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055 亡霊たちの怒り

 次の日、特に問題もなくクライストは空を飛行し続け――――いよいよ“キャメロット”までの距離を、残り半分以下としていた。空は雲一つない快晴を保ち、まるで大海原が続くような空を切り裂きながら、クライストは更に船足を速めた。


「よしっ――――この早さなら明後日の夜明けまでには“キャメロット”の領空にたどり着くな」


「明後日か?」


 トールの言葉に、ヨハンは浮かない顔で言った。


「なんか問題でもあるんすか?」


 大きな地図に幾つもの線や記録をつけながら、ホズが尋ねる。


「いや、明後日は“新月”なんだ」


「新月だー?」


 と、尋ねたホズの言葉にヨハンは答えなかった。そして、難しい表情と共にマントを翻しながら、操船室を後にした。その足でデッキに向かったヨハンは、クライストの船首に彫刻された女神の像の上にあぐらをかき、翡翠の瞳で鉛色の雲が広がる夜の空を睨みつけた。


 快晴だった空には、いつの間にか黒い雲が広がっていた。


 クライストはとても早い速度で空を駆け抜けており、デッキの外は嵐のように凄まじい風が吹き付けている。ヨハンの美しい銀色の髪の毛も風に煽られ、靡くが、ヨハンはそんな事など気にもせずに、ただ黒い雲のその先に待つ――――得体の知れぬ何かを、鋭い翡翠の視線で見つめていた。


 ヨハンは、まるで足元を照らす微かな月明かりを頼りに、とてつもなく長い道程を歩き続けるような、そんな気分だった。


「浮かない表情だな?」


 ヨハンの肩に止まったロキは、同じく夜の闇を睨みつけながら尋ねた。


「ああ、マリーが心配だよ。それに、腑に落ちない事もある」


「“テンプルナイト”のことか?」


「ああ」


 ヨハンは髪の毛をかきあげた。


「ヨハン、確かヘイムデイルと名乗った男は――――見たこともない“深紅の瞳”をしていたと言ったな?」


「ああ」


「何百年も昔の話だが――――自らの魂を現世に留める“禁魔法(きんまほう)”を使った魔法使いの話を聞いたことがある」


「“禁魔法”?」


「ああ。現世に魂を留め、偽りの肉体で時を過ごす――――その体は老いることも朽ちる事なく、自らの魂が折れるまで、その魂をこの世に留めておくと言う。しかし、その瞳は自らの血で染まり、肉体は何も感じることはできず、体は凍りつき、食べることも、眠りに就くことすらできない、と聞いた」


「偽りの生の代償と言う訳か?」


 ヨハンは腕を組み、眉間に皺を寄せた。


「その“禁魔法”が本当に存在するなら――――この一件は、本当に“キャメロットの亡霊”たちの仕業と言うことになるね」


 ヨハンは言葉を終えると、自らの思考に何かが(かす)めるのを感じていた。

 ヨハンは何が自分の頭を翳めたのか、頭をひねった。


「だが、魔法使いでもない者たちに、そんな高度な魔法を使えるとは思えぬが?」


「そうなんだ、必ず魔法使いの手引きがあるはず――――」


 ヨハンは絡んだ思考の糸を解こうと、知識の糸車を回す。


「まてよ? 昔、キャメロットの魔法使いの話を聞いたことがある。アルトリウスを導いた魔法使い、確か――――ユダ?」


 その言葉を発した瞬間、ヨハンの頭の中を一陣の風が通り抜けた。


「亡霊?」


 落とした言葉を拾うように、ヨハンは絡んだ思考を解いてゆく。


「――――聖杯、バグラ侵攻、ヴァルハラ評議会、アルバトロス、深紅の瞳、キャメロット、テンプルナイト」


 ヨハンは過去をなぞるように、そして一つ一つを確かめるように言葉を発する。

 そして発しては落ちる言の葉を、思考の枠の中に当てはめて行く。


「――――キャメロットの悲劇、アルトリウス、獅子の戦、ユダ?」


 当てはめた言の葉は、次第に一つの絵を描き――――

 一本に解かれた糸は、一つの物語を語った。


「ようやく――――全てが繋がった」


 そう告げたヨハンは、震える手でズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。


 それはいつかの晩、アンセムから受け取った一枚の紙だった。


「亡霊たちの怒り」


 その紙を眺めるヨハンの全身を寒気が襲った。


 ヨハンが今眺めている一枚の紙は――――“バグラ侵攻”を許可する“ヴァルハラ評議会”の承認書のコピーだった。そこにはヴァルハラ評議会の評議員十一人の印と、最高議長オーディン・グラハの印が押されていた。


 そして、承認書に書かれていた作戦名を記す欄には――――“亡霊たちの怒り”、そう書かれていました。


 ヨハンは吹き付ける風に震えた体を委ね、そっと瞳を閉じた。


「ロキ」


 悲しげな声だった。

 今にも涙が流れ出てきそうな表情で、ヨハンは言葉を続けた。


「こんなに悲しい物語があるだろうか? どうやら、僕たちはこの悲しみの鎖を断ち切ってやらなければいけないんだね」


 ロキはヨハンの言葉に頷いた。


「そうだな。しかし、お前自ら始めた物語だ」


「ああ」


 張り詰めた表情でヨハンは言葉を続ける。


「大いなる力には大いなる責任――――それに伴う代償がつく」


 雨粒が一つヨハンの頬を伝ったが、ヨハンは全く気にすることもなく、ロキと二人で嵐の幕が上がった空を眺めていた。


 その背中は悲しみに濡れて震え、その表情は雨に打たれ――――


 この物語の結末に涙を流しているようだった。

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