前編
ゴボゴボと不気味な音を響かせる室内で、白衣を着た茶髪で僕と見た目年齢が変わらなそうな男は奇妙な笑いを浮かべながら僕の名を呼んだ。
「そうか君が天花君か」
そしてその人は僕の目を見る。何か心臓まで掴まれている感覚に囚われて顔には冷や汗が流れた。
「ようこそ特務機関TNSへ。君が七人目の犠牲者だ」
男はそう言って僕に握手を求めるかのように手を差し出して来た。
僕は彼の言った言葉を脳内で反芻し、戸惑いながらも手を差し出し握手を交わす。
「契約成立だな」
彼はそう言ってニヤリと笑った。
どうして僕がこんな目に遭ってしまうことになったのだろうか?
事の発端は一週間前へと遡る。
***
JSS研究所。国内の有能な科学者達が集められ、日夜研究に勤しんでいる機関。
僕、伏見天花も植物系の研究を主として、この研究所で研究をしていた。
僕の研究は、効率的な植物成長を促す栄養剤の研究開発。研究チームの天満さんの指揮のもと研究に明け暮れていた。
「伏見君、例の養分構成の方はどうなっているかな?」
ある日、天満リーダーが薬品を調合していた僕に話しかけてきた。
「はい、構成式の方は何とか出来たので、後はこの式通りに薬品を調合して、効果が認められれば完成は近いと思います」
僕は天満リーダーに複雑な文字の羅列が書かれた紙を渡す。
「あんなに複雑だった構成式をここまで解いているだなんて。君は本当に天才だ」
「いえ。皆さんのご協力がなければここまで来られませんでした」
僕はそう言って照れ笑いをする。
「早速データとしてまとめよう。ありがとう伏見君」
そう言ってリーダーは研究室から出て行った。
嗚呼、思い起こせばこれが全ての始まりだったのかもしれない。
一週間後、僕にいきなりの部署異動が通達される。
「特務機関……TNS、ですか?」
リーダーから辞令を貰った僕は書かれている文章をきょとんとした顔で眺めていた。
「Team Neutral Science。中立的な立場で研究を行っている研究室だ。是非とも伏見君にはそこへ行って活躍して欲しいと思ってね、推薦状を出しておいたのが受理されてね。TNSで君の頭脳を活用して欲しいんだ」
天満リーダーはそう言って僕の手を強く握る。
「そう言って頂けるのは大変ありがたいのですが、まだ例の研究が終わってないのに僕だけ異動というのはいいのでしょうか? 研究の引継ぎなのでリーダーにご負担をかけるのでは?」
自分だけ突然の異動、研究の引継ぎ等で天満リーダーの負担は相当のはずだ。そんな僕の心配にリーダーは優しく笑う。
「そのことなら大丈夫だ。私が責任を持って君の研究を引き継ごう。研究メンバーの皆にも伝えておくから、早速今日から向こうへ言って頑張ってもらいたい」
天満リーダーはそう言って僕の肩をまるで喝を入れるかの如く強く叩いた。
「はい。ありがとうございます!」
こうして僕は古巣である研究室を去ったのである。
***
「TNSのラボってどこだ?」
リーダーから貰った地図を頼りに、僕は研究所のG棟までやって来た。
JSS研究所は専門分野ごとにA~Gまでの研究棟があり、とにかく広い。
しかも、自分の研究室がある場所以外はまったくと言っていいほど関わりを持たないので、なんだか知らない土地へと足を踏み入れたような感覚になり、不安になる。
G棟の最深部、そこにTNSはあるらしい。
「G棟ってそういえば何を専門に研究しているところなんだろう?」
当初、研究所はA~F棟までの六つで構成されて、そこで大体の研究分野がまかなわれていた。が、ここ数年でG棟という新棟が作られることになったのだ。何か新しい研究分野でも誕生したのだろうか?
「G棟はTNS専用に作られたものだ」
「うっひゃあ!」
突然声が聞こえて、僕は情けない声をあげた。
振り返るとそこにはなんと、JSS研究所の副所長である下敷さんの姿があった。
「あ、副所長。おはようございます」
いきなりの大物の登場により慌てる僕はとりあえず一礼をする。
「驚かせてしまったようで悪かったね。ところで、君が今日付けでTNSに配属されることになった子かね?」
「……あっ。はい、そうです」
「そうか、君が。いやはや間に合ったようで良かった」
副所長は目を細め、ニッコリと笑う。
「……と申しますと?」
僕は首を傾げる。
「TNSに配属されるに当たって、私から一つ忠告をしようと思ってね」
副所長はそういうと、さっきまでの表情をガラリと一変し、冷ややかな目で僕を見る。
「TNSの室長には深く関わるな」
「……え。それはどういう意味ですか?」
これからTNSへ配属されるというに、深く関わってはいけないということはどういうことなのか。僕の頭はクエスチョンマークで埋め尽くされていく。
「彼は取れも危険な存在だ。深く関われば君の人生は破滅してしまうかもしれない。適度な距離をとる事をオススメするよ」
副所長はそう言うと、再び優しい表情へと戻る。
「TNSはこの先だ。君の健闘を祈ろう。私はこれで失礼する」
そう言って副所長は去っていった。
言われたとおり真っ直ぐ行ってみると、TNSと看板が取り付けられた部屋へとたどり着いた。
他の研究室とは全く違う雰囲気に包まれた扉。そんな扉が重々しく開くと、そこには白衣を着た赤毛の男が研究室の中央にある椅子に偉そうに座っていた。
「ど……どうも」
あまりの存在感に僕はおどおどしなら赤毛の男に挨拶をした。
「このTNSに何か用か?」
男はそう言って立ち上がる。
「えっと、今日付けでTNSに配属になった、伏見天花です」
僕の言葉を聞いて、男は笑った。
***
そして、このような現状に戻る。
「えっと、犠牲者とは一体どういう意味ですか?」
“犠牲者”という恐ろしいワードを聞き捨てなら無くて、僕は恐る恐る訊く。
「別に取って君を食べるような意味ではない。一種のここでの歓迎の挨拶と思ってくれて構わないさ。そういえば、私の自己紹介がまだだったな、私の名前は大島国成という。ここの室長だ」
彼はそう言ってまた椅子に座った。
大島国成、僕はその名前に聞き覚えがあった。
「……もしかして、大気物質置換法の論文を書いた、大島国成博士ですか?」
「ほう、私のことを知っているのか?」
大島室長は興味深げな表情になる。
「あんな世紀の大発表をした論文を知らない人なんて居ないですよ! 若干二十歳という若さにも関わらず、“無”から“有”を生み出すという錬金術を超えた研究に、世間では神の降臨とか言われていたじゃないですか!」
「別に無から有を生み出している研究ではないのだがね」
「でも、それから大島さんの消息とかも一切不明で、一時期死亡説まで囁かれていましたけど、TNSの室長をしていたなんて、驚きです。そして、そんな研究室に僕を招きいれてくれるだなんて感激そのものですよ」
僕は目の前に神とまで言われた人物がいるとなると、ワクワクが止まらない。
「そう考えがいつまでもつか見ものだな」
室長はニヤリと笑う。
「そうか、死亡説まで囁かれていたか。まぁ、このTNSに軟禁されてからもう三年も経つから仕方ないことだな」
室長は二言目にトンでもない事を言い出す。
「軟禁って、この研究室にですか?」
「そうだ。私は事情があってな、このG棟からは出られないんだ。この研究室で私とアンドロイドのローズン《Rozun》と住んでいるんだ」
すると研究室の陰から、見るからに幼児が描くようなTHEロボットみたいな物体がやってきた。
『初めまして、ワタシの名前はローズン。国成様をサポートするアンドロイドです。宜しくお願いします』
「ローズンよろしく。それにしても可愛いなぁ」
ペコリとローズンはお辞儀をしてきた。結構愛らしいフォルムなので、僕はついうっかりボディを投げてしまった。すると、
『ワタシに気安く触るな、愚民が』
「なっ……」
ローズンの口から出た毒舌な言葉に、僕は圧倒されてしまう。
「わたしが趣味でプログラミングしたデータだから少し口が悪いかもしれないが、気にしなくていい。さて、天花君。このG棟にある研究資材は好きに使ってもらって構わない、好きに研究をしてくれ」
そんな太っ腹なことを言われ、僕の興奮度は最高潮に達しつつあった。
「ただし、君はTNSに入ったことにより、この界隈から存在を消滅させられたと考えておいてくれ」
「……は?」
その一言に、僕のテンションが一気に地へと落ちる。
「え、え……え?」
あまり突然のことで言葉が見つからない。
「ここは研究者の墓場だ。ここでいくら研究をしても、研究結果を発表する場所もなければ、論文も発表することも許されない。過去にこのTNSへ六人送り込まれてきたが、皆、この事実を聞いたら逃げるように辞めていったよ」
室長は鳥肌が立つほどの不気味な笑みを浮かべた。
「え、えぇぇぇぇええええええ!」
バタン。
僕はショッキングなことを聞いてしまい、絶叫ののち、気絶してしまった。
***
次の日、重苦しい足でTNSの扉を潜る。
「……おはようございます」
「おや、二日目のご出勤ご苦労様だね。大体、初日で根を上げる奴らばかりだったが、君は違うようだね」
室長はニヤニヤとしながらローズンが用意した珈琲をすすっていた。
「僕にはココしか無いですから。研究が出来るだけマシです」
そう言って家から持ってきた、観葉植物や盆栽をデスクに並べた。
「そういえば君は植物関連の学者だったな。研究用の植物か?」
室長は興味深げに鉢植えを見る。
「ポックルやマクラーレン達を研究に使うなんてとんでもない!」
「……君、植物に名前をつけているのか」
「家族だから当然です」
「家族ねぇ……」
僕が誇らしげに胸を張ると、室長は興味無さそうに再び珈琲に口を付ける。
「そうだ、天花君はどんなアクシデンドを引き起こしたんだい?」
何かを思い出したかのように室長は僕に訊いてくる。
「アクシデント……ですか? いえ、特に何も」
「何もやってないのにTNSに放り込まれるとか、君、誰かに根深い恨みとかされているんじゃないか?」
「そんな事もないです。このTNSは研究室の天満リーダーが推薦出してくれて、それで……」
「ほぉ。大体理解出来た。君はそのリーダーに捨てられたんだ」
室長のとんでもない結論に僕はまたフラッと眩暈が襲う。
「おっと、また気絶されては困るぞ」
「だってあの優しい天満リーダーが人材を捨てるようなこと、ありえませんよ。だってリーダーは、このTNSを中立的な研究をする機関だって……」
僕の言葉に室長はゲラゲラと笑い出した。
「室長、何が可笑しいんですか?」
「まさか、ニュートラルサイエンスの方で説明して騙す奴が現れるなんて思いもしなかった。たしかに、正式名称はそっちの方で構わないが、有事の時に限ってのみだからな。俗称としては“特に・何も・しない”研究室だから、TNSって呼ばれているのだよ」
そ、そんな……。ということは、本当に僕はリーダーに騙されて。
「生憎だがご愁傷様だな」
ニヤニヤと笑う室長、そんなに僕をみて面白いもんですかね!
「……ちょっと、天満リーダーを殴ってきます」
信頼していた人に裏切られて、僕は自棄っぱちになっていた。きっと、僕の研究を引き継いでウハウハなんでしょうね! この怒りは殴らないと収まりませんよ!
「TNSに配属が決定した以上、有事の時以外は他の研究棟には入れないようにプロテクトがかけられる。だから、殴りたくてもお前の居た生物分野のB棟には入れないぞ」
「そんなぁ……。ところで、さっきから室長の言っている“有事”ってどういうことですか?」
「研究所が存続の危機に陥ったりする場合にTNSは本領を発揮するが、私がここの室長になって以来、そんな事は一度も無かったからな。希望はナイと思ったほうがいい」
そう笑いながら室長が話していると、いきなり研究室の扉が開かれ、副所長が現れた。
「やあ、TNSの諸君。ご機嫌は如何かな?」
「あ、副所長、おはようございます」
「……チッ」
僕は副所長に恭しく一礼をするが、室長は不機嫌そうに舌打ちをするだけだった。
「天下の副所長様がこんな墓場に何か御用ですかね?」
「新しく来た新人君を実験台にしていないか見張りにきたのだよ、国成」
二人の間にはまるで火花でも散っているかのように、にらみ合う両者。
「人をマッドサイエンティストのように言いやがって。お前の方がよっぽど悪者だよ、“したじき”め」
「したじきではない、しもじきだ。三年経ってもまだここの暮らしがお気に召さないのかな? 好きな物は何でも与えているというのに」
「誰が好き好んでこの軟禁生活を気に入るものか。私の言動を見に来たというのならもういいだろう。とっとと帰れ」
親子くらいの歳が離れていると思われる副所長を睨みつけながら、室長はシッシッと追い払うような動作をする。
「それでは失礼するとしようか? 伏見君、くれぐれも私の忠告は守るように頼むよ」
副所長は室長を見て鼻で笑いつつ、研究室を後にした。
「天花君。もしかしたら、アイツに変なことを吹き込まれたのかもしれないが、アイツのいう事は気にすることは無いからな」
「結構仲が悪いように見えたのですが、何かあったのですか?」
僕の問いに暫く室長は考えたのち、
「アイツは私をココに閉じ込めた張本人だからな」
「え、あの副所長がですか?」
あんなに皆のことを思っている副所長が室長のことを監禁状態に追い込むだなんて、一体どういうことなんだろうか?
「よほど、私の功績が恨めしいのだろうな。件の論文を発表してから暫くして、このG棟が建てられ、私はここに閉じ込められた。まぁ、生活の補助はローズンがしてくれるし、帰る家もそもそも無かったから良かったけどな」
そう言って室長は伸びをする。
「あー、胸糞悪い。私は仮眠室で一休みする。天花君はこの棟にあるものなら何でも使っていいから実験でもして、暇つぶしでもしておいてくれ。ここで座っているだけだと暇で仕方なくなるぞ。では、お休み」
室長はローズンと一緒に、奥の部屋へと消えて行った。
***
G棟の一角にある実験室を借りて、僕を薬品と睨めっこする。
本当にココには何でも揃っていた。消耗品や薬品を始め、一台何千万もする機器にいたるまで、全ての分野の研究がココで行うことが出来るのではないかという気さえする。
有事の時以外はTNSの出番はないとか言っていたけど、何か事故とかが起こったときに検証するためにこれらの機材は使われるのだろうか、と僕は薬品と睨めっこを続けながら考えていた。
『それら薬品を全部混ぜると、死ぬぞ、豚め』
「ぎゃー」
背後から声がして、またもや悲鳴をあげる僕。振り向くと、そこにはローズンの姿があった。
「室長の横にいるんじゃないの?」
『おやすみの室長の邪魔をしないように、お前を監視しにきてやったのだ。ワタシがわざわざ足を運んでやったのだ喜べ』
相変わらずの毒舌っぷりに僕は乾いた笑いしか出ない。
「あ、そうだ。ローズンは、なんでこのG棟がこんなに設備が整っているか理由は知ってる?」
『それに対する答えはプロテクトがかけられている。ま、愚民ごときに教えることなんて無い』
ローズンは僕の質問を拒否する。
「プロテクトかぁ、室長に聞いたら何か分かるかなぁ」
『室長も恐らく知らないハズだ』
「え、じゃあ、一体誰に聞けばいいの?」
『愚民に答える義理などなーい!』
ローズンのロボパンチが僕の鳩尾にヒットし、床に蹲る。
「ぐふっ」
『また、つまらぬ駄犬を殴ってしまった』
パンパンと手を叩くローズン。
「何処に居るのかと思えば、床で寝転んで、新しい遊びでもしているのか?」
実験室の扉が開いて、室長の姿が見えた。
「室長、起きるの早いですね」
「私は十五分ほどの睡眠で十分でね、すぐ目が覚めてしまうのだよ。ところで、そろそろ昼だ。一緒にご飯でもどうかね、天花君?」
「はい、是非とも。でも、このG棟に食堂ありましたっけ?」
A~F棟までは食堂や売店が併設されていて、自由に買うことが出来る。しかし、G棟にあるのは自販機くらいしか見当たらないような気がしたんだけど。
「ここでの食事はローズンが作るんだ。ローズン、二人前を頼む」
『了解しましたー』
ローズンは室長にそう頼まれると、意気揚々と何処かへ行ってしまった。
「それにしても、このG棟は凄いですね。なんでも揃ってる」
「あぁ、ソレだけがここの取り柄だからな。まぁ最も……」
室長は表情を曇らせる。
「私には宝の持ち腐れだろうがね」




