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091 星海の夜明け

 大聖堂を抜け、アルバトロスを貫きながら光の柱を登って行く二人は、グランド・エアが渦巻く“キャメロット”の夜空に出た。


 そして、二人は更に高く(そら)へと駆け上がって行く。


 大気の壁が轟々と渦巻き続けるグランド・エアは、光の柱の発する淡い緑色の光を浴び、霧が晴れていくようにその勢いを弱めていく。


 夜空の中心――――


 夜の闇が一番深いであろう空まで登った二人は、ゆっくりと空中で停止してぽっかりと空いた井戸のような“キャメロット”を見下ろした。


 マリーとヨハンの見下ろす眼下では、魔力を失った“アルバトロス”が“キャメロット”の中心に開いた大空洞へと、まるで枯葉のように落ちて行く。


 刻滔々とした混沌へと、まるで奈落の底に堕ちて行くかのような、ユダと十二人とテンプルナイトたちを思い――――マリーは悲しみで胸が張り裂けてしまいそうで、消えてゆくアルバトロスから視線を外すことができずにいた。


「――――これで、よかったのよね?」


 冷たい風が吹きつけ、マリーは乱れた髪に手を当てながらヨハンに不安を投げかけた。


「良かったか、悪かったかなんて、僕らが決めることじゃないさ――――」


 ヨハンも落ちてゆくアルバトロスを眺めながら、感慨深く言葉を落とした。


「そんなものは、後の歴史に任せればいい。僕らは、ただ信じることしか出来ない――――彼らは最後の瞬間に、僕たちのことを理解してくれたと。僕たちに託してくれたと。そしてマリー、君に救われたんだと」


「私、信じるわ」


「僕もさ」


 二人は、手を握ったまま頷きあった。


「ねぇ、ヨハン――――“聖杯”が帰りたがってるわ。悲しみのない空に帰りたいって、叫んでるの」


 二人が握りあった手の中で、心臓のように鼓動する“聖杯”を感じてマリーが言った。

 ヨハンは優しい笑みを浮かべて頷いた。


「ならば、帰そう――――大いなる空にお帰り、“聖杯”」


 二人が手を広げると、手の中で眩い光を放つ“聖杯”は――――

 

 夜の空へと勢い良く上って行く。


 淡い緑色の光を地上に撒き散らしながら、“聖杯”は空へと帰って行く。まるで幾筋もの流星が地上に降り注ぐかのように空へと上り、そして星のように遠くまで行ってしまうと、“聖杯”は星空の一部となった。


 そして一瞬、“聖杯”は輝きを増し、まるで太陽のように夜空に朝の訪れを告げた。


 その光を浴びたグランド・エアは弾け、激しい暴風を巻き起こすスレイプニルは空へと帰った。


 オーロラのような光の帯を棚引かせながら、夜と二人を照らす“聖杯”の光は、まるでこの世のものとは思えぬくらい暖かく、そして美しかった。


 その光に包まれたマリーは――――もしも天国があるのならば、こんな所なのかな?と、思いを巡らせら。


 その時――――


 ――――マリー、ありがとう。命を運ぶ歯車があなたを選び、そして導いてくれて本当に良かったわ。あの時は、会いに行けなくてごめんなさいね。またいつの日か、出会える日が来るのなら、その時は楽しいお話を聞かせてね。最後に、あなたたちの魂が、何時も健やかであることを願っているわ。


 突如、夜空から降り注ぎ、そしてマリーの魂に直接響く声を聞き、マリーは手繰り寄せていた糸が(ほど)け、一本の答えになったのを感じた。


「ドロシー? ドロシーなの? ねぇ、ドロシーでしょ?」



 マリーは星の海の中で輝く“聖杯”に向かって叫んだ。


 しかし、空から降ってきた言葉は止み、もう二度とマリーに語りかけることはなかった。


 光の帯びは、日没のように徐々に消えて行き、夜空を昼に変えていた“聖杯”の光は、波が引くように消えていった。そして、“キャメロット”は元の夜と静寂を取り戻した。


 今まで“キャメロット”に渦巻いていた“グランド・エア”も“スレイプニル”も、まるで何事もなかったかのように消え去り、夜空には雲ひとつ無い静寂が漂っていた。


 見渡す限り雲一つない、宝石を散りばめたかのような星空――――そしてその夜空には、存在するはずのないものが浮かび上がり、マリーとヨハンの瞳にはっきりと映った。


 満月だった。


 今夜は新月――――月が隠れ、夜の闇を一層色濃くする夜。それなのに、夜空には幾千もの星たちにまぎれて、大きな満月が浮かんでいた。


「ええ、そうね。ドロシー、また出会えたなら、きっと――――」


 マリーは瞳に涙を浮かべながら、その偽りの、しかし美しすぎる月を見つめた。


「素敵な贈り物ね、満月。ありがとう、ドロシー」


 ヨハンは信じられないと満月を仰ぎながら、訝しげにマリーを見つめた。


 それもそのはずだった。ヨハンにはドロシーの声は届いておらず、マリーが口にした言葉の意味すら良く分かっていなかった。それでも、ヨハンは記憶の隅に置いてある言葉に手を伸ばし、マリーが読んだドロシーという名に敏感に反応した。


「マリー、今、ドロシーって言ったのかい?」


「ええ、そうよ」


 マリーは愛おしそうに満月を眺めながら答えた。


「前に“アレクサンドリア”で迷子になった時に、偶然出会ったお友達の話をしたでしょう? 次に訪ねた時には、家ごと無くなってたって。まぁ、あなたは狐に化かされた何て言って、これっぽっちも信じなかったけど」


 マリーは心外だと言わんばかりにヨハンを見つめた。


 その言葉を聞いたヨハンは、マリーを見て瞳を丸くした後、噴き出すように大笑いをした。

 マリーは大笑いをしているヨハンを不愉快な顔で睨んだ。


「何がおかしいのよ――――まだ狐に化かされたって思っているの?」


「違うよマリー、やっぱり君は大した女性だよ」


 ヨハンは感心したように言った。


「何がよ?」


「君が出会ったと言うその女性は、おそらく――――ドロレス。数千年以上前に書かれた、この世界の一番最初の魔法使いが記した書物に登場する女性の名さ」


「――――えっ?」


 マリーは瞳を丸くした。


「そして、彼女は一番初めの“聖杯の乙女”なんだ」


「本当に?」


「ああ、その書物の最後では――――ドロシーは“聖杯”を巡る争いが起こるのを避けるため、最初の魔法使いと共に大陸を去ったと記されていた。まさか“バグラ”に向かっていたとは」


 マリーの満たされていく心に暖かなが吹いた。

 マリーは満月を見つめ直した。


「ドロシー、どうか安らかに星に帰ってね」


 ヨハンも満月を見上げた。


 しばらく、二人は無言で夜空を眺めていた。


 雲一つ風一つない夜空を二人は手を繋いだまま眺め、幾千もの星たちと一つの満月に包まれながら――――二人は星の海を泳いでいた。


 全てが終わり、新たな一日が始まる刻を――――


 夜明けを待っている二人は、ただ静かに一瞬が永遠のこの時をとても大切に感じていた。


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