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004 魔法使いと黒猫

 マリーは夢を見ていた。

 それはとても不思議な夢だった。


 魔法使いに出会う夢。


 夢の中で、その魔法使いはマリーに向かって不思議なことばかり言う――――「石を返せ」、「その石は大切なんだ」、「石が消えてしまった」と、訳の分からない光る石のことばかり話すのだが、魔法使いはマリーの質問には一つも答えてくれなかった。


 さらに魔法使いは、マリーが何者かに追われていると言って、マリーを夜空の上に連れて行く。すると後ろから空飛ぶ変な物が、マリーと魔法使いを追って来て、その変な物に一日中追いかけ回されているという――――とても不思議な夢だった。


 ふと目覚めたマリーは、またいつもと同じ一日が始まると知り、少しがっかりした気持ちになった。


 せっかく毎夜夢に見ていた魔法使いに会えたと思ったのに――――そんなこと考えながら、またいつもと同じようにオベリアル卿の館に向かって行った。


 蛇のようにうねった山道を歩いている途中、マリーは夢で出会った魔法使いのことばかり考えていた。


 失礼だけど、優しくてかっこいい魔法使い。空飛ぶ変な物から逃げている途中、何度も何度もマリーを励ましてくれていたことを、道中のマリーはぼんやりと思い出していた。


 オベリアル卿の館に着くと、マリーは直ぐにおかしなことに気がついた。


 いつもなら朝早くからたくさんの使用人たちが、館の庭に広がる果樹園の手入れをしているはずなのに、今朝は使用人たちが一人もいなかった。オベリアル卿は、毎朝この果樹園で採れる新鮮なオレンジの絞り立てのジュースを飲むことを楽しみにしていたので、使用人が一人も果樹園にいないということは、マリーにとって大問題だった。そしてそれどころか、館の門に立っている守衛さえもいなかった。


 慌てたマリーは、急いで門まで駆けて行く。しかし大きな門は堅く閉ざされ、開く気配が全くなかった。まるでここにはマリー一人しかいないような、そんな静けさが漂ってさえいた。


 途方に暮れたマリーが、ぼんやりと何もない空を眺めていると、不意に聞き覚えのあるような機械の音が聞こえてきた。マリーはハッとして空を見回す。


 すると青い空には、夢の中で追って来た変な壷のような飛行機が雲の中から現れ、マリーの元にどんどん近づいてきていた。


 マリーは慌てて逃げ出した。山道を外れ、森のほう向けてに全速力で走る。けれどマリーの必死の逃走も空しく、森に着く前に壷の形の飛行機に追いつかれてしまった。マリーの行く手を阻むように、そしてマリーの直ぐ後ろにも飛行機は立ち塞がってしまった。


 マリーは恐ろしさのあまり腰が抜け、その場に尻餅をつく。そして次の瞬間、飛行機が呼吸を合わせたかのように一斉に飛び掛かってきた。マリーは歯を食いしばり目を閉じる。しかし、マリーは不意に暗闇の中に放り込まれ、上も下もない無重力の中をさまよった。


 マリーが閉じていた瞳を開くと、目の前がぼやけてなかなか焦点が定まらなかった。


 おぼろげなマリーの視界の先に広がる世界が、三にも四つにも見えていた。マリーは横になったまま目を擦り、たくさんの世界がじょじょに一つになってゆくのを感じて、なかなか働かない頭でゆっくりと考える。


 あれは、夢だったのかしら?


 マリーは白いレースのカーテンから降り注ぐ、燦々とした陽光を眺める。そして次の瞬間、マリーは飛び跳ねるように起き上がった。


 そして体中から、腹の底から、指先から爪の先まで力を込め、精一杯の声を振り絞りしぼって――――


「えっ、えっ、えー?」


 マリーは辺りを見回しながら叫び声にも似た声を上げ、たった今まで横になって寝ていたベッドを飛び降りた。


 何もかもが違っていた。


 白くて綺麗なベッド。床に敷かれた赤いカーペット。高い天井に豪華な照明のついた広い部屋。全てが、マリーの住んでいた使用人用の宿舎とは違っていた。だってあそこは古くて、小汚くて、歩く度にギーギーと音を立て、今にも床が抜けそうで、狭くて、陽が差さなくて、じめじめしていて、例を挙げたらきりがない部屋だったのだから。


 とにかく全てが違っていて、マリーはもう何がなんだか分からずにいた。

 

 これも夢の続きかと、自分の頬をつねろうとした時―――――


「やぁ、やっと起きたかいお嬢さん?」


 部屋の隅に置かれた机に腰掛けていた見知らぬ少年が、腰をあげてマリーに近づいて行った。優雅な足取りでマリーの目の前まで近づいて来た少年は、夢の中で出会った魔法使いの少年だった。


「あなた、昨夜の? 嘘? じゃあ、やっぱり昨夜のことは夢じゃなかったんだ」


 マリーはほっとしたような、しないような、そんな気持ちだった。

 

 マリーのそんな言葉を受けて、魔法使いの少年は困惑したように表情をしかめた。


「夢? おいおい、そんなわけないだろう。君をここまで運ぶのはけっこう大変だったんだから。全く、余計な体力をつかったちゃったよ」


 それを聞いたマリーは、働き始めた頭が急に回転し、昨日の記憶が徐々に戻りはじめた。そしてそれと同時に、マリーの腹の底からふつふつと怒りが込み上げてきた。


「ちょっと、運ぶのが大変だったですって? いったいあなた何者なの? 昨日のアレは何? あの壷みたいなのは? 光る石は? それに――――ここは、どこなのよっ?」


 マリーは、今自分が思い浮かぶ限りの全ての疑問を全てぶつけると、窓の外に視線をやってみる。綺麗に編まれた白いレースのカーテンが風に(なび)き、降り注ぐ陽光が眩しすぎるくらいの窓の外を眺め、マリーは唖然として言葉を失った。


 窓の外は川のように流れていた。濃くむせ返りそうな緑色に染まった窓の外の景色は、止まる事を知らずすごい速さで現れては消えて行く。青く澄んだ空も、白い斑点のような雲も、全てが川の中を流れるように動いていた。


 それどころか、この部屋全体が小刻みに振動してさえいた。マリーはおぼつかない足取りで窓まで向かう。そして窓の外へと身を乗り出しおそるおそる顔を出すと、激しい横風がマリーに吹きつけ、紅潮した頬を強く撫でた。


「ちょっと、なんなのよこれ?」


 呆然、唖然、そして大混乱――――そんな言葉が詰まった声で呟くと、声を発したマリーの声は吹きつける風と一緒に流されてしまった。そこでマリーはようやく理解した。決して外の景色が動いている訳ではなく、空が流れているのでもない、それはこの部屋自体が動いていているということに。


 マリーは今列車の中にいた。それもとてつもなく長い列車で、窓の外から眺めたのでは先頭の車両すら見えなかった。マリーは、生まれてから今まで列車に乗ったことがないので、直ぐに気がつくことができなかった。マリーは窓の外に出した顔を抜き、強張った表情で少年に向き直る。そして精一杯の声を張り上げた。


「ちょっと、ここどこなのよ? 私をどうするつもりなの? 帰してよ? 私の住んでいたボロニアの町に、いますぐ帰してよっ」


 終わりのほうは半分泣き出しそうな声を必死にしぼり出して、目の前の少年に訴えかけた。

 それを聞いた少年は、慌てて言葉をつくろう。


「ちょっと待って、落ち着いて。なにも、僕は、君を誘拐したり、悪いようにするつもりなんて、これっぽっちもないんだ。それに昨日言っただろう? 君の質問にしっかり答えるって。だから、少し落ち着いてくれないかい?」


 少年はマリーをなだめ、説得する。


 マリーの気持ちは、そう言われて簡単に治まりのきくようのものではなかったが、とにもかくにも少年の話を聞かないことには何も分からず、何も解決しないので、ここは沸き上がる怒りと、留まることを知らない言葉を無理やり押し込んで、まずは少年の話を聞くことにした。


 マリーは腹の底に今にも破裂しそうな爆弾を抱えたまま、少年に促されて部屋の隅の寄せ木細工の机と椅子に座わった。


「さぁ、さっさと話してよ」


 少年は呆れたようにため息を吐いてみせた。


「まずは、お茶でもいかがですかお嬢さん? それとも朝食でも食べながら」


「けっこうよ」


 マリーは最後まで聞かず、ぴしゃりと言い放つ。


「そう、じゃあどこから話そうか」


「最初から最後まで、しっかり話してください」


 そう言われ少年はうんざりしたように席を立ち、額に手を当てて神妙な面持ちで頭を悩ませていた。


 マリーはそんな少年の様子を目を細めていぶかしげに眺めていたのだが、落ち着きがなくあちこち動き回る少年に、とうとう痺れを切らして少年に尋ねた。


「あなた、名前は?」


 その質問が以外だったのか、少年は美しい翡翠の瞳を丸くした。


「名前? あぁ――――」


 少年は思い出したように言いった。


「そういえば、自己紹介がまだだったね? 僕はヨハン。君は?」


「私? 私はマリー。マリー・キャロルよ」


「マリーか? うん、いい名前だ。そして、美しい名前だね。あの町も美しい町だった。何て名前の町だっけ?」


「ボロニアよ」


 マリーは褒められたことなど気にもせず、冷たく言い捨てた。


「ねぇ、あなたって本当に魔法使いなの?」


 マリーは欺瞞に満ちた視線で、ヨハンと名乗った少年を睨みつけた。それを聞いたヨハンは、心外だと言わんばかりに大きく口を開いた。


「失礼だな? こう見えても、ぼくは“アレクサンドリア”じゃ、王室から依頼がくるぐらいの高名な魔法使いなんだよ」


 マリーは疑わしそうに言った。


「あなたが? そんなふうには見えないけど」


 そこまで言葉を紡ぎ、マリーはふと考えた。


「あなた、今アレクサンドリアって言ったの? もしかして、この列車ってアレクサンドリアに向かってるの?」


「いかにも。この大陸横断蒸気列車“オリンポス・エクスプレス”は――――王都“アレクサンドリア”に向かっている。しかも、この部屋はこの豪華列車の一等客室で、王族や貴族でなければ案内されないスイート・ルームなんだよ」


 自慢げに列車のことを語るヨハンの言葉は、マリーの耳には届いていなかった。


 王都“アレクサンドリア”は、マリーたちの暮らす国――――“ローランド王国”の中心都市であり、王室が置かれた巨大な城がそびえたち、さらには国中の富豪や貴族、それに多くの著名人が暮らしている王国最大の都だった。そして、ローランド王国最大の港“ポート・アレクサンドリア”には、世界中のあらゆる品物や物資が集まると言われていた。マリーのような田舎の町に住む者たちにとっては永遠の憧れであり、雲の上の理想郷や、御伽話の世界と言っても過言ではない場所だった。一言アレクサンドリアと言えば、町の娘たちはみんな声を揃えて「素敵、一度は行ってみたいわ」と、黄色い声を上げるが、今は状況が違っていた。


 マリーは一刻も早くボロニアの町に帰りたかった。帰らなければいけない理由があった。


「バカっ。そんな列車の自慢なんてどうでもいいわよ。アレクサンドリアだってどうでもいい。早くボロニアに返してよ。魔法使いだったたらそれくらいできるでしょ?」


「そうしたいのは山々だが」


 ヨハンはばつが悪そうにマリーを見つた。そして、ようやく意を決したかのようにマリーに話を始めた。


「昨夜、君が手にした光る石を覚えている?」


「ええ覚えているわ」


「あれは“聖杯”と言って、とても貴重で重要な魔法石(まほうせき)なんだ。世界中の国々や、魔法使いたちが、長い間必至になって探し求めている伝説の石で、世界にたった一つしか存在していないんだ」


「魔法石? 世界中があの石を探しているって、なんで?」


 マリーはさっぱりと言った顔で尋ねる。


「魔法石と言うのは、魔力を秘めた石のことだ。世界中が探している理由は、それが伝説だからさ。聖杯は何世紀にも渡って語り継がれてきたんだ。時に名前や形を変えて――――精霊石。賢者の石。エリクシル。マリーも聞いたことがあるだろう?」


 マリーは言われて考える。そういえば、マリーの知っているお話の中にも、たびたび登場している石の名前があった。でも、それよりも気になったことがマリーにはあった。


 それは、ヨハンにマリーと呼ばれたことだった。別にたいしたことではなかったのだが、それでもマリーは、ヨハンに名前を呼ばれたことがすごく気になった。胸の鼓動が、ほんの少しだけ高鳴るくらいに。


「確かに聞いたことあるわね。でも、それが何なの?」


「それが重要なんだよ。伝説の中の代物が出てきたんだ。どの国も手に入れたいに決まっているさ。伝説によれば、聖杯の魔力は国一つを破壊し、世界を治められるとも言われているんだから」


「まさか、たかが石ぐらいで国が壊れるわけないでしょう?」


「まぁ田舎の娘には分からないだろうけど」


 瞬間、マリーはヨハンを睨ける。

 睨まれたヨハンは、ばつが悪そうに咳払いをして言葉を続ける。


「とにかく、あの石――――聖杯はとても重要な物なんだ。マリーも覚えているだろう? 僕たちを襲ってきた戦闘機を? あの戦闘機についていたマークを見たかい?」


 ヨハンは、マリーの言葉を待たずに言葉を続ける。


「あれは黒獅子“グラール帝国”の小型戦闘艇バズさ。奴ら僕らを見るなり攻撃してきたろう? 完全に僕らに命中させるつもりだったよ」


「えっ?」


 マリーは驚きの余り、声が裏返ってしまった。


“グラール帝国”は、ローランド王国よりも東に位置する東の大国だった。

 驚いているマリーに、ヨハンが畳みかけるように言葉を続ける。


「それにマリーも昨日あの場所にいたんだったら見ただろう、あのとんでもなく大きい飛空挺を? あれもグラール帝国の大型戦闘飛空挺“アルバトロス”さ。“魔石機関”を取り入れた再新鋭の破壊兵器。飛空挺とは思えない大きさの兵器で、空の悪魔と呼ばれ恐れられているんだ」


 またもべらべらと訳の分からない兵器を自慢げに語るヨハンに、マリーはイライらしながら言葉を遮った。


「そんな話はどうでもいいわよっ。だから、その石とグラール帝国が何なのよ? 私に何の関係があるわけ?」


 マリーの腹に抱えた爆弾はもう爆発寸前だった。そして、マリーの顔色を見て即座に危険だと悟ったヨハンは、慌てて言葉を止めてマリーに向き直った。ヨハンは背筋を伸ばして息を呑み、そして重たい口をゆっくりと開いた。


「君の中にあるんだ」


 マリーはヨハンの言葉の意味が分からなかった。


 マリーは「えっ?」と、聞き返し、ヨハンの言葉を待った。


「君の中に聖杯があるんだ。だから、君を連れてきた」


「どういうこと、私の中にあるって?」


「分からない。ただ聖杯には古くから伝わる言い伝えがあって、それによると聖杯の器――――石を守るために選ばれし乙女が、自らの体に石を宿して聖杯を守る“聖杯の乙女”、そういう伝説や言い伝えがあるんだ。もしかしたら、マリー、君がその聖杯の乙女かもしれないんだ」


「何なのよそれ――――聖杯の乙女って?」


「いやっ、まだ決まったわけじゃないんだ。もしかしたら、マリーが聖杯の乙女かもしれないってだけで――――」


 愕然とするマリーに、ヨハンは慌てて言葉を繕う。


 マリーは今、必死に自分自身に「落ち着きなさい」と言い聞かせ、今聞いた話を頭の中で必至に整理していた。


 昨夜、空から降ってきた石は聖杯と言うとても貴重な石で、世界中の国や魔法使いたちが手に入れたがっている。その石をたまたまつかんでしまったマリーは、なぜかその石が自分の中に入り込んでしまい、それは聖杯の乙女という聖杯を守る言い伝えがある。そしてなぜか分からないけど、今はヨハンではなくマリーが追われている。


「ねぇ、何であの戦闘機はたちを狙ってきたの? そもそも何でそんな貴重な石が空から降ってきたわけ?」


 マリーは、辻褄の合わない箇所をヨハンに尋ねる。それにマリーは半信半疑だった。先程からヨハンの話は突拍子のないことばかりで、どれも信憑性に欠けていた。きっとヨハンはまだ本当のことを話していない、マリーはそのことだけは確信していた。


「なぜって、それは僕たちが聖杯を持っていたからさ」


「何であなたが持っているって知っていたの?」


「それは――――」


 ヨハンは視線を泳がせ、なんて言葉を取り繕うかと迷っていた。まるで言い訳をしている子供のように、ヨハンはとても気まずそうに辺りに視線を泳がせる。


「それは、何なのよ?」


 そんなヨハンをマリーが追い詰める。


「それは――――」


 マリーは細めた黒い瞳で、ヨハンの泳ぐ翡翠の瞳を真っ直ぐに見つめる。少しも目を逸らさず、弓矢のように鋭い視線でヨハンを射抜くマリーに、ヨハンはとても居心地が悪そうだった。そんな蛇に睨まれた蛙に、とうとう救いの手が差し伸べられた。


「いいかげん、本当のことを話したらどうだ?」


 その声は、部屋の隅の洋服掛けから聞こえてきた。


 美しい刺繍が施されたマントの隣に掛けられた、茶色の革のバックがもぞもぞと動きだし、中から黒い子猫が顔を出した。


 黒猫は頭をぶるぶると振るってからバックを飛び出し、紫色に光る蝶のような羽を広げて宙に浮いてみせた。そして自らも淡い紫色に発光した黒猫は、ぷかぷかとと浮かびながらマリーたちの元へゆっくりとやって来た。


 黒猫はマリーとヨハンを通り過ぎて机の上に着地し、早々に口を開く。


「私の相棒が、無関係のあなたをこんなことに巻き込んでしまってすまない」


 黒猫はとても落ち着いていて、礼儀正しい猫だった。猫の頭部をぺこりと下げて、人と同じように謝罪のポーズをとってみせた。そして頭を上げた黒猫は、背中の羽と同じ紫色の瞳でマリーを見つめると、落ち着いた低い声で言葉を続けた。


「私の名前はロキ。ヨハンの相棒だ。マリーと言ったな? どうか落ち着いて聞いて欲しい。これは君にとっても、私たちにとっても、とても重要なことだ」


 当たり前のように自己紹介をして会話を続けるロキに、マリーは驚いて口が開きっぱなしだった。昨夜、猫が喋るのを一度目撃しているとはいえ、それでもなかなか現実として受け入れられるものではなかった。


「あなた、猫なの?」


 質問をした後、マリーは猫に話しかけている自分がなんだかアホらしく思えた。


「猫じゃない、“妖霊(ようれい)”さ」

 

 その質問に答えたのはロキでなくヨハンだった。少年はやれやれと言った顔で席に腰掛け、ロキに視線を落とした。


「僕が説明すると言っただろう? 君が出て来たら今までの説明が台なしだよ」


「お前が思っているよりも彼女は賢い。そんな説明では彼女は納得しないぞ」


「そうかい、じゃあ君ならどう説明する?」


「全て話す」


「ちょっと、勝手に話を進めないでよ。今、私はこの子猫に聞いてるんだから、あなたは静かにしてて」

 

 マリーが二人の会話に割って入った。


「ねぇ、あなたって本当に妖精なの?」


 マリーはもう一度尋ねた。


「あぁ、本当だ。正確には妖精ではなく妖霊だが、さほど違わない」


 ロキは低い声で、当たり前のことのように言う。


「妖霊?」


 マリーは黒い真珠のような瞳をおもいきり見開いて、目の前の人の言葉を喋る子猫――――自らをロキと名乗った妖霊を見つめた。


「妖霊って、猫の姿をしているものなの?」


 マリーは更に質問を重ねた。



「私は訳あって猫の姿を借りているだけだ。本来ならば、人間の目に私たちの姿は写らない」


「そうなの。妖霊ってずいぶん儀正しいのね? あっちの魔法使いとはえらい違い」


 マリーは横目でヨハンを白々しく眺める。

 すると、ヨハンは顔をしかめた。


「僕が礼儀正しくないって言うのかい」


「さぁあね」


 ヨハンの言葉を無視して、マリーは言葉を続ける。


「ねぇロキ、教えてくれない? 本当に、私が聖杯の乙女なの? それと、あの戦闘機はなんで私たちを狙ってきたの。どうして、私が聖杯をもっているって知っていたの?」


 マリーの眼差しはとても真剣だった。その眼差しに応えるかのように、ロキは口を開いた。


「マリー、あなたが聖杯の乙女かどうかは私には分からない。ただマリーの中に聖杯があることは間違いない」


 その言葉を聞いてマリーはとても驚き、とてつもない衝撃が体中を駆け巡った。しかしマリーは動悸の早くなった心臓のあたりを抑え、顔色を変えずにロキの次の言葉を待った。


「戦闘機――――“バズ”と言うんだが、あれが私たちを襲ってきた理由は」


 その時、ヨハンがマリーに気づかれないようにロキに何かを訴えていたが、ロキはそれには応じずに言葉を続けた。


「我々が盗んだのだ。飛空挺“アルバトロス”によって運ばれていた聖杯を、我々が盗み出した。そして箒で逃げている途中にヨハンが石を落としてしまった。そこにマリー、あなたがいた」


 その答えは以外だったが、これで全て辻褄が合ったことをマリーは理解した。


 昨夜見た飛空挺、その後月に映ったシルエット、緑色の光る石が落ちて来たこと、そしてどうして戦闘機がマリーたちを追い、襲ったのか――――全てがハッキリした。


「あなたたちが盗んだから、あの戦闘機は襲ってきたってこと」


「そういうことだ」


「じゃあ、悪いのはあなたたちじゃない」


「そんなことはないさ」


 それまで黙っていたヨハンが口を挟んだ。


「彼らは聖杯を兵器にするつもりなんだ。“グラール帝国”がどういう国かは知っているだろう? “獅子の戦”の首謀国――――数々の悲劇の発端となった国さ」


 獅子の戦。


 それは、今からちょうど八十前に終結した大きな戦争のことだった。当時、グラール帝国は過度な軍国主義を歩み、日々軍事力を拡大していた。近隣の国々を次々と支配し、その侵略の手はマリーたちの住むローランド王国などの大陸西側の国々へと及んでいった。そして後に“獅子の戦”と呼ばれる大きな戦争が起こり、“グラール帝国”率いる“黒獅子”と、ローランド王国を筆頭とした西側諸国の連合軍による“白獅子”との対戦となった。戦争は何十年も続き、互いにすさまじい数の死者や犠牲を出し、その被害の甚大さに恐怖した黒獅子と白獅子の両軍が、共に和平での解決を望み、今からちょうど八十年前に終戦を迎えた過去最大の戦争だった。


「知ってるわよ。私の町にも獅子の戦に出兵していた人だっていたし、話ぐらい聞いてるわ」


「だったら、あの国が聖杯をどうするかぐらい分かるだろう?」


 ヨハンの顔色が急に真剣になり、翡翠色の瞳が強く輝いてマリーを見つめた。


「でも」


「それにマリー、あなたの身が危険だ」


 次に口を開いたのはロキだった。


「聖杯が存在することは伝説の話だ。しかし、マリーはそれが実在すると魔法使いでもないのに知ってしまった。しかもその聖杯がマリーの体内にあると分かれば、奴らがどんな手段を使うか」


「それって?」


 おそるおそるマリーはロキに尋ねた。


「命が危ないってことさ。今頃、奴ら血眼になって君の町や、その周辺を調査しているだろうよ」


 ヨハンの言葉にマリーは驚いて飛び跳ねた。


「じゃあ私、もうボロニアの町に戻れないの?」


 今にも消えてしまいそうな弱々しい声を発したマリーの表情には影が落ちていた。


「そんなことはないさ。だから、マリーをアレクサンドリアに連れて行くんじゃないか? アレクサンドリアに戻れば、僕が必ずマリーの中にある聖杯を取り出してみせさ」


「そんなことできるの?」


 マリーは弱々しい表情と声のまま尋ねた。


「もちろんさ。言っただろう、僕はアレクサンドリアじゃあ高名な魔法使いだって? 必ず君の中から聖杯を取り出して、しっかりと故郷のボロボアに送り届けてみせるさ」


 ヨハンは屈託のない、無邪気な、それでいて自信に満ち溢れた笑顔で答えた。


 それを聞いたマリーは、少しだけほっとしていた。なぜかは分からないけれど、ヨハンの言葉を聞くとマリーは安心した気持ちになれるのだった。こんなにも自己中心的で失礼な男なのに、まるで彼の言葉には不思議な魔法が込められているかのようだった。しかし、ヨハンに説得されたとなると悔しかったので、マリーはヨハンの言葉に頷かず視線をロキへと向けた。


「ねぇロキ、本当に私ボロニアに戻れるの? どこかの魔法使いは私のことをボロボアなんて町につれて行こうとしているんだけど」


 マリーは嫌味っぽく言って横目でヨハンを見た。

 ヨハンはしまったと瞳を丸くしていた。


「あぁ、それに関しては私が約束しよう。ヨハンが高名な魔法使かは知らないが、優れた魔法使いであることは確かだ」


 それを聞いてマリーは、ヨハンに負けないぐらいのとびっきりの笑顔を浮かべた。


「そう、あなたが言うなら信じるわ」


 マリーはヨハンに背を向けていたので、そのとびっきりの笑顔はロキの瞳にしか映っていなかった。


「どうして僕を信じてくれないのかな?」


 ヨハンが惨めそうな顔でマリーに訴える。


「もとはと言えば、ぜんぶあなたのおかげでこんな目に合っているのよ? 反省して欲しいぐらいだわ」


「ふむ、確かに一理あるね。でも、そのおかげで僕らはこうして出会うことができたんだ。この運命の巡り会わせに感謝しなくちゃ」


 いたずらな笑み浮かべるヨハンに、マリーは一言「別に出会いたくなんてなかったわ。いい迷惑よ」と、ぴしゃりと言い放った。


 ヨハンはがくりと頭を下げて、それ以上何も言わなかった。

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