第31話「ぼやける-1」
「『ぼやける』」
俺の呟きと共に平たい石の表面に描かれた紋章が紫色の光を発し始め、その光に合わせる様に平たい石の輪郭がぼやけていく。
「よし」
新たな紋章魔法の成功に確信した俺は小さく頷きつつ、これが偶然の成功ではなく実力で成功していることを示すべく、別の平たい石を左手に取ると、右手にキリウミタケの汁から作ったインクを染み込ませた筆を持つ。
「これはまたあっさりと成功させたでやんすねぇ」
「と、ソウソーさん……」
が、紋章を描き始めようとした所でソウソーさんに声を掛けられたため、俺は腕を止めつつ首を背後に向けて回す。
「ふうむ……完璧に『ぼやける』が発動しているでやんすね」
「どうしたんです?突然」
今は昼休みで、今日の俺とソウソーさんは基本的に用務員小屋で待機するように言われている。
なお、ゴーリ班長とクリムさんは別々にオース山の中に入っていて、ゴーリ班長は生徒の引率、クリムさんは見回りをしている。
「いや、単純に暇をもて……ゲフン、気分転換ついでにティタンの様子を見に来たんでやんすよ」
「そうなんですか」
俺とソウソーさんは改めて輪郭がぼやけている平たい石を観察する。
俺が発動した魔法は妖属性基礎紋章魔法『ぼやける』。
紋章が書かれた物体の輪郭をぼやけさせるだけの魔法であるが、他の属性の基礎紋章魔法に比べると格別に戦闘向けな魔法と言える。
「しかし、学び始めて十日で修得とは……『仄暗い』で別の属性を扱う事に手慣れたおかげか、それとも妖属性の適性が抜きん出て高いのか、ちょっと理由が気になるでやんすねぇ」
やがて魔法の効力が切れてきたのか、平たい石の輪郭がはっきりとし始める。
すると、石の輪郭がはっきりするのに合わせて、ソウソーさんが疑問を問いかける様に視線を俺の方に明確に向けてくる。
と言われてもだ。
「えーと、妖属性の魔法ってそんなに修得が難しいんですか?」
こうしてあっさりと使えてしまった俺には妖属性の魔法がどれほど難解な物なのか理解できなかった。
なので、どこがどう難しいのか教えてもらえないと、俺としても答えようがないのが本音だった。
「難しいなんてもんじゃないっすよ」
と、そんな俺の考えが伝わったらしく、ソウソーさんが妖属性について掻い摘んで説明をしてくれる。
「ティタンが借りてきた『妖属性基礎』と言う本にも書かれてあると思うでやんすが、紋章魔法の歴史が千年近くあるのに対して、妖属性はたった三十年前に確立された属性でやんす。この時点で、最も未知の部分が多い属性である事は分かるでやんすね」
それは俺にも分かる事なので頷く。
ちなみに紋章魔法の歴史としては、四大と二極、魔属性が本当に昔からあって、それから雷、氷、木、金、天、妖の順に確立されたらしい。
それぞれの属性を確立するにあたっては、様々な苦難が有ったらしいが……実用書だと軽く触れられる程度だったので、よくは分からなかった。
知りたければ歴史書を読めと言う事だろう。
「で、未知の分野が多いだけならまだしも、妖属性の基本的性質は不明瞭である事、不鮮明である事、あいまいな事、分からない事こそが本質だなんて言うまるで哲学みたいな性質でやんすからね、他の属性とはまるで性質が違うんでやんすよ」
「あー……その部分は俺も本を読んだ時、かなり悩みました」
「そう言うわけで、隠蔽系の紋章魔法の様な、ある程度扱いやすい妖属性魔法が出来た後でも、適性があってなお修得が難しい魔法だとされているんでやんすよ。現にあっしも妖属性基礎魔法の完全な習得に二月はかかったでやんす」
「なるほど」
俺はソウソーさんの言葉にしっかりと頷く。
俺が知る限り、狩猟用務員で最も紋章魔法を使いこなしているのはソウソーさんであるが、そのソウソーさんが修得に二ヶ月かけたと言うのは、俺としてはかなり驚くべき事柄である。
「と言うわけで、ティタン。何でそんな簡単に使える様になったのかを話すっすよ。紋章魔法学の未来の為に」
「と言われても……」
俺はどう説明した物かと思い、思わず頬を掻く。
なにせ、俺が今から言おうとしている事は酷く主観的な物であり、コンドラ山でも感じた事がある人と感じた事が無い人で分かれてしまうような話なのだ。
だがまあ、こうなれば理解してもらえるかは分からないが、素直に話すしかないだろう。
「えーと、妖属性って言うのは、よく分からない事が本質なんですよね」
「そうでやんすね。だから正式名称が付くまでは、鬼属性とか、幻属性とか、惑属性とか、色んな呼び名で呼ばれていたでやんす」
「なるほど。と……話を戻しますと、妖属性がそう言う性質なので、俺は今までの人生でよく分からないものが何か無かったか思い出してみたんですよ」
「ふむふむ」
「で、そうしたら、山の中で時々誰も居ないのに誰かに見られている気配があった事とかを思い出して、その気配を生じさせているものこそが妖属性のそれなんじゃないかと思って……」
「その気配の感じを思い浮かべたら上手くいった。でやんすか」
「そうです」
「……」
俺の言葉にソウソーさんは悩ましげな表情を浮かべる。
その反応からして、どうやらソウソーさんはアレを感じた事が無い方の人であるらしい。
「うーん……、まあ、そう言う話を聞いたことが無いわけじゃ無いでやんすが……」
「あー……感じる人と感じない人が居るって言うのは分かってますよ」
なお、俺はあの時の……十年前の出来事にも妖属性が関わっているのではないかと思っているが、こちらについては本当に思う程度なので、口には出さない。
「はぁ……これはあっしではどうしようもない感じでやんすねぇ」
「そうですか」
ソウソーさんは残念そうに首を左右に振る。
まあ、感じられないものを感じろと言っているようなものであるし、無理に理解しようとしない方がいいのかもしれない。
「ま、とりあえず混線防止と発動の安定化の為に十分な復習を。そして実戦に使えると判断したら、その為の準備をしておくでやんすよ」
「分かりました」
いずれにしても俺がやる事は変わらない。
新たな紋章魔法が使えるようになって、別の紋章魔法が使えなくなったら意味が無いのだ。
そう言うわけで、俺は再び右手で筆を取った。




