第117話「緩和-4」
「これで……よし」
用務員小屋を出た俺は、野外学習の開催を知らせる羊皮紙を学園の各場所にある掲示板に画鋲を使って貼り付けていく。
勿論、効率よく仕事をこなす為に順番には気を使っている。
具体的に言えば、まず初めに火の塔一階保健室前の掲示板に、次に地の塔一階図書館の掲示板に貼った。
そして、その後は塔の四階にかかっている連絡通路と階段の上り下りを考え、水の塔一階、水の塔四階、火の塔七階闘技演習場と貼り付けていき、丁度今、風の塔四階の寮に繋がる連絡通路の掲示板に羊皮紙を貼りつけたところである。
「もう二ヶ月も前なのか……」
俺は通路の奥の方……光の塔へと繋がる通路の方へ目を向ける。
思い返してみれば、初めてメルトレスと出会ったのがこの通路と風の塔の接合部分だった。
たった二ヶ月前の事であるが、今になって思い返してみると中々に感慨深いものである。
と同時に、何であの出会いから今の状況に至ったんだろうかと言う疑問も浮かんでくるが。
「と、仕事仕事」
何時までも物思いに耽ってはいられない。
そう思った俺は残りの羊皮紙を貼るべき場所を頭の中で思い返す。
後、羊皮紙を貼るべき場所は五か所。
風の塔二階の食堂の掲示板。
風の塔一階の総合掲示板。
光の塔、闇の塔、魔の塔の掲示板。
もっとも、光の塔については女子寮なので、男である俺は中に入れず、入り口で寮長さんに羊皮紙を渡してお願いする事になるのだが。
「よし、行くか」
俺は思い出し終わると、風の塔の三階に繋がる階段に向けて歩き始める。
そして連絡通路から風の塔に入った時だった。
「おや、メテウス君の弟のティタン君じゃないか」
「ん?」
背後の方……風の塔五階に繋がる階段がある方から、聞き覚えのない声で俺の名前が呼ばれ、俺は声がした方に向けて振り返る。
「やあ、ウエーホン魔具店の前ですれ違った時以来かな?」
「えーと……」
そこには一応見覚えのある男性の姿があった。
と言うか、こんな奇異な姿をした人が他に居るとは思えない。
水色の髪、紫色の目と言うだけでも人目を惹きつけて止まないのに、左目の下に紫色の三角形の入れ墨を施し、派手派手しい服装を着た人間なんて居るはずがない。
ただ……俺はこの人の名前を知らない。
知っている事と言えば、この人が男爵で、海月をモチーフにした紋章を使っていて、ソウソーさんが変態扱いしていた事に、妙に鋭い視線を向けられた覚えがあるぐらいである。
「おや?ああ、これは失礼。君に対して名乗った事は無かったね。私の名前はノンフィー・コンプレークス。入学した歳の関係で2歳ほど年上だが、君の兄であるメテウス君と同級生だったものだ。爵位は男爵、一般には演劇男爵と言うあだ名の方がよく知られているかな」
「ど、どうもです。狩猟用務員のティタン・ボースミスです」
演技がかった動作で男性……ノンフィーさんが俺に向けて綺麗な礼をする。
ん?ノンフィー?それに演劇男爵?
……ああうん、つい最近聞いた覚えがある。
茶会の時にメルトレスとセーレの二人が、話題に出していた気がする。
なるほど、演劇男爵と言う名前は伊達ではないらしい。
「ふむ。演劇男爵と言う名前については知って貰えているようだね。うんうん、作者として実に嬉しい事だ」
「えーと、劇そのものは見た事がありませんよ?」
「はっはっは、劇を見た事が無くても、名前を知って貰えているのなら、何時かは見てくれるかもしれないだろう?だから名前を知られているだけでも作者としては嬉しい事この上ないのさ」
「そ、そうなんですか……」
「そうなのさっ!」
と同時に、ソウソーさんの言っていた変態男爵と言う言葉の意味も理解する。
どういう意味があるのかは分からないが、この人一つ一つの言葉に動作を付け、しかも動作の中に妙としか称しようのないポーズが幾つも含まれている。
これを見たら……うん、変態と言いたくなるのは分からなくもない。
「いやー、それにしてもこの場で出会えたのは幸運……でもないか、君はここの狩猟用務員なのだし、ここは彼女のお膝元でもあるわけだしね。それぐらいの調整は出来るか?」
「彼女?」
それにしてもなぜノンフィーさんはここに居るのだろうか?
いやまあ、学園の卒業生なのだし、何かしらの用事があるから来ているだけなのだろうけど。
それに彼女?いったい誰の事だろうか?
学園をお膝元なんて言えるのは王様と学園長ぐらいだと思うのだが、どちらも彼であるし、そもそも男爵位の人間がそんな気易く呼んでいい相手でもないだろう。
「はっはっは、こっちの話だ。気にしなくてもいいよ。それよりも今時間はあるかな?君とは一度話をしてみたいと思っていたんだ」
「えーと、申し訳ありませんが、今の俺は仕事中なのでお断りさせていただきます」
俺はノンフィーさんの誘いに対して、手元にある羊皮紙を示して断る。
流石に仕事を放り出して茶に興じるような趣味と図太さは俺には無い。
「おっと、そうか。これは悪い事をした。では、また何時か適当な場所があれば、その時に話をしよう」
「えーと、まあ、それなら構いません」
「そうか、では、その時はよろしく頼むよ」
「は、はあ……」
するとノンフィーさんは罰が悪そうに謝ると、一方的に機会があれば話をするという約束を取り付け、先に階段を下りて行ってしまった。
「何と言うか……自由な人だったなぁ……」
その後ろ姿は何処までも自由気ままな物であり、俺にはとても真似できそうにない姿だった。
いや、真似したいとも思えないけどね。




