞き取れないので、もう一度お願いし……」
「た、たすけっ……ブツッ」
その一言で通話は途切れた。僕は携帯を持ったまま首を傾げる。
「……どうかしたか?」
「いや、リーダーから変な電話が掛かってきて、何か助けてって。もしかして、研究がおしているのかなぁ……」
「……だといいがな」
室長はそう言ってウーロン茶を飲む。
「他に何かあるんですか?」
僕が室長に質問をした瞬間、ローズンの目が赤く点滅し始めたのだ。
「えっ、な、何?」
「私の予想は正しかったようだ。天花君、よろこべ、好きなだけそのリーダーを殴れる時が来たみたいだぞ」
室長はニヤリと笑いながら、席を立った。
G棟のとある実験室。何やら危なそうな薬品ばかりが所狭しと並べられている。
「先ほど連絡が入った。B棟で巨大な物体が暴れまわっているらしい」
「巨大な物体ですか?」
「そう。君宛にかかった電話が助けを呼ぶものであるのなら、天花君の元いた研究室で何かが起こってしまったということになる。そして私たちはこれから、それを無かったことにするという任務を遂行することになる」
室長は慣れた手つきで薬品を調合していく。
「……有事ってことですね?」
「そういうことになる。TNSのもう一つの顔である、トラブルを・無かったことに・するという役割になるな。私にとっては久々の外だ、存分に暴れさせてもらうぞ」
ケケケと奇妙な声を出しながら室長は楽しそうに調合を続けている。
そういえば室長は三年間、ずっとこのG棟に閉じこもっていたんだよなぁ……。
「三年もこの研究室に居て飽きなかったんですか?」
その言葉に調合する手が止まる。
「……飽きるという感情なんて、一ヶ月もすれば消えてなくなる。その時が私にとっての“死”だったのかもしれないけどな」
そう言ってまた調合を始める室長。
そんな事を言われたら、どう返したらいいか分からなくなるじゃないですか。困った僕は、大人しく室長の調合を見守ることにした。
「……ところで、君はその研究室でどんな実験をしていたのかい?」
「ん、あそこでですか? 植物の成長を効率的に促す栄養剤の開発を研究していて、僕はそこで調合に必要な構成式を作っていましたけど。それが何か?」
「これはあくまで私の推測に過ぎないが、その天満リーダーという奴は、君の成果を自分のものにしたいという願望から君をTNSへと左遷させ、研究を引き継ぐという名目で自分のものにした」
「どうして、リーダーがそんなことをしないといけなかったのでしょうか?」
「それは自分が作ったことにして、特許とかを取りたかったのだろう。しかしだ、君の考えた構成式には何かの欠陥があったか、もしくは、そのリーダーが調子に乗って構成式を少々書き換えたことにより、その構成式を元に調合された栄養剤を散布された植物が異常な育ち方をしてしまった。そして、ソレは人間達だけじゃ歯が立たなくなった」
そしてTNSに助けを呼んだのだろう、と室長は話す。
「うー、出来る限りなら後者の可能性でお願いします」
僕自身が間違えたことにより、こんな事態に陥ってしまったというのはどうにか避けたい真情だった。
「まぁどっちにしろ、ソレを外部に漏れないうちに隠匿するのが私たちの仕事だ」
室長は調合が終わり、毒々しいピンク色の液体が詰められた注射器をケースに仕舞いこんでいく。
「その見るからに危なそうな液体はなんですか?」
「これか? 幾ら巨大物体といっても、正体はたかが植物だ。これはそんな植物の細胞壁を溶かす魔法の液体だよ」
ケースをそう言って愛おしそうに頬ずりする室長。
「……室長って、化学専門でしたよね?」
「理科というものは、何処かで全て通じているものだからな。最も、私は三年間の間、G棟に所蔵されている専門書を読み漁っていた為か、どの分野でも分かるのだがね」
ぜ、全部の分野もいけるだなんて、真の天才ってきっと室長のことをいうのだろうなぁと心の中で考える。
そんな室長はどうして、閉じ込められなければならなかったのだろうか。あの副所長のことだ、きっと何かお考えがあるんだろう。
「何をボーっとしているんだ? B棟まで行くぞ?」
白衣をひらめかせて、僕達は実験室をあとにした。
***
『緊急事態につき、G棟職員の入室を許可する』
……ピッ。 ガチャ。
カードキーをかざすと、アナウンスと共に扉が開かれる。
「開いた」
「いくぞ」
室長の先導で僕は歩みを進める。
たった一日しか経っていないというのに、なんだか久々に来たような感覚になる。それにしても、棟の中はシンと静まり返っており、誰もすれ違うことは無い。
しかも、
「……蔦?」
棟の壁一面にびっしりと蔦が生い茂っているのである。少なくとも僕が最後にここを通ったときには生えていなかった。
「暴れまわっている生物の仕業だろうなぁ」
心配でキョロキョロしている僕と違い、室長はルンルン気分で進んでいく。よほど、外に出られたことが嬉しいらしい。
「君の研究していた部屋は何処だ?」
「B棟二階、二六四研究室です」
「では、階段で移動しよう。エレベーターはどうやら使えないらしい」
僕がエレベーターの方をちらりと見ると、完全に蔦に掌握されているような感じだった。
仕方なく、ひいこらと階段を上がり、二階へとやってくると、更に蔦の量が増えているような気がした。
「近いってことですかね?」
「そうなるな。そろそろ二六四研究室だ」
僕達は目的地にたどり着くと、蔦の中心はやはりこの部屋かららしい。二六四研究室から放射状に蔦が生えているのが分かる。
僕はゴクリと唾を飲み込み、扉の前に立つ。
「開けるぞ」
室長が思いっきり研究室の扉を蹴り上げると、そこには、
全長二メートルくらいある巨大なガーベラが咲いていた。
「で、でかっ」
余りの大きさに僕は腰が抜けそうになる。ふと、ガーベラの中心に何か垂れ下がっているのに気が付いた。
良くみると、それは人間の足だった。
「が、ガーベラに人間が食べられてるっ!」
僕は急いで巨大なガーベラの前まで駆け寄り、垂れ下がっている足を掴んで引っ張ってみる。すると、ズルズルと埋まっていた上半身部分が姿を見せ始めた。
やがて、全て引っこ抜け、ベシャという音と共に床に落ちた。
「……!」
ガーベラに食べられていたのは、僕が殴りたい上司ナンバーワンの天満リーダー、その人であった。リーダーは巨大な花のヨダレか蜜かよく分からない液体で埋もれていた部分がびしゃびしゃになっていた。
「て、天満さん、しっかりしてください」
僕は少々乱暴に天満リーダーを揺さぶる。しかし、彼は起きるような様子は無い。
「息はあるようだし大丈夫だろう。問題は、コイツが大人しく注射させてくれるかだな」
室長はそう言って巨大植物を指差した。僕がリーダーを引っこ抜いたときは動くような様子は無かったように見えたけど……。
室長はケースから薬品が入った注射器を取り出す。すると、次の瞬間。
「ウォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
研究室が揺れるほどの声が響き渡り、僕は思わず耳を手で塞ぐ。地響きと共に、床までうねり出したかと思うと、それは、びっしりと生えた蔦だった。
そんな蔦の一本が注射器を持った室長に襲い掛かろうとしていた。
「室長!」
僕は咄嗟にそう呼ぶと、室長はひょいと植物の攻撃を避けた。
「こんな幼稚な攻撃で私のことを倒せるとでも思っているのか?」
ニヤリと笑う室長。
なんだか、室長の方が悪の親玉って感じがするんですけど!
「三年間も引きこもっていたヒッキーの実力をとくと見せてやろう」
そう言って室長は巨大植物に向かって走り出す。途中飛び交う蔦の攻撃をまるで踊っているかのように避ける室長。
……この人は運動神経までチートなんだろうかと、僕はペチペチと蔦の攻撃をくらいながら考えていた。
「残念だったな!」
そう言って、注射器を植物の茎の末端に投げつける。それは見事に命中し、植物の動きは止まった。
そして、巨大植物の茎部分がいきなり膨張を始めたのだ。
「な。何が起こるんですか?」
「細胞壁を破壊してやったからな。溶けたセルが膨張を始めて、やがて……爆発するだろうな」
「ば、爆発!?」
なに呑気に言っているんですか、この人は、爆発なんてしたら僕らの命が幾らあっても足りないじゃないですか!
「まぁ、良くて爆発で生じた液体でずぶ濡れ、最悪、肋骨を骨折だろうな」
そう呑気に笑う室長。だーかーら、なんでそんなに呑気で居られるんですか、この人は。
「一先ず逃げましょう。……あ」
僕は足を前に出すと、倒れている天満リーダーの腕に当たった。
「……」
僕は暫く倒れているリーダーを見つめ、やがて、背中で担ぐ。
「ソイツまで連れて行くのか? あんなに恨んでいたのだろ。置いていけばいいじゃないか」
室長の言葉に僕は首をふった。
「たしかに殴りたい相手ですけど、ここに放置するのは何か違う気がして」
「ふぅん。なるほどな」
室長はそう納得する。何処か納得するような要素なんてあったっけ?
「では、脱出しようか」
「はい!」
僕はズルズルとリーダーを若干引き摺りながら、研究室から脱出した。
***
さて、件の事件から三日経った。
事の顛末を話すと、天満リーダーは僕の研究成果を自分のものにしてやろうと企て、僕を研究者の墓場と有名だったTNSへと異動させたらしい。そして、邪魔な僕が消えたことによりリーダーは研究成果を自分の名義で特許を取ろうと資料作成のために実験をしていたらしい。しかし、何を考えたのかリーダーは僕の考えた構成式を書き換えてしまったらしい。それを信じた他の研究メンバーが調合。そして、ガーベラに投与した結果がアレだったらしい。
他のメンバーは即座に逃げたので無事だったが、一番近くにいたリーダーはガーベラの餌食になってしまったというわけだ。無事で何よりだったけど。
僕達TNSの活躍により、即座に植物は処分されて外部に事件は漏れることは無かったけど、リーダーは事件の責任を取らされ、次の日には研究所を追い出されるハメになった。
B棟は蔦が生い茂って壊滅的な状況で、修復にはあと半月かかるらしい。他の研究員は今G棟の開いた実験室で研究を再開している。
「あ、副所長。おはようございます」
そんなB棟の研究員達を見守りに副所長がやってきたので挨拶を交わす。
「伏見君、おはよう。先日の一件はご苦労だったね。おかげで迅速に解決することが出来た」
「いえいえ、僕なんてただ見守っていただけですし、いうなら室長に言ってください」
「……」
僕が室長のことに触れると、副所長は無表情になった。
「僕、ここ三日である結論に至ったんです。聞いてもらえませんか?」
「ほう、なんだい?」
「副所長は室長を守るために、このG棟に閉じ込めたんじゃないかって」
副所長の眉がピクリと動く。
「……ほう、そういう結論に至った理由を聞こうか」
「このG棟って僕の居たB棟に比べて過剰なほどに頑丈な造りなんですよ」
最初僕がこのG棟に訪れた時に、やけに頑丈な造りの研究棟だなぁと感じていた。
もしかしてB棟だけが造りが甘いのかもしれないと考えたけど、トップクラスの研究機関だ、どこの造りのしっかりとしているハズだと考えた。その中でもこのG棟がダントツなのだ。
「しかも、直ぐにでも研究が進められるように機材が揃っている。これも異常なくらいに。だから、僕は思ったんです」
僕はふぅと息を整えて続ける。
「ここはもしかして、もしものとき用のシェルター的なものなんじゃないかって」
僕の答えに副室長はフッと笑った。
「君はどうやら、研究者よりミステリー作家かSF作家の方が性に合っているのじゃないかね?」
「僕はいたって真面目に話しているのですがねぇ……」
副所長にそんな事を言われてしゅんとする。
「軽い冗談だ。聞き流してくれて構わないよ。話を続けてくれ」
「あ、はい。それで、そんなシェルターに室長を隔離して、室長の命を守ろうとしたんじゃないですか? 副所長が」
「……」
僕の推理に副所長は沈黙を貫く。
「副所長はこの研究所皆のことを持っているのは知っています。それは、室長に対してだって例外じゃない気がするんです。室長は恨んでいるみたいですけどね」
「だろうな」
「室長にもいつか副所長の想いが伝わるといいですね」
「……その前に私が居なくなるかもしれないがね。ところで、これから伏見君はどうするんだい? 天満の謀略に嵌って異動させられと聞いた、私から元の研究室へ帰ることが出来るように働きかけることも可能だが?」
副室長の誘いに僕は首を横に振った。
「前の研究室へ戻っても居づらいですし、僕はこのままで大丈夫ですよ」
「しかし、TNSに居ると、研究成果を発表できることが出来なくなるぞ」
「僕の名前で発表できないのであれば、匿名で論文を送りつけるまでです!」
僕の答えに副所長は目を丸くした後、笑い出した。
あれれ? 僕、何かおかしいこと言いました?
「全く、国成に毒されてきたんじゃないかね、伏見君は。TNSへ留まるというのなら都合がいい……」
副所長は僕に向かって深々とお辞儀をした。
「これからも国成を支えてやってくれ」
「……はい」
僕は笑顔で副所長からのお願いを快諾した。
「ずいぶんと遅かったな」
TNSへと戻った僕に珈琲を飲みながら室長が出迎える。
「ちょっと元研究メンバーと話しに華を咲かせちゃいまして」
副所長と話していたことは一応黙っていることにした。話すときっと機嫌が悪くなるだろう。
「……そんなに話が盛り上がっていたなら、戻ればいいんじゃないのか?」
室長はズズッと珈琲をすする。
「いいえ、僕は戻りませんよ。このTNSで研究を進めるつもりです。B棟に無かった機器もありますし、いろんなことにチャレンジしてみたいと思って」
「……研究しても、発表する場なんて無いぞ」
「無かったら作ればいいんですよ。匿名でサイエンス誌へ殴りこむとか、方法はいろいろありますよ」
僕の言葉に、机をバンっと叩く室長。ま、まさか逆鱗に触れちゃった?
「そうか……、匿名で出せばいいのか。どうして今までそんな簡単なことを考えなかったんだ私は、凄いぞ天花君! 君のお陰で目が覚めた」
そう言って僕に駆け寄り両手で僕の手を握り締める室長。その目はキラキラと輝いていた。
「そうとなったらこれから実験を開始する。手伝え、天花君!」
「はいっ!」
キラキラと輝いた目のまま、室長は開いている実験室へ向けて走り出した。僕も彼を追いかけるために部屋を出た。
そんな室長が匿名で出した研究論文が世界を揺るがしかねない大発見になってしまったのは、また別のお話。
【了】