第168話「野外学習-1」
「……」
ミレットが用務員小屋を訪れてから数日。
遂に夜明けと共に二泊三日の野外学習が始まる日が来てしまった。
だが、イマジナ・ミナタストを仕留めたという知らせは勿論の事、イマジナがオース山に入った痕跡も見つかっていない。
つまり予定通りに野外学習は行われるし、メルトレスたちはオース山に入ると言う事である。
「打てる手は打つべきだな」
これから俺がやることが必要であるかは分からない。
何事もなかったが為に無駄に終わってくれるのであれば、それはそれでいい。
そう言う考えの下での行動である。
「ここなら……うん、行けるな」
と言うわけで、夜が明ける少し前。
俺は人目に付かないように火の塔の中に入り、火の塔七階の闘技演習場へ移動。
そして観客席の一番上の段から壁を伝って解放式になっている闘技演習場の上に登る。
「いい景色だな……」
俺が登ったそこからはオース山の東側が良く見えた。
夜明け直前であるために闇そのものは最も濃くなっているが、遮るものがない上に高さが有るので、いい景色だというのは素直な感想だった。
こんな時でもなければ、一時間ぐらいは黙って眺めていたいものである。
「さて、始めるか」
が、今はそんな状況ではない。
誰かに見つかる前にやるべき事をやって、用務員小屋に戻るべき状況である。
「『血質詐称』『能力詐称』……解除」
俺は『血質詐称』と『能力詐称』を解除し、大量の魔力と人外の身体能力を開放。
そして、その状態で、全感覚でもってオース山を観察する。
「異常は……ないか」
オース山は静かなものだった。
既に気が早い一部の獣たちが目を覚まして行動を始めているが、それぐらいだ。
異常な行動は視覚でも聴覚でも、嗅覚でも捉えられない。
これならば今はまだ何も起きていないと判断するべきだろう。
「なら、予定通りに事を進めるべきだな」
俺は自分の耳が伸びているのと口の端から黒い煙が出ているのに気づいて抑え込みつつ、背中に付けておいたベグブレッサーの弓を取りだす。
「すぅ……」
ベグブレッサーの弓は俺の『血質詐称』と『能力詐称』を解除した影響を受けて、既に全体に棘を生やし、異常な張力でもって弦を張るようになっている。
そして、棘だらけのベグブレッサーの弓を握っている左手には、当然のことながら棘が食い込んでいた。
「はぁ……」
何の問題もない。
むしろ好都合ですらある。
ベグブレッサーの弓が俺の血と魔力を吸っているのであれば、それはつまり魔具としての条件を満たしていると言う事なのだから。
「ベグブレッサー、分かっているな」
俺は深呼吸を終えると、右手で弓に生えている棘の一つをつまむと、頭の中で一つのイメージを思い浮かべながらその棘をゆっくりと引く。
すると俺の引く動作に合わせて、俺の魔力がベグブレッサーの弓に吸われ、それと同時に俺の引っ張っている棘が弓本体と繋がったまま伸びていく。
そして十分に伸びた所で俺が引っ張っている辺りから矢羽のように葉っぱが生え、鏃のように先端を尖らせつつ弓本体から分離する。
「上出来だ」
俺は目の前の結果に笑みを浮かべると、生み出されたベグブレッサーの矢を弓につがえる。
そう、クリムさんの言っていた通りだったのだ。
俺の弓は生きている。
それどころか魔獣として分類される植物のように意思を持っていた。
それに気づけば、俺の魔力を対価に俺がイメージした通りの矢を作り出すぐらいは何ともなかった。
「さて、いくぞ」
俺は矢に魔力を注ぎ込みつつ、ベグブレッサーの弓をゆっくりと力強く引く。
狙いはオース山の中に張られている境界の魔法から少し学園側に入った場所。
火の塔の屋上と目標とする地点の距離を考えれば手の震えさえも致命的な誤差になるような距離だが、今の『能力詐称』を解除している俺には狙いを付けている場所の地形も、目標点近くにいる獣たちの動向もはっきりと見えているし、手の震えなどという物もない。
そして矢の速さと仕掛けを考えれば、風の影響も俺の能力で十分補える程度でしかない。
つまり、何の問題もない。
「しっ!」
ベグブレッサーの弓か普通の弓の数倍の速さで矢が放たれる。
だが、前回……オースティア城で放った時と違い、周囲に衝撃波と轟音を撒き散らす事もなければ、閃光を残す事もない。
静かに、けれど姿が霞むような速さで飛んでいく。
その姿に俺は『緩和』の紋章を矢の中に仕込み、周囲に放つ衝撃を抑えるという仕掛けは成功した事を悟る。
「無事着弾……っと」
やがて矢は俺の狙い通りの場所に静かに突き刺さる。
刺さった場所の周囲に特に影響を与えなかったのは、距離があり過ぎて流石に速さが落ちたからだろう。
勿論、そうなるように射ったのだから、それでいいのだが。
「じゃ……弾けろ」
そうして無事に刺さった事を確認した俺は矢に込めた自身の魔力を開放、周囲に撒き散らす。
するとそれだけで、矢が刺さった場所の周囲に居た魔獣たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
「成功だな」
俺はその光景に頷きつつ次の矢をつがえる。
何故魔獣たちが逃げ出したのか?
その理由は実に単純なものだ。
魔獣を初め野生の獣は勝てない相手に挑んだりはしない。
だから、強大な魔獣である俺の魔力を撒き散らせ、その場にこびりつかせ、その場が俺の縄張りである事を主張すれば、それだけで魔獣たちは逃げ出す事になる。
要はマーキングである。
数日とは言え山の環境を乱すのは心苦しいが、今回は仕方がない。
「すぅ……はぁ……しっ!」
結局、『破壊者』の言う無理の力という物は俺には理解できなかった。
これがイマジナたちに対してどれほど効果があるのかは分からない。
だが、魔獣を操ってメルトレスたちを襲うつもりであるならば、それなりに効果があるのではないかと思う。
俺はそう信じ、それから一時間ほどかけてオース山の北側から学園の敷地内に入るためのルートを全てマーキングで潰した。




