第105話「次兄メテウス-5」
「……」
夕食は特に何事もなく終わった。
強いて有った事を言うならば、メテウス兄さんの真似をした俺が普通のジュースに対して匂いを楽しむような動作をして苦笑いされた事、この夕食で出てきた料理と学園の食堂で出てくる料理と味を比べてしまい、メテウス兄さんにちょっと釘を刺された事ぐらいである。
うんまあ、よくよく考えてみれば、あの学園には王族であるメルトレスも通っているのだし、学園の料理人の中に王族の晩餐会に品を出しても問題のないレベルの料理人が居ても、別に何もおかしくはないのかもしれない。
「朝か……」
その後も特に何事もなく一日は終わった。
学園の教職員寮である魔の塔に在る風呂場より多少小さ目な風呂で汗と汚れを落とし、用務員小屋にある俺のベッドよりも柔らくて広いベッドに多少の違和感を覚えつつ眠っただけである。
「とりあえず冊子でも読んでるか」
で、翌朝。
俺は陽が昇ると同じくらいに目覚めた。
普段ならば朝の務め、それが無ければ弓の訓練なり、紋章魔法の学習なりをしているところだが、今日はその何れも出来ない。
そして当然の話であるが、ここがボースミス伯爵家の屋敷である以上、自分で朝食の準備をするわけにはいかないし、求めるわけにもいかないだろう。
幾らなんでも使用人たちに悪すぎる。
と言うわけで、俺はゴーリ班長に教えて貰った室内の狭いスペースでも出来る身体の鍛錬を行いつつ、昨日の内に貰ったメテウス兄さんがまとめた『最低限覚えておくべきマナー』と言う冊子を読むことにしたのだった。
「ティタン様、朝食の準備が……何を為さっておられるのですか?」
「ん?筋肉トレーニング?」
「そ、そうですか……」
なお、上半身裸でスクワットや腹筋をしつつ本を読むその姿は、屋敷の使用人にとっては信じがたいものであったらしく、頬をヒクつかせながら、何をしているのかと尋ねられてしまった。
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「こちらが書斎になります」
朝食後、俺はキュクロさんの案内で、屋敷の中を見て回っていた。
と言っても俺が覚えておくべき事柄はそんなに多くはないし、昨日の内に案内されたものもあるので、時間がある事もあって、ゆっくりと見て回れている。
「ここが書斎……」
「今はメテウス様が使われておられますが、旦那様がいらっしゃれば、旦那様が使う事になります」
「旦那様……ね」
客室、用務員の部屋、調理場、洗濯場と言ったところは、場所だけ知っていればよく、俺の立場を考えたら、むしろむやみやたらと踏み込んではいけない場と言えるだろう。
自分の部屋、食堂、風呂場、トイレと言ったところは昨日の内に教えてもらっているが、まあ、特に感想はない。
伯爵領にある屋敷に比べたら少し豪華な造りになっているかな?と、思うぐらいである。
馬小屋、倉庫、応接室、書斎、兄上たちの部屋なんかは……まあ、用事がなければわざわざ出向く事はないと思う。
俺は馬を使えないし。
「こちらが魔具室です」
「魔具室?」
そうやって屋敷の中を見て回っていると、やがて俺とキュクロさんは屋敷の中でもどちらかと言えば奥まった、外の人間が入る事が無さそうな場所に着く。
そこに在ったのは、見るからに厳重そうな錠のかかった金属製の扉。
扉にはキュクロさんの言うとおり、魔具室と書かれたプレートが架けられている。
「この部屋には紋章魔法に関わるものが集められておりまして、鍵は私、旦那様、グラント様、メテウス様の四人しか持っておりません。窓も内側しか開けられないようになっております」
「なるほど」
キュクロさんはそう言いつつ、扉の錠を開け、俺を中に招き入れる。
「この部屋の用途といたしましては、旦那様たちの集められた貴重な素材と書物を置いておく事。それに、誰にも見られずに紋章を造る事でございます」
部屋の中には扉にかかっていたのとはまた別の種類の錠がかけられた棚が幾つも並んでいる他、作業用の台、小さ目の流し場、チョーク型の魔具を焼き固める為の竈、インク型の魔具を混ぜ合わせる為の器具などが一通り揃っていた。
飾り気は一切ない、実用性しか考えていない空間がそこには広がっていた。
うん、実にボースミス伯爵家らしい部屋だと思う。
「その棚の錠につきましては、旦那様、グラント様、メテウス様がそれぞれ別の錠を付けております」
「なるほど」
キュクロさんの言葉を受けて、俺は棚の錠をよく見てみる。
すると確かに棚にかけられている錠は一つ一つ別の錠がかけられているようだった。
となると……そんな備えが必要な程度には貴重な素材と本がこの棚の中には入っていると言う事か。
「興味がおありですか?」
「いえ、全く」
「ほう……」
キュクロさんが俺に興味があるかと尋ねてくる。
が、興味は特に湧かなかった。
高位の素材があっても今の俺には意味がないし、必要な素材は自分で採ってくればいいだけの話なのだから。
本については本当に興味を持つ必要がない。
なにせ俺は今王立オースティア魔紋学園の狩猟用務員なのだから。
あの学園に無くて、この屋敷には置いてあり、かつ俺が理解できるような本があるとは思えない。
施設についても、学園の物を利用すればいいだけの話である。
「ティタン様。仕立て屋が着いたとの事です」
と、そうしていると、魔具室に女性使用人がやってくる。
どうやら屋敷内を見て回るのはここまでであるらしい。
「分かりま……」
「……」
「分かった。今行く」
「よろしい……」
そうして俺はキュクロさんの笑みを背中に受けつつ、女性使用人に案内されて、仕立て屋が待っている部屋に向かうのだった。




