第54話「影が揺らめく」
「ん……」
オースティア王家第三王女、メルトレス・エレメー・オースティアの朝は早い。
それには彼女が王族であり、朝食の場に現れるだけでも王族に相応しい身なりで現れなければならないと言う事情だけでなく、『魔法使いたるもの自分が扱う道具は自分で管理し、何時でも手に取って使えるようにしておくように』と言う考えの下、朝一で自分の武器にして魔具であるサーベルとそれに付随する幾つかのパーツを整備点検するための時間を取ると言う理由からでもあった。
そしてそのために、メルトレスは毎日陽が昇って三十分程で目を覚ますように習慣づけていた。
「……。何の気配かしら?」
だが、その日のメルトレスの起床は陽が昇るのとほぼ同時であり、目覚めた理由も習慣からではなく、不思議な気配を感じ取ったが故にだった。
「外?」
メルトレスは気配の出所が外にあると察すると窓に近づき、木で出来た扉を開けて気配の出所を探る。
「あれは……ティタン様?」
不思議な気配は用務員小屋の方……より正確に言えば、用務員小屋の近くで何かしらの作業をしている人影から発せられていた。
その人影は、距離があるために詳細には捉えられなかったが、メルトレスの目には用務員小屋に住んでいるティタンであるように思えた。
「何をしているのかしら?『拡大』」
ティタンが何をしているのかを見ようと、メルトレスは自分の右手人差し指にインクを付けると、自分の左手の甲に手際よく、道具を一切使っていないとは思えない程に綺麗な紋章を描く。
そうして紋章が描き上がると、左手の指で小さな円を作り、発動の為のキーワードを唱える。
「弓を構えてる?と言う事は弓の練習かしら?」
光属性基礎紋章魔法『拡大』によって、光が捻じ曲げられ、メルトレスの左手の指で作った円の中に新しい弓を構えるティタンの姿が映る。
「綺麗……」
ティタンは弓を射り、矢の行く末を見届け、その結果を確かめると、新しい矢を弓につがえ、ゆっくりと狙いを定め、再び射る。
その動作はティタンがそれまでに積み上げてきた修練の成果を示すように洗練されており、無駄のないその動きは弓の扱いに慣れた者も、そうでない者も魅了するような動きであり、メルトレスは思わず見惚れていた。
と、そうしてメルトレスが見惚れていた時だった。
「え?」
朝日によって長く伸ばされたティタンの影がほんの一瞬だけその輪郭をぶれさせ、別の姿……三日前、メルトレスが出会った獣の姿のティタンに酷似した姿になる。
そして、ティタン本人も気付かない内に、影は元の形に戻る。
「……」
見間違いではない、確かに影の形は変わった。
メルトレスは自分に言い聞かせるように心の中で呟く。
そして考える。
ティタンのあの全身が黒い毛に覆われた奇怪な獣の姿は何だったのだろうかと。
「……」
普通の生物ではないと一目分かる姿に、理性を失った瞳、口から吐き出される黒煙に、その間から見える牙。
今思い出しても、ティタンの教えが無ければ怯えた姿を見せてしまいそうな程に恐ろしい姿だった。
けれど同時に、そんな恐ろしい獣の姿もまた美しいと感じてしまっている自分が居た。
メルトレス自身理解しがたい思考だった。
だが、あの姿のティタンもティタンには変わりないと思うと、不思議とすんなり心に収まるような考えでもあった。
「……」
いずれにしても今はただ、何も考えずにティタンの弓を射る姿を眺めていたい。
そうメルトレスが思った時だった。
「流石はティタンさんですね。とても綺麗な撃ち方です。メルトレス様が見惚れるのも分かりますね」
「ひうっ!?」
いつの間にか背後に立っていたイニムに突然肩を叩かれながら声を掛けられ、メルトレスは思わず跳び上がるように背筋を正し、肩をすくめ、『拡大』の魔法も解除してしまう。
「イ、イニム、貴女……」
「だいぶ前からゲルド共々居ました。お声をかけても気づかれませんでしたが。あ、髪の方はもう整え終っていますよ」
「……」
イニムの言葉にメルトレスは唖然とする。
自分がそこまで隙だらけの姿を晒しているとは思わなかったからだ。
だがイニムの言うとおり、メルトレスの髪の毛はしっかりと整えられており、後は化粧と着替えをすれば、部屋の外に出られる状態になっていた。
「姫様。昨日もあの後に言いましたが、ティタンさんとの付き合いは出来るだけ断ってください」
「……」
イニムに続いてゲルドがメルトレスに話しかけてくる。
「彼が人間的に好印象である事も、狩人として尊敬に値する事も、身分的にもギリギリでどうにかなる事は私も分かっています。ですが、彼が魔獣の姿になった時、メルトレス様の事を傷つけかけたのは明確な事実です。王家としても、姫様の護衛をする私としても、メルトレス様とティタンさんが仲良くなるのは好ましくないと考えています」
「そんなこと……」
どうして自分の交友関係……それもティタン様と言う善良な人物との付き合いを邪魔されなければならないのか。
メルトレスはそう思いつつも、ゲルドに反論する事をすんでのところで止める。
ここで言い返しても、小言の量が倍になるだけだと感じたからだ。
「……」
「……」
「あらあら……」
ゲルドも内心ではメルトレスが納得していない事を理解しつつ、反論が無いならばと言う事で、これ以上の小言を言うのを止める。
実際、自分の家の利益にしか興味の無い一部の貴族と付き合うぐらいならば、ティタンとの付き合いの方がメルトレスにとってはよほど有益であることは間違いなかったからである。
それだけにあの獣の姿は頭が痛い問題だった。
ゲルドにとっても、メルトレスにとっても、方向性は違えど、学園とティタン自身にとっても。
「と、とりあえず朝食を摂りに行きましょうか」
「そうね。そうしましょうか」
「お供いたします」
そうしてそれぞれに別の悩み事を抱えつつも、メルトレスたちも朝食に向かったのだった。
メルトレスは見てました
02/17誤字訂正




