第2話「山を下りた狩人-1」
「ここが……」
あの忌まわしい出来事から十年が経った。
俺は爺ちゃんの後を継ぐ様に狩人になり、爺ちゃんほどの腕は無いが、いっぱしの狩人として生計を立てられる程度には腕も上がった。
それこそ、冬の初めごろの山に最低限の装備で赴いても、一季節生き抜ける程度には。
「オースティア……」
そんな俺は今、狩場にして人生の大半を過ごしたコンドラ山を降り、乗り合い馬車で半月ほど揺られて、話でしか聞いたことが無い場所……オースティア王国王都オースティアにやって来ていた。
「人が多すぎる……」
勿論、好きで来たわけでは無い。
血が半分しか繋がっていない俺に対しても、常々良くしてくれている兄から『この書類を持って、今から言う場所に行って欲しい。これはお前にしかできない事だ』と、頼まれたから、止むを得ず山を下りてやってきたのだ。
用件さえ済めば、直ぐに立ち去るべき場所である。
俺は山に住む狩人であって、こんな多種多様な匂いが入り混じり、眩暈がする様な数の人が歩き回り、薄手の服に身を包んで楽しげに喋っている都会で生きるような人間ではないのだから。
それぐらいは弁えている。
「……。裏路地から行こう」
そう言うわけで、俺は人々の目を避ける様に、門からまっすぐに伸びている大通りから、裏路地へと向かう。
自分を落ち着かせるために足音を消し、息を潜め、何時でも得物を取りだせるように心構えだけはしておいて。
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「ノンフィー様の新作は見た?」
「勿論見たわよ。女盗賊と英雄王の恋、とても良かったわぁ」
「結ばれてはならない二人が惹かれあう。堪らないわよねぇ……」
裏路地なら人目を避けられる。
そんな俺の考えは甘い物であったらしい。
「マナカウの角か。質が良いな」
「安くしておきますぜ、旦那」
「よし、値段を聞こう」
確かに表通りに比べれば、人の数は少ない。
だがそれでも、コンドラ山があるボースミス伯爵領の一番人が多い街の大通りよりも賑わっていた。
しかしこれ以上、裏路地に進めば、道に迷って目的地に辿り着けなくなる可能性もあった。
なので俺は諦めて裏路地を出来るだけ目立たないように進み始める。
「王立オースティア魔紋学園……か」
俺は街の西側にそびえる大山……オース山を横目に捉えつつ、歩き続ける。
オースティア王国の王都オースティアは、オース山の麓の東と南に造られた都市だ。
そして、オース山の南の麓には王族たちが住み、この国の政治の中心であるオースティア城が、オース山の東の麓には、今回の目的地である王立オースティア魔紋学園が在る。
「魔法使いは沢山居るよな……」
俺は歩きながら、色々な場所で聞きかじった王立オースティア魔紋学園についての知識を思い出す。
紋章魔法と言う神秘の力を扱える魔法使いを育てる為の学園。
国内外から高い評価を受け、世界でも有数の学園。
由緒正しい王侯貴族、見上げるような財を持つ商人、類稀な才を持つエリートしか入れない学園。
オースティア王国と殆ど同じくらいの歴史を誇る学園。
はっきり言って、まったくの無縁ではないが、俺にはほぼ無縁であるはずの場所だった。
と言うか、王都オースティア以上に俺が場違いな存在になること間違いなしの場所だった。
「……着いたか」
と、そんな事を考えている内に、俺の視界に高い塀と、鉄で造られた強固な門、そして塀の向こう側に今までに俺が見た建物で一番高いと感じた石造りの塔が複数見えてくる。
間違いない、王立オースティア魔紋学園である。
「ん?そこの君。学園に何か用かい?」
俺が学園の門に近づくと、門の脇に建てられた小さな石造りの小屋から、守衛らしき人物が出てくる。
「この書類を持って行くように兄から言われました」
「ふむ、中身を拝見しても?」
俺は守衛らしき人物の問いかけに対して首肯で返し、一緒に守衛らしき人物が出てきた小屋の中に入る。
「ふむふむ……君の名前は?」
「ティタン・ボースミス」
守衛らしき人物……いや、間違いなく守衛か。
守衛は俺が持たされた書類の中身を軽く一読すると、俺の顔を見ながら問いかけてくる。
「黒い髪の毛に金色の目、日に焼けた肌、弓矢に山刀、身長は180cm程で、毛皮のコートを身に付けている……」
どうやら書類には俺の容姿と名前が記されていたらしい。
守衛は書類の内容と俺の姿を見比べる様に、何度も顔を行き来させている。
「ん?18歳?」
と、年齢を呟いたところで、守衛の顔が険しくなり、何度も見返すように書類と俺の顔を見つめてくる。
「どうか……しましたか?」
「ちょっと待ってくれ」
守衛は俺の顔の下半分を隠すように手を伸ばすと、疑わしい物を見る様に睨み付けてくる。
はっきり言って、非常に怖かった。
「なるほど。確かに18歳だな。この書類は返そう」
「ありがとうございます」
が、どうやら何かしらの疑惑は無事に解消されたらしい。
「では、ここに君の名前のサインを」
「はい」
俺は守衛が取りだした羊皮紙に、慣れない手つきで自分の名前を記す。
「君が行くべき場所は、この小屋を出て正面に在る風の塔の最上階、学園長室だ」
「はい」
サインを受け取った守衛は、窓から黄色い門が付けられた塔の頂上を指さしつつ、そう言う。
どうやらこの学園の学園長と言う一番偉い人に俺は会わなければならないらしい。
「で、行く前に一つ提案だが……」
俺は席を立とうとする。
が、その前に守衛さんから何かが差し出される。
「髭を剃る事をお勧めする。その髭で18歳と言われても、誰も信じられないからね」
「……」
俺は無言で守衛さんから髭剃りを受け取ると、小屋の中で人生初の髭剃りをした。
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