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070 アームスヴァルトニルの王

「どうだ、貴様の使い魔はこの通り動かなくなったぞ――――次は貴様の番だ」


 そう言ったオリアクスは、大きく手を広げた。


 すると、ロキの放った光でぐったりとしていたインプたちは再び起き上がり、キーキーと金切り声を上げてヨハンへと襲い掛かった。


 ヨハンはその光景にも動じることなく、ただじっと作業に集中していた。しかしその体は震え、表情は悲しみに暮れていた。そして必死に歯を食いしばるヨハンに、インプの大群は牙を剥きだし、その牙をヨハンに突きたてようと襲い掛かった。


 刹那――――


 再び紫の光が辺りを包み込み、その光に触れたインプたちはまるで砂になったように風に流され、消えてしまった。


「なんだ、この魔力は」


 それを見たオリアクスは、信じられないと言わんばかりの声を吐き出した。


 そしてオリアクスの視線の先、ヨハンを庇う様に立ち尽くしたそれは――――紫の光を纏い、この世のものとは思えぬ異様な魔力を発していた。まるでそれの周りだけ世界が違うような、大気が震え上がる感覚に、オリアクスだけでなく、ヨハンも凍えたように肌を震わせていた。


 それは幾重にも重ねた黒のローブを棚引かせ、紫の瞳を鋭く輝かせた――――麗しい男性の姿に変貌したロキだった。


「すまない――――これしか方法がなかった」


 ロキは振り返り、ヨハンを見下ろして落ち着いた様子で言葉を発した。ヨハンはそれには答えず、ただ表情を強張らせたままじっとロキを見つめていた。その瞳は悲しみで揺れ、きつく食いしばり過ぎた唇からは、赤い血が流れていた。


「馬鹿な、これ程の魔力――――我が地獄にいたときですら見たことがない」


 オリアクスは大きく首を振った。


「そうだろう。確か貴様が、地獄の第五圏から召喚されたと言っていたな? 私がいた第八圏では貴様のような魔力では、私たちの腹を満たす餌にもならなかった」


 ロキは、冷たい視線でオリアクスを一瞥した。


「ロキ」


 ヨハンは、今にも消えそうな声でロキの名を呼んだ。

 まるでその名を永遠に心に刻み付けておくような、そんな口調だった。


「ロキ――――その魔法使いは今、ロキと言ったのか?」


 オリアクスは心ここに在らずで、震えた声を漏らした。


「まさか、地獄の第八圏―――――“アームスヴァルトニルの王”。災いの調停者にして、混沌の父。何千年もの前に、神々によって地獄を追放されたはず?」


「ほう、良く知っているではないか? いかにも――――」


 ロキは嬉しそうに口元を緩め、言葉を続けていく。


「我が名は――――悪神ロキ。アームスヴァルトニルの王にして、悪意の巣窟、狡猾の宣教師、悪戯の紳士――――」


 ロキは嘲る様にオリアクスを眺め、残酷で哀れみのこもった笑みを浮かべてみせた。


「そんな口上など、すでに貴様が産まれる以前から聞かされた。さて、オリアクスと言ったか?」


 ロキは芝居がかった口調で言葉をなぞった。


 当のオリアクスは自分の名を呼ばれ、叱られる子供のようにびくりと体を震わせた。まるで蛇に睨まれた蛙――――しかしどちらが蛇だかは、すでに見分けがつかなかった。


「貴様は先ほど、地獄の業火で私たちを焼き尽くすと言ったが――――貴様は地獄の業火がどんなものか知っているのか?」


 ロキは流麗とした手つきで掌を(かざ)し、その掌に紫色の炎を浮かばせた。


「馬鹿な? そんなはずは無い――――」


 オリアクスは目の間に起こった現実を受け入れられないのか、激しく獅子の頭を振る。

 しかし逆立った(たてがみ)は、情けなく垂れ下がっていた。


「地獄の王が現世に召喚された話など、聞いたことがない」


「そうだろう。だから貴様のような下級の悪魔が、大きな面をして我が物顔を出来るのだろう? 人間如きに使われる使い魔の分際でな」


「――――黙れ、地獄の王を語る偽者が。そうに決まっている、貴様など――――」


 オリアクスは両方の手を大きく広げた。すると、再び混沌の空からは先ほどよりも更に数の多いインプが現れ、今度は一目散にロキに襲い掛かかった。


「貴様など、我の炎で焼け死ぬがいいっ」


 狂乱したオリアクスは口から炎を吐き出した。

 その炎はインプに囲まれたロキ目掛けて、津波のように迫った。


「悪いが時間がない、手短に済ませるぞ」


 それは、一瞬の出来事だった。


 インプがロキの体に噛み付く寸前――――ロキが爪の伸びた長い人差し指を捻ると、インプの群れは初めからそこに存在しなかったかのように跡形もなく消え去り、オリアクスが放った炎の波は、ロキが反対の手を翳すだけでロキの手の周りに集まり、ロキはそれを犬でもあやすかの様に撫でた。ロキに撫でられると、炎の固まりはロキの周りをまるで懐いた子犬のように漂った。


 その炎の塊を指を鳴らして消してしまうと、ロキは何事もなかったようにオリアクスを眺めた。


 その妖しく光るアメジストの瞳を見つめたオリアクスは、恐怖に怯えた獣の様に甲高い声で吠えた後、意を決して、ロキに向かって行った。


 猪突猛進。


 その目は血走り、うめき声はまさに負け犬の遠吠えそのものだった。


 ロキは向かってきたオリアクスを一瞥だけでぴたりと動きを止め、まるで見えない鎖で縛ったかのようにその動きを封じ込めた。そしてロキが目を細めただけでその見えない鎖は引かれ、オリアクスはロキの目の前まで引きずられた。


 苦痛に呻くオリアクス――――そして恐ろしいまでに冷え切った表情のロキ。


 二人の距離が寸前の所まで迫った時、ロキはオリアクスの目の前で静かに告げた。

 それは死刑宣告を告げる、死刑執行人のようだった。


「命を奪う気は無い。先ほど貴様の喉元に噛み付いた時、貴様の契約は断ち切っておいた――――安心して地獄に帰れ。まぁ、地獄の第八圏を生き延びれればの話だがな」


 ロキの言葉を待たずして、オリアクスの体は蛇の尾の先から崩れるように消えて行った。そしてオリアクスは何も告げることなく、ただ苦痛に呻きながら混沌の空とともに消えてしまった。


 空は今まで通り、痛々しいほど澄み切った空へと変わり、キャメロットを取り巻く大気の壁が、轟々と音を立てていた。


 そしてヨハンに振り返ったロキは、すでに見目麗しい男性の姿では無く、いつもの黒い子猫の姿をしていた。


 しかし蝶々の羽は消え、代わりに今にも消えてしまいそうな淡い薄紫の光が、ロキを儚く照らしていた。


 ロキはその場に横たわり――――


 ピクリとも動きませんでした。



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